58 婚約者の望むもの
その疑問に辿り着いたとき、フランチェスカは再び農園を訪ねた。
けれどもその新区画に至っては、近付くことすら許されていない。
『まだ生育が安定していなくて、靴に着いた少しの菌でも全滅してしまうから』と告げられ、見学を断られてしまったのである。
「……それはもちろん、タバコの新品種さ」
微笑みながら告げられて、フランチェスカは顔を顰めた。
「そんな風にお答えになるのは、当然ですよね。私も父も、セラノーヴァ家のその区画をこの目で見たわけではありませんから」
「生憎、うちの人間が説明したことは正しくてね。デリケートな新種がきちんと育ち切るまでは、迂闊に色々な人を近付ける訳にはいかないんだ。あそこには倅のリカルドですら、まだ足を踏み入れていないんだよ」
その言葉に、ゆっくりと深呼吸をする。
「――リカルドは、強い人だと思います」
脈絡もなく切り出したことに、ジェラルドが訝るような表情を向けてきた。
「すごく真面目で、公正で。私が急に、お父さんを疑うような話をしたときも、怒らずに最後まで聞いてくれました。その上で、『自分の目で判断する』って」
「……何?」
「だから、約束したんです。リカルドがおじさまは無実だと判断したら、今日の交渉でおじさまの隣に座っていてって」
リカルドは、フランチェスカの言葉を真摯に聞き入れてくれた。
「けれど結論を出す前に、あることを手伝ってほしいとお願いしました」
「……あること?」
フランチェスカは、そこで父のことを一瞥する。
(パパは私よりも先に、セラノーヴァのおじさまを疑ってた)
けれど、確固たる証拠を掴むことが出来なかったのだ。
(証拠の隠し場所なんて、可能性としてたくさんありすぎる。探っていることを勘付かれたら、すぐさま処分されるはずだもん)
前世の祖父や組員たちも、あらゆるものを色々なところに隠す天才ばかりだった。
飲み物の缶に仕掛けをしてその中に物を入れたり、庭の池の底に秘密の空間が造られていたり。セラノーヴァ家のテリトリーで、何かを探るのは現実的ではない。
けれど、フランチェスカは気が付いてしまった。
「分かってしまったんです。セラノーヴァのおじさまの隠したいものが、一体どこにあるのかが」
「なに……?」
それに辿り着いたのは、ゲームシナリオを知っていたからだ。
(前世の記憶があったから、重ね合わせて気付くことが出来た。……もっともレオナルドは、ゲームの知識なんて持っていなくても、証拠の隠し場所を知っていたみたいだけど)
敵わないな、と思いながらも、フランチェスカは目を瞑る。
(ゲームの一章終盤では、我が家とセラノーヴァの同盟が結ばれる。同盟の締結場所に選ばれて、その最中にレオナルドに襲われるのは、紛れもなくこのお屋敷)
最初にレオナルドの言葉を聞いたときは、ゲームの出来事が再現されることへの恐ろしさを感じた。
『参加者は今ここにいる全員。時刻は夜八時、場所は第十七地区の屋敷で』
けれど、この世界に生きる人々が現実である以上、意味もなくゲーム通りになるはずもなかった。
(ましてや、ゲームシナリオでこの屋敷を指定するのは、レオナルドじゃない)
フランチェスカははっきりと思い出せる。
(――ここを選ぶのは、セラノーヴァ当主であるジェラルドおじさま)
それにはきっと、別の目的が隠されていた。
「五大ファミリーが使うこういった『屋敷』は、公平な会合のため、管理人さんたちによって厳重に監視されています。ファミリー同士の会合にしか使えず、何月何日にどのファミリーが使用したかを記録されていますよね」
「……ああ、そうだな」
「限られた人間しか出入りせず、それ以外は鍵が掛けられ、誰が立ち入ったかは後から照会できる。――何か大切なものを隠すには、ある意味で最適の場所ではありませんか?」
その瞬間、ジェラルドが口を閉ざした。
「それでいて誰の出入りした時間帯がいつでどんな順番だったかまでは、それほど重視されません。……管理人さんに質問すれば答えてくれるかもしれませんが、そもそもこの屋敷が怪しいとあたりをつける人は、いなかったかも」
「フランチェスカの言う通りだ。セラノーヴァの私有地ならともかく、全ファミリーが共同管理している上に王家仕えの管理人がいる場所に、わざわざ自分の身を危うくするものは隠さない」
「他にもデメリットがあるよね? パパ。たとえばいざその証拠を回収したいと思っても、その屋敷を使って当然な理由が無ければ難しいとか。ちょうど、今回みたいな――……」
ゲームシナリオでは、両家の同盟を正式に締結するために、ジェラルドがこの屋敷を選ぶ。
ゲーム上ではただの舞台装置であり、この屋敷だったことにさしたる理由は無いと見せ掛けられていた。
しかし、ゲームで伏せられていた『真の黒幕』がジェラルドだったのであれば、シナリオでこの屋敷が選ばれていたことにも後々意味が生じていたのだろう。
少なくとも、この世界のジェラルドにとっては意味のある場所だった。
レオナルドはそれが分かっていたから、この屋敷を指定したのだ。
ゲームシナリオとこの世界で実際に起きたこと、そのふたつを重ねて共通することが、調べるべき場所を教えてくれた。
「レオナルドがタバコ農園に目を付けたのは、あなたにとって一大事だったはず。レオナルドに奪われるわけにはいきませんから、条件を蹴る方向にうちの父を誘導したかったでしょう」
「……」
「それに、レオナルドが何か気付いているのではないかと怖くなった。そうなれば、この屋敷に隠した証拠品を処分したくなりますよね? ちょうど会合の場所がこの屋敷だったことを利用して、誰よりも早くやって来たはず。……その上で、おじさまはずっと焦っていらしたのでは?」
フランチェスカは、真っ直ぐにジェラルドを見据える。
「この屋敷に隠しているはずの証拠が、いつのまにか失くなっていたのでしょう?」
「――……」
ジェラルドの表情には、もはや何の感情も浮かんでいない。
(この屋敷に入る前、パパは管理人さんに『参加者は全員揃っているか』って聞いた。返ってきた答えは『レオナルドがまだ』というものだったけれど、レオナルドによってここに招集されたのは、ふたりの当主に私とリカルド)
リカルドがここに来ていなければ、管理人はそのことにも言及しているのだ。だが、そうは説明されなかった。
「リカルドは私との約束を守り、おじさまより早くこの屋敷に来てくれたはず。そして『証拠』を見付けたあとは、それを元に適切に動いてくれていると信じます」
背筋を正したまま、静かに口にする。
「――リカルドは伝統と、この国の人を大切にしていますから」
「…………」
(それに、レオナルドも)
フランチェスカは、以前レオナルドと話したことを思い出していた。
『王都に出回ってる薬物のこと、レオナルドが何か関わってる?』
『――関わっている、と答えたらどうする?』
レオナルドは思わせぶりな言動を取ったものの、最後まで「自分が関わっている」と明言はしなかった。そして、フランチェスカはこう願ったのだ。
『もちろん、いますぐに止めてほしい』
その言葉に対し、レオナルドは微笑んだ。
『――善処しよう』
あのときの光景を思い浮かべながら、フランチェスカは目を閉じる。
(私を自由にするための婚約解消なんて、それだけが本当じゃない)
レオナルドが、今夜この屋敷を選んだのも。
フランチェスカとの婚約を解消するにあたり、父が持つ隣国との商流を目眩しに、セラノーヴァ家のタバコ農園を指定してくれたことも全部。
(私との約束を、守ってくれた――……)




