48 婚約と伝統
リカルドの父の言葉に、フランチェスカは目を丸くする。
(婚約? 誰と誰が? ……えっ? なに!?)
ぱちぱちと瞬きを繰り返す度に、告げられた言葉が輪郭を帯びてゆく。
(……私と、リカルドが、婚約……)
「父上……」
向かいに座って絶句したリカルドが、ごくりと息を呑む気配がした。
(っ、うええええええええーーーーっ!?)
この場で絶叫しなかった自分のことを、自分で褒めてあげたいくらいだ。
(待って待って待って、私はいまレオナルドと婚約してるんですが!? いやっ、その婚約を破棄しようとはしているんだけど……!!)
「まずは娘に筋を通せ、セラノーヴァ」
はくはくと口を開閉させるフランチェスカの隣で、父はますます冷たい目をした。
「――私はまだ、その話を了承した訳ではない」
「……っ」
地を這うように低い声が、その場の空気を凍り付かせる。父が指に預けた煙草からは、細い煙が静かに昇っていた。
「……失礼した、改めて順を追って話そう」
リカルドの父は、短く息を吐き出す。
「貴殿も承知の通り、先日の夜会で妙なことが起きた。参加者たちが突如錯乱し、暴れ始めた一件だ」
リカルドの父がこちらを見たので、ぴゃっと背筋を伸ばす。
あそこに居たのがフランチェスカだと知られていても、スキルを使って関与したことには気付かれていないはずだが、やはり気まずい。
「我がセラノーヴァ家は、この件の調査も行っている。夜会の場に居合わせ、事態の収束にあたった身でもあるからな」
「ふん。ご苦労なことだ」
「だがな、カルヴィーノ。わざわざ込み入った調査をするまでもなく、俺がこの目で見た明白な事実がここある」
リカルドの父は、テーブルの上に組んだ手を乗せて口を開く。
「あの場にはアルディーニの青二才、レオナルド・ヴァレンティーノ・アルディーニが居た」
(……それを言うなら)
フランチェスカは心の中で、そっと考える。
(あそこにはリカルドも居た。私を迎えに来たパパも、グラツィアーノも……)
それは、『ゲームの主人公』フランチェスカの関係者だ。
(この中の誰もが、シナリオ上の黒幕に選ばれる条件が揃ってる。レオナルドだけが、特別怪しいわけじゃない。……誰のことも疑いたくないし、信じてるけれど、私がこのことを覚悟していなくちゃいけないのは事実だ)
誰にも気付かれないように、小さく深呼吸をした。
けれども父はフランチェスカを見て、気遣わしげに尋ねてくれる。
「大丈夫か? フランチェスカ」
「パパ……」
すぐに煙草を消した父に、微笑みを向けて頷いた。
「ありがとう、びっくりしただけで平気だよ」
父が心配してくれたことで、動揺していた心が落ち着いてくる。
(――ちゃんと冷静に考えて。正規の法では守られない悪党が、思考力を失ったら全部終わりだもの。落ち着いて振り返れば、この会合イベントの大枠はゲームに沿ってるはず)
この世界でのフランチェスカは、レオナルドと穏便な婚約破棄をするべく悪戦苦闘している。けれど、ゲームではもっと単純なのだ。
なにしろフランチェスカの誘拐から薬物事件、あの夜会の出来事がすべて、『レオナルドの起こしたこと』として明るみになる。
こうなれば、レオナルドはファミリー同士の盟約に背いた存在だ。
だからフランチェスカたちの婚約は、レオナルドに非があるという形で解消されることになるのだった。フランチェスカは婚約者が居なくなった状態で、他のキャラクターたちとの親睦を深めることになる。
レオナルドとの婚約破棄は、リカルドの家との『会合』の直前だったはずだ。イベントとして前後してはいるものの、大まかな時期は一致している。
(リカルドとの婚約っていう提案は、その婚約破棄イベントの代わりなのかも。……うん、ちゃんと状況が飲み込めてきた)
こうして落ち着くことが出来たら、先を読むことだって難しくない。
フランチェスカは自分に言い聞かせ、口を開いた。
「セラノーヴァ家のご当主さま。僭越ながら、私からお尋ねしてもよろしいですか?」
リカルドの父に呼び掛けると、彼は冷静になったフランチェスカを見て、少々意外そうに目を丸くする。
そのあとで、苦笑して口を開いた。
「そのように堅苦しく呼ばなくとも構わない。いずれ君の義父になる可能性もあるんだ、俺のことは親戚のようにでも思っていてくれ」
「おい。セラノーヴァ」
「パパ、落ち着いて! ……では、セラノーヴァのおじさま」
フランチェスカは、改めて彼にこう尋ねる。
「おじさまは、レオナルドを危険視していらっしゃるのですか?」
「その通りだ。アルディーニの持つスキルは秘匿されているが、あの夜会の出来事は奴の所業だとしか思えない」
「レオナルドがいずれ、もっと大きな事件を起こすとお考えに?」
「ああ。そのために我が家とカルヴィーノ家で同盟を結び、対抗するための策を共に講じて行きたいんだ」
リカルドの父は、微笑んでフランチェスカを見遣った。
「君だって、あの若造から逃れたいだろう?」
「……!」
その言葉に、フランチェスカは息を呑む。
「で、ですが私とレオナルドの婚約は、血の署名による婚約なんです。それを一方的に破棄することは、盟約違反に」
「……ひとつだけ、盟約違反を回避できる『伝統』がある」
「リカルド?」
これまでずっと沈黙していたリカルドの言葉に、フランチェスカは目を丸くした。
リカルドは手のひらで額を押さえ、疲れたようにこう言った。
「花嫁を奪い合う、『決闘』だ」
「あ……!」
心当たりのあるその言葉に、フランチェスカは声を上げた。




