46 次期当主の覚悟
「昔、ある人が言ってたの。裏社会で上に立つ人に大事なのは、秩序を持って配下を統率できる能力だって」
脳裏に思い浮かべるのは、前世の祖父の姿だ。
「烏合の衆になり果てた悪党ほど、厄介で恐ろしいものはないんだって。裏社会の人たちは全員悪党だけれど、五大ファミリーだってさまざまな盟約と信条を掲げてそれを遵守しているからこそ、王家と繋がりを持って表と共存してる」
「……それは、そうだが」
フランチェスカが口にしたのは、ファミリーの人間にとって当たり前の事実だ。突然何を言い出したのかと戸惑っている彼の目を見て、フランチェスカははっきりと告げる。
「リカルドには、その能力があるでしょう?」
「――……!」
リカルドが息を呑むような、そんな気配をはっきりと感じた。
「あなたはこの学院の風紀委員長さん。リカルドに怒られると、みんなにちょうどいい緊張感が走るのが分かるもの。普段は裏社会で生きているのに、表の常識で生徒たちを導ける人なんて、そうそう居ない」
「……」
「表の人たちへの影響力だけじゃなくてね? カルヴィーノ家以外の人で、うちのグラツィアーノを補習に連れていけるなんて、きっと世界中探してもリカルドだけだよ!」
力説するフランチェスカのことを、リカルドが静かに見詰める。
「あなたのお父さんは、解決できなかったら後継者の座を剥奪すると話したかもしれない。だけどそれって、リカルドなら出来るって信じているからで、誰よりもあなたのお父さんこそが、リカルドを『次期当主にふさわしい』って考えてるからじゃないかな」
「…………」
リカルドの持つ青色の瞳に、不思議な光が揺らいだような気がした。
「――父が、俺のことを?」
「絶対にそう!」
「……」
リカルドは、その言葉をどこか噛み締めるように俯いて、その目元を手のひらで覆う。
「……そうか……」
けれどもそこで、フランチェスカは我に返った。
(他ファミリーの問題に対して、少し口を出し過ぎたかも!?)
無神経だったかもしれない。裏社会に関わりたくないフランチェスカと、これから率いて行くつもりのリカルドでは、背負っているものが違い過ぎるのだ。
「だから! ええと、あの、その……!!」
「っ、ふ」
「?」
何故だか小さく笑われて、フランチェスカは首を傾げた。
「……すまない。先ほどの弱音は、言い方を間違えたな」
「間違えた……?」
「次期当主として、ふさわしい人間を目指したいという気持ちは確かだ。だが、俺がいま感じている歯がゆさは、その資格を剥奪されることに対してではない」
リカルドの声は、先ほどまでよりは随分と柔らかい。
顔を上げた彼の表情も、眉間に皺の寄った険しいものではなく、いくらか柔和なものだった。
「薬物は、人々の尊厳や安全を脅かす。そんなものがこの王都に入り込んでいることが、俺には何よりも許せない」
「リカルド……」
リカルドはペンを置き、どこか清々しそうな声音で言った。
「ここは俺の故郷であり、この街に暮らす人々は守るべき存在だ。――悪党ではあるが、悪党なりに」
そして、少しだけ悪戯っぽい表情で笑う。
「我が家の信条である『伝統』への信用が、薬物の侵入を許したことによって損なわれることなど、俺の中では二の次だ。――これこそ当主失格だと言われても、そこだけは譲れん」
「……うん!」
フランチェスカは嬉しくなって、彼の言葉に頷いた。応援するという気持ちを込めたことは、リカルドにきちんと伝わったようだ。
リカルドはふうっと息を吐き出したあと、ついでのようにこう言った。
「実は、我がファミリーは随分前から経営が苦しいんだ」
「セラノーヴァが? そういえばパパが、セラノーヴァ家みたいに伝統を重んじる信条だと、新しい『商売』に手を出すことは難しいって……」
「もしかすると父は、お前の家に経済的な支援を要請するつもりなのかもしれない。そちらの当主とは、学生時代の同窓だと聞いたことがあるからな。会合はそのためだという可能性もある」
「そっか。そういえばそうだね」
リカルドは立ち上がると、肩の骨をこきりと鳴らすように回した。昼休み中ずっと向かっていた書類仕事は、どうやら片付いたようだ。
「誰かを見ていたせいで、腹が減ったな。俺もたまには食堂を利用してみるか」
「もしかしてお昼を食べてなかったの!? 新作のパン、すごく美味しかったからおすすめだよ。私もまだ残ってたら追加で買おうかなあ」
「お前はいくらなんでも食いすぎじゃないか……?」
そんなやりとりをしながらも、リカルドと一緒に風紀委員室を後にする。
(何よりも王都の人たちのために、薬物事件を解決したい……そんなリカルドのことは、応援してるけれど)
どこか晴れ晴れとした様子のリカルドを眺めつつ、フランチェスカは心の中で考えた。
(その先にいる『黒幕』は、主人公である私にとって、近しい人かもしれない。――その覚悟だけは、していないと――……)
***
そして会合の日である土曜日のこと、フランチェスカは父の言い付け通りに準備をした。
纏うのは、上品だが華やかな赤色のドレスだ。
シフォン地を何枚も重ねてドレープにし、カルヴィーノ家の家紋である赤薔薇を、ふわふわとした裾で表現している。夜会用ほどではないけれど華やかで可愛らしく、気に入っている一着なのだった。
耳元に揺れるのは、小さな真珠粒の耳飾りだ。
自室で鏡を覗き込んでいたフランチェスカは、後ろのグラツィアーノを振り返る。
「ねえ、どうかなグラツィアーノ。ちょうどいいお洒落な感じになってる?」
「はあ。いいんじゃないですか、別になんでも」
「もう、全然真面目に見てないでしょ!」
「そんなことはアリマセン、お嬢は何を着ていてもお可愛らしいデス。トテモよくお似合いデス」
「こ、心が籠ってないにも程がある……!!」
いつもならもう少しちゃんとしたコメントをくれるのに、今日のグラツィアーノは素っ気ない。
もっともこの弟分は幼いころから、フランチェスカが可愛く着飾ると、なぜか少し不機嫌になるのだった。




