44 弟分として
「……」
口を閉ざしたグラツィアーノは、レオナルドを静かに睨み付けていた。レオナルドは軽く肩を竦め、立ち上がる。
「フランチェスカも目を覚ましたことだし、俺はそろそろ帰るかな。『来客』の邪魔をして、悪かった」
(来客?)
首を傾げるフランチェスカをよそに、グラツィアーノが低い声音で告げる。
「当主は、あんたのために予定を変えたわけじゃない。――すべてはお嬢のためだ、忘れるな」
「はは! 丁寧な念押しをどうも」
レオナルドは最後にもう一度、ベッドにいるフランチェスカを見下ろした。
「また一緒にデートをしよう、フランチェスカ。今度は、君の苦手なものを抜きにして」
「う、うん……」
実際はデートではなく、友達として遊ぶ約束をしてくれているはずなのだが、その言い回しの所為でなんとなく気恥ずかしい。
とはいえ、フランチェスカのために嘘をついてくれたレオナルドに合わせ、こくこく頷いた。
「じゃあな」
「ばいばい。また明日ね、レオナルド」
そう言うと、レオナルドは少し驚いた後、どうしてか嬉しそうに微笑んだのだった。
部屋の扉が閉まったあと、フランチェスカはぽつりと呟く。
「レオナルドのこと、玄関まで見送らなくて大丈夫かな?」
「お嬢、まだ立てないでしょ。顔真っ赤」
「そ、そんなに?」
どかっと椅子に座り直したグラツィアーノにそう言われ、自分の頬を触ってみる。
これは確かにぽかぽかだ。いくらなんでもお酒に弱すぎるが、眠たくなるまでで具合が悪くなったりしないのは、ゲーム設定として使いやすいように調整されているのだろうか。
「シモーヌさんが廊下に控えてるんで、きっちり外まで追い出してくれるはずです。お嬢は寝ててください、水は?」
「平気。いまは体があったかくて、なんかぽかぽかするだけだし」
そう答えても、グラツィアーノは納得していない顔だ。心配の気持ちを受け取って、フランチェスカはふにゃりと笑う。
「ありがと。グラツィアーノ」
「……っ」
するとグラツィアーノは、ぐっと眉根を寄せて溜め息をつく。
「……やっぱり飲んで下さい。お嬢、さっきからふわふわしすぎです」
「んん、それは否定しないけど……」
そのとき、ベッドサイドに一輪の黒薔薇が置かれていることに気が付いた。
恐らくは、フランチェスカの髪に挿してもらったあの薔薇だ。フランチェスカは、棘の処理された黒薔薇を手に取って、ふわりと甘やかな香りを確かめる。
(……レオナルド)
たくさんの気遣いを思い出し、改めて嬉しい。
黒薔薇を大事に手で包み、その花びらをちょんちょんと指でつついた。漆黒の花びらは、レオナルドの髪色とそっくりだ。
「元気がなくなっちゃう前に、早く花瓶に生けてあげなきゃ。ねえグラツィア……」
「――黒薔薇の花言葉」
その声音は、拗ねていてとても冷ややかだ。
「知ってます? 複数ありますが、どんなものが代表的か」
「え? し、知らない……」
突然そんなことをグラツィアーノに言われて、フランチェスカは戸惑った。
(花言葉って、それを唱える人や本によって全然違うって聞いたことあるし。カーネーションは『母への愛情』とかだった気がするけど、白いのしか買ったことがないから自信が無いや……。そもそも、この世界と前世の花言葉って同じなのかな?)
そんな風に考えていると、グラツィアーノが静かに口を開く。
「『憎悪』」
「――!」
フランチェスカは、ぱちりと瞬きをした。
「黒薔薇の花言葉は他にもあって、『恨み』とか、『死ぬまで許さない』だったはずです」
そう告げられて、思わずこくりと喉を鳴らす。グラツィアーノは皮肉めいた笑みを浮かべ、不機嫌を隠さない声音で続けた。
「各ファミリーを象徴する家紋の花は、王家が授けたものですよね。『アルディーニ家が黒薔薇なのは、力で何もかも塗り潰してきたあの家に対する皮肉だ』って噂もあるらしいですよ」
「……そんなこと」
「あの男は当主ですから、自分の家紋に付けられた花言葉を知らないなんて有り得ない。……その上で、そんな意味の込められた花をお嬢に贈るなんて、宣戦布告としか思えません」
「……」
フランチェスカは、手の中に包み込んだ薔薇をそっと見下ろした。
「……お水と花瓶を持ってきて。グラツィアーノ」
「お嬢……」
そのあとで、顔を顰めたグラツィアーノに手を伸ばす。
そしてフランチェスカは、茶色い頭をわしわしと撫でた。
「っ、うわ!?」
グラツィアーノが悲鳴を上げる。それでも構わずに撫で回すと、グラツィアーノは完全に狼狽し、とうとう椅子からひっくり返った。
「わあ! グラツィアーノ、大丈夫!?」
「なに、するんですか……!」
ベッドから身を乗り出して見下ろすと、失態が恥ずかしかったのか、グラツィアーノは耳まで真っ赤になっている。
そんな表情を見るのは久しぶりだったので、フランチェスカはくすっと笑った。
「心配してくれてありがとうの気持ち。でも、大丈夫だよ」
「……っ、なにを根拠に」
「レオナルドは確かに底知れなくて、何考えてるか分かんないし、物騒な噂もたくさんある。大抵のことなら出来る実力があるから、みんな怖がって警戒するよね。……それでも」
黒い薔薇に鼻先で触れ、目を瞑る。
先ほどの墓地で、父と兄の話をしたレオナルドが、少しだけ寄る辺ないまなざしを向けてくれたことを思い出した。
「レオナルドは案外、普通の男の子だと思うんだ」
「……」
裏社会に産み落とされて、その世界にふさわしく振る舞って生きてきた、ただそれだけにも思えるのだった。
「私にどういう意図で近付いてきてるとしても、根はそんなに悪い人じゃないよ。だから、大丈夫」
「……あんたは……」
ぐっと顔を顰めたグラツィアーノが、溜め息をついて立ち上がる。
「いつもいつも、誰にだってそうなんですよ。どんな下劣な奴でもクズ相手でも、人間として良い所ばっかり探して受け入れようとする。悪党相手にもかかわらず」
(別に、そういうつもりはないんだけど……)
ただ、たまたま周囲に『悪党』と呼ばれる職業の人間しかいないだけなのだ。
それは前世からずうっとなので、慣れっこだとも言えるかもしれない。
グラツィアーノは拗ねたように、それでも先ほどよりはずっと険しさの取れた表情で言った。
「悪癖ですからね。……ちゃんとそれは、自覚していてください」
「うん。ありがとう」
もう一度お礼を言うと、やはり大きな溜め息を吐かれてしまった。
「それと、グラツィアーノ。さっき言ってた『来客』って……」
「……あー」




