37 放課後の友達
【四章】
夜会から二週間が過ぎ、中間テストも無事に終わった。
五月も終わりに近付いて来て、季節はそろそろ梅雨の時期に入る頃だ。
この頃になると、「王都に出回る薬物の量が減りつつあるらしい」との噂が、フランチェスカの耳にも聞こえてきていた。
放課後、ひとりで教室を出たフランチェスカは、階下に向かいながら溜め息をつく。
(夜会の夜をきっかけに、薬物騒動が終息しつつあるんだよね……)
ゲームの大枠とおんなじだ。
(ここ数日、必要以上に考え込んじゃって駄目だな。テスト前やテスト期間中は、勉強のお陰で余計な想像をせずに済んでたのに……)
そんな風に思いながら校舎を出る。他のクラスの生徒たちが、それぞれ楽しそうに話しながら歩いている中に、弟分の姿を見付けた。
「グラツィアーノ!」
「お嬢。……やっと来た」
少し拗ねた顔をしたグラツィアーノは、女子生徒たちに囲まれている。
(一年生の女の子たちかな?)
グラツィアーノは周囲の子をうるさそうに追い払いつつ、大股でこちらに歩いて来た。残念そうな顔をした女子たちが、「もう行っちゃうの?」と肩を落とす。
「グラツィアーノ君が今日用事あるなら、私たちも帰ろうか。グラツィアーノ君、ばいばーい」
「グラツィアーノ君のお姉さんも、さよなら!」
「わたし!? ……さ、さよなら……!」
話し掛けられたことが嬉しくて、頬を染めつつ張り切って返事をする。
ものすごく良い子たちで、とても可愛い。きゃっきゃとはしゃぎながら下校していく後ろ姿を、フランチェスカは羨ましく見送った。
「……いいなあグラツィアーノ。あんな元気なお友達に囲まれて……」
「はあ? どこが。女子が大量に群がってきてもうるさいだけなんで……そんなことより」
グラツィアーノは身を屈め、ずいっとフランチェスカを覗き込んだ。
周囲の女子たちが声を上げるが、フランチェスカは主に一年生の女子たちから、「グラツィアーノのお姉さん」と思い込まれているらしい。
「見て見て。仲良し姉弟!」
微笑ましそうに言われて、グラツィアーノは何故かますます拗ねたようだった。
「今日も迎えの馬車を断ったんですよね。朝は俺を置いていくし、なんでですか?」
「だから言ったでしょ? しばらく登下校は『友達』とするの。グラツィアーノが起きるよりも早く家を出てるんだよ」
「ふーん……」
グラツィアーノが目を細めたので、フランチェスカはちょっとたじろいだ。
そしてこの生意気な弟分は、ずばりこんなことを口にする。
「……お嬢、本当に友達できたんすか?」
「なんで!? できたよ!?」
どうしてそんな、『心底信じられない』という表情をするのだろうか。
心外になって言い返すが、グラツィアーノは尚も疑いの目を向けて来る。
「だったらそれ、俺も混ぜてくださいよ。俺もお嬢の友達とトーゲコーするんで」
「グラツィアーノ、馬車でギリギリ間に合ういまの時間に起きるのが限界でしょ」
グラツィアーノは朝に弱い。夜にファミリーの仕事を命じられることがあるというのを差し引いても、朝はぐずぐずなのだ。
フランチェスカは、寝起きのグラツィアーノのことを、心の中で『お鍋で煮過ぎた餅巾着モード』と呼んでいる。
なかなか的確な表現だと思うのだが、餅巾着はこの世界に無い食べ物なので、誰とも分かち合えていない。
「……朝が駄目なら、放課後だけでも一緒に帰ります」
「グラツィアーノ……」
フランチェスカは溜め息をつき、腰に両手を当てて、背の高い弟分を見上げた。
「我が儘言わないの。グラツィアーノはいっしょに帰れないでしょ。だって……」
「おい、そこの一年」
「げ……っ」
低い声に呼ばれ、グラツィアーノが顔を顰める。
グラツィアーノ目掛けて歩いてくるのは、銀髪に赤い瞳を持つ青年、リカルドだ。
「お前は補習の対象者だろう。昨日も言ったが、授業が終わったら真っ直ぐ第三校舎に向かうように」
「ほら、グラツィアーノ。セラノーヴァさんの言うこと聞いて」
「くそ……」
怠そうに呟いたグラツィアーノは、中間テストであろうことか居眠りをし、周囲の級友や監視の教師を絶句させたそうだ。
その結果点数は芳しくなく、補習を受けることになっている。リカルドは、ともすれば逃亡しがちなグラツィアーノを、こうして迎えに来てくれているのだった。
「面倒を掛けてごめんなさい、セラノーヴァさん。グラツィアーノをよろしくお願いします」
「ほら行くぞ、もっとキビキビ歩け。このままの速度で移動すれば、計算上は十五秒の遅刻になるぞ」
首根っこを掴まれたグラツィアーノが、ほとんど引きずられるように連行されていく。リカルドは去る前に、一度だけこちらを振り返った。
「……」
そして、生真面目に一礼する。
(あの夜会の一件以来、リカルドから妙に恩義を感じられてる気が……)
見たところ、フランチェスカがカルヴィーノ家の娘だということは、さすがに気付かれてしまっている。
けれどもリカルドは、そのことに一切言及することなく、父親にも話さずにいてくれるようなのだった。
ほっとしつつ、気を取り直して校門の方に向かう。
(ちょっと遅くなっちゃった。走ろう!)
最初は小走りに駆け出すものの、途中からぐんぐんと加速する。
学院を出て、煉瓦に彩られた街並みを駆け抜けると、待ち合わせ場所まではあっという間だ。
息せき切って辿り着いた先、片隅にある花屋の前には、先に学院を出ていた『友達』が待っていた。
「――レオナルド!」
「フランチェスカ」
レオナルドが、顔の前へと右手を挙げる。
フランチェスカはぱっと表情を輝かせ、その手にぱんっとハイタッチをした。
(すごい、友達っぽい……!!)
その感動を噛み締めつつ、彼を待たせてしまったことを謝る。
「ごめん、お待たせ!」
「走ってきたのか? 別に、それほど急ぐこともなかったのに」
レオナルドは笑いながら、フランチェスカの方に手を伸ばす。
「ほら。……綺麗な髪が乱れてる」
「――……」
フランチェスカは、むむっとくちびるを尖らせると、その手をぎゅっと掴んで止めた。
「ちょっと待った! これは『友達』じゃないやつでしょ」
「おっと。騙されなかったか」
「……? 何か言った?」
フランチェスカがじっと見上げると、レオナルドはにこりと笑う。
「なんでもない。悪かったな、綺麗な女の子にはついつい習慣で」
(……レオナルド、やっぱり……。たとえ友達相手でも、女性を見たら無意識に口説いちゃう体質なんだなあ、可哀想……)
フランチェスカは呆れてしまう。
『友達』にはなってみたものの、レオナルドのこの悪癖は根深いようで、まるで恋人のように接してくることがあるのだ。
「もう、約束だからね。私たちは恋人じゃなくて友達。婚約解消だって諦めてないんだから」
「もちろんだ、分かっているとも。婚約解消については約束できないが」
(たとえ友達になったとしても、そこの『企み』部分には頑ななんだ……)
レオナルドと友達になって以降、あの夜に約束した通り、ふたりで一緒に登下校をしている。
下校の際はパン屋に寄ったり、雑貨屋さんに連れて行ってもらったりして、とても充実した『初めての友達生活』を送っているのだ。
けれども今日の放課後は、いつもの下校とは目的が違った。




