337 大切なもの
クレスターニが、僅かに目を細めた。
そのくちびるに、レオナルドとよく似た微笑みを浮かべたままで。
(……私やレオナルドをここまで連れてきた、転移スキルも)
他の誰かに指示したとは思えないほどに、勝手の良い使い方をされている。
(このお屋敷を守る結界。外から見付けられないような偽装も? クレスターニが、配下の誰かに使わせたスキルじゃなくて……)
すべて、クレスターニ自身のスキルだったのだろうか。
(それだけじゃない。ひょっとしたらレオナルドが話してくれた、『他者のスキルが分かる』鑑定スキルだって)
そうだとすれば、レオナルドの兄は十歳の頃から、ずっと周囲を偽り続けていたことになる。
だというのに、クレスターニは何処か人懐っこく朗らかな表情で、満足そうにこう続けた。
「なるほど、色々と考えを巡らせたんだな。……だが、どれも決定打には欠ける」
「まったくだ。あんたがもう少し、露骨な証拠を残してくれていればよかった」
レオナルドは少し大袈裟に肩を竦め、嘆くようなふりをした。
「だから遠回しに確かめたんだよ。偽名を名乗るときに、わざわざあんたの名前を選んで」
(レオナルドが、小さな子供の姿に変えられた、魔灯夜祭……)
レオナルドは、まさしく『シルヴェリオ』と名乗った。
それを聞いたとき、フランチェスカの父は渋面を作った。国王のルカは、こう言った。
『ああそうだ、そうだったな、ようやくその名を思い出せたぞ』
そしてリカルドは、こう呟いたのである。
『……死人が、帰ってきた…………?』
あれもきっと、レオナルドがシルヴェリオの偽名を使ったことで、一時的に記憶が攪拌されたからなのだ。
フランチェスカがリカルドに問い返しても、その記憶はすでに消えていて、『忘れた』と戸惑っていたことを反芻する。
(考えてみれば、おかしかったんだ。……私だって、この世界に生まれてから十七年間ずっと、王都で生きてきた)
前世の記憶を取り戻してからでさえも、十二年が経っている。
(いくら裏社会から距離を置こうとしていても、レオナルドの名前を聞く機会は、何度もあったのに。それなのに)
ようやく気が付いた違和感に、フランチェスカは顔を顰める。
(私、レオナルドのお兄さんのことは、どうしてか名前さえ知らなかった)
レオナルドの父と兄が死んだとされたとき、フランチェスカは十歳だ。
ゲームの知識は既にあり、シナリオ回避のための行動も開始している頃である。それなのに、事件が起きた日を覚えていないどころか、意識の中に留まっていない。
(……些細な情報や認識ごと、消されていたから?)
レオナルドだけが、誰よりも早くそのことを自覚した。
「俺の名乗った『シルヴェリオ』に反応したのは、高貴な血を持つ者……国王や上位貴族だけ。学院の女子生徒たちには、引っ掛かる人間すら居なかった」
フランチェスカを迎えるため、小さなレオナルドが学院に来てくれたことの意味を知る。
「クレスターニによる集団支配は、同じく高貴な血を持つ者に効きにくい、と分かっていたからな。つまり、クレスターニのスキルに近しい能力で、俺の兄貴の名前が掻き消されていることになる」
「……」
兄の名前を名乗ることも、それをあちこちで聞かせることも、確認行為のひとつだったのだろう。
「レオナルド。……夏休み、ラニエーリの森で、私を助けに来てくれたとき」
フランチェスカは、祈るような気持ちで問い掛ける。
「レオナルドは、私を探しながら、お兄さんが『黒幕』かもしれない可能性も考えてた?」
「――――……」
レオナルドは小さく笑い、フランチェスカと繋いでいない方の手で、やさしく頭を撫でてくれる。
「君のことしか、考えていなかったよ」
「…………っ」
あのとき、ずぶ濡れでフランチェスカを抱き締めたレオナルドのことを、もう一度抱き締め返したい。
そんな想いでいっぱいになったフランチェスカを、レオナルドはもう一度撫でてから言った。
「まだ続けるか? ――兄貴」
「いいや。十分だ」
クレスターニは、片手を肘掛けへと無造作に置きながらも、レオナルドにまなざしを注いでいる。
(どうして?)
数日前、フランチェスカと対話をしたときのクレスターニは、レオナルドを憎んでいるように見えていた。
(それなのに、いまは)
「改めて、背が伸びたな」
クレスターニは、本当に穏やかな声で言う。
「レオナルド。……俺の、弟」
(…………!!)
フランチェスカと繋いでいるレオナルドの指へ、ほんの僅かに力が籠ったような気がした。
(どうして、そんなに、愛おしそうに……)
クレスターニのその声音に、フランチェスカまでもが苦しくなる。
(……レオナルドのことが、大切で仕方ないみたいに、笑ったりするの……?)
兄弟で同じ色をした月の瞳が、レオナルドに慈しみを注いでいた。
「やっぱり、アルディーニ家をお前に託して正解だった。ひとりぼっちにされてしまっても、お前なら大丈夫だと信じていたよ」
「……やめて。『シルヴェリオ』」
大切な男の子の手を強く握って、フランチェスカは敵を睨む。
「たった十歳だったレオナルドが、どんな想いで家を継いだか……!!」
「分かっているさ」
クレスターニは、執務椅子の背凭れに深く身を預け、目を細める。
「……俺の大義に、たったひとりの弟を巻き込んだ」
「大義……!?」
「それでも、俺は」
クレスターニが紡いだのは、誓いを立てるような響きの言葉だ。
「――何を失ってもと、決めている」
「!」
微笑みを消して、彼自身の右手のひらを見下ろした。
「大切なものを自分で全て壊して、それでも成すべきことがある。こんな愚行を正当化するつもりも、許しを乞うつもりもないさ」
(この人は、一体、何を目的にしているの?)
ここにいるのは、正真正銘の悪党だ。
たくさんの人を巻き込んで殺した。頭ではちゃんと理解しているのに、どうしても分からなくなってしまう。月の色をした彼の双眸は、透き通った光を湛えていたからだ。
(……まるで、世界を守るための役目を持った、救世主みたいな……)
「だが、ひとつだけ言い残すなら」
美しい男は、残酷なことを口にする。
黒幕の『クレスターニ』ではなく、レオナルドの兄『シルヴェリオ』としての微笑みで。
「お前のことを、今でも大切に思っているのは本当だよ。……レオナルド」
(――――……っ)
フランチェスカはレオナルドの手を強く引き、背中に庇ってこう告げた。
「レオナルド、聞いちゃ駄目……!」
「……フランチェスカ」
こんなやさしさに、レオナルドを晒すことは出来ない。
今すぐ連れて逃げなくてはと、突破口を探したそのときだ。
「大丈夫だよ」
「!」
レオナルドの腕が、後ろからフランチェスカを引き寄せる。
「俺は、フランチェスカ以外のものに傷付けられたりしない」
「……レオナルド」
「大切なものは君だけだ。だから……」
振り返って見上げた金の瞳に、強い戦意の光が瞬く。
「――俺から君を奪った『黒幕』に、惑わされるはずもないだろう?」
「あ……!」
次の瞬間、レオナルドのスキルによって吹き上がった炎が、『シルヴェリオ』へと襲い掛かった。




