331 捧げる想い
「……駄目」
紡いだ声が、震えてしまう。
「私、パパにもひどいことを言って、傷付けた……」
「違うよ」
レオナルドの親指が、フランチェスカの耳元を辿った。眠るときにすら外したくなかった薔薇の耳飾りを、愛おしそうに撫でてくれたのだ。
「父君も、君が大事で仕方がないだけだ」
「…………っ」
ぶんぶんと強く首を横に振り、レオナルドの手と言葉を否定する。
「ママを死なせた」
「……フランチェスカ」
「ずっと前、もっと別の遠い何処かでも、大切な人を死なせた気がする……」
そのことが、とても悲しくてたまらない。
悲しむ資格すらないように思えて、口にすることも出来なかった。
「私の所為なの。ママを死なせて、パパを悲しませて、私が全部――……!!」
「俺の父親は」
フランチェスカを遮ったその声は、いつもよりいっそう穏やかだ。
「俺を庇って、死んでしまった」
「……!」
淡く微笑んだレオナルドが、フランチェスカの横髪を指で梳き、柔らかく耳に掛けてくれる。
「俺が居なければ生きていた。君の母君と、おんなじだ」
「それは……」
呆然と見上げたフランチェスカを前にして、レオナルドが淡く苦笑する。
「俺が殺したと、そう思うか?」
「……っ」
答えようとした喉が震えて、フランチェスカはくちびるを閉ざした。
(そんなはず、ない)
思わずレオナルドの上着を握り、ぎゅっと握って俯いてしまう。
(レオナルドは、お父さんを殺したりしていない……!)
声に出すことが出来ないのは、体が支配されているからではない。
この想いが、大いなる矛盾だと分かっているからだ。
(私のママが死んだのは、私の所為……)
『ああ。君の所為だ』
頭の奥が強く痛み、誰かの声が響く。その男の姿が、ゲームのレオナルドと重なった。
(私が死なせた。だけど、レオナルドは違う。お父さんとお兄さんを助けたかっただけの、小さな子供で……)
「……やっぱり君は、そうなんだな」
頬から離れたレオナルドの手が、今度はフランチェスカの指に触れた。
「君に救われた人間は大勢居る。それなのに、事態が好転したのはそいつ自身の強さだと、明るく笑って」
「…………っ」
「他人の罪を真っ向から許す。あるいはそんなもの、最初からなかったと受け入れる。それなのに」
満月の色をしたレオナルドの瞳が、ほんの少しだけ眇められる。
「自分のことは、極悪非道の悪党だと思っている」
(……だって、本当に悪党なんだもの……)
泣きそうになったフランチェスカに、レオナルドが眉根を寄せた。
「俺に罪がないと言ってくれるのなら、君自身にだってそんな風に言えるはずだ」
「……それは」
「フランチェスカ」
「っ、嫌……!!」
頭の奥が、再びずきずきと痛んでいた。苦しいことが見抜かれたのか、レオナルドも何処か苦しそうだ。
「君の敵は全て、俺が殺す」
そう言って、フランチェスカの右手を掬い上げる。
「君を苦しめる世界を壊して、なんでも欲しいものを捧げるから」
レオナルドが指を絡め、幼い子供をあやすように繋いだ。そうして手の甲にくちびるを寄せ、小さなキスを落とすのだ。
「君は、悪党なんかじゃない」
(……どうして……)
すべてに込められている想いを感じて、フランチェスカはくちびるを結ぶ。
(いまなら私、この男の子のことを、すごく上手に傷付けられる)
そうすれば、クレスターニに褒めてもらえる。
(それなのに、なんで?)
分かっていても、どうしても口を開くことが出来なかった。
「……もしも君が、本当に悪い女の子だったとしても、構わないんだ」
くちびるを押し当てたままの彼を、泣きそうになったまま見つめてしまう。
「君を君として形作る、その全部が愛おしい」
「……レオナルド」
「だからどうか、自分を責めて傷付けるようなことを、しないでくれ」
「!」
フランチェスカは息を呑む。
「フランチェスカ」
レオナルドの手が離れたあと、その腕に強く抱き締められ、こんな言葉を向けられたからだ。
「どうやったら、君がただ笑っている世界をあげられる?」
「…………!」
それはきっと、フランチェスカへの問い掛けというよりも、祈りと呼ぶべきものだった。
(……レオナルドは)
大きな手が、フランチェスカの頭を引き寄せるように添えられた。
とても強い力なのに、それでいて大切に触れてくれる。決してフランチェスカを壊さないよう、やさしく腕の中に閉じ込められるのだ。
(私のことを、いつも守ろうとしてくれる)
家族が死んだ日のことなど、思い出したくもないはずなのに。
フランチェスカの洗脳を解くため、取り戻すために選んでくれた。彼の体温を感じ取り、視界がじわじわと滲んでゆく。
(私にこんなお願いをするのに、自分の幸せは望んでない。怖くないふりや、さびしくないふりがとても上手な、格好良くて可愛い男の子……)
そうして、ひとつの想いに気が付いた。
(そっか。……私も)
フランチェスカは、レオナルドが泣いているところを見たことがない。
だからこそ、ぎゅうっとその背に腕を回す。愛おしくて大切で、遠ざけることなど選べないただひとりのことを、彼と同じ強さで抱き締めた。
「――フランチェスカ?」
レオナルドに笑っていてもらうために、どんなことでもしてあげたい。
(……この人を泣かせないためになら、なんだって出来る)
この感情に名前が付くのなら、レオナルドがくれる想いと同じ名だ。




