329 はじまる(第5部5章・完)
※昨日も更新しています。前話をお読みでない方は、ひとつ前のお話からご覧ください。
(……腹が立つな)
ルチアーノは、フランチェスカの寝言を聞きながら、心から憤りを抱えていた。
(綺麗事ばかりの君も。この国の人間が、何も知らずのうのうと生きていることも。それから……)
『あの人』と同じ金色の瞳に、黒い髪を持つあの男。
アルディーニ家の当主だという青年が、ルチアーノはとても嫌いだ。
(この国も、アルディーニも敵。……それなら、『フランチェスカ』だって……)
そうして瞬きをした瞬間、いきなり世界が変わっていた。
「……え」
フランチェスカを背負っていたはずが、今は自分の部屋に居る。ベッドに横たわり、どうやら眠っていたらしい。
(違う。確か、あの子と食事をしていたんだ)
その途中、どうしても抗えない眠気に襲われて、意識を手放したと思い出す。
(くそ……毒かスキルでも仕掛けられたか? 別にいい、どうせ逃げられない)
けほっと咳をしながら、急いで部屋を出る。その瞬間、ひとりの青年と鉢合わせた。
「ふん。起きたか、ルチアーノ」
「ジュスト……」
緑色の髪と、常に不機嫌そうな表情を持つ人物は、ルチアーノを呼びに来たらしい。
「ちょうどいい。来い、今後の動きで共有事項がある」
「…………」
高圧的にそう命じられ、ルチアーノは顔を顰める。
クレスターニの配下に置かれた人間について、ルチアーノは数人しか会ったことはない。その中でもジュストたちは、クレスターニと旧知の関係性であるようだった。
はっきりと聞いたことはないが、年齢も二十代前半くらいと近いのだろう。だが、ルチアーノが世界でただひとり崇めるのは、クレスターニただひとりだ。
だからこそ、ジュストたちに命令をされるのは気に食わない。
「行かない」
「おい」
「どいてくれる? フランチェスカの様子を確認しないといけないんだ」
彼の背丈が高い所為で、見上げるような形になるのも不本意だ。押し除けて隣の部屋に行こうとすると、ジュストがこんなことを言った。
「あの子供なら、クレスターニさま直々の『罰』を受けているぞ」
「え……」
そのときだ。
「!!」
「な…………」
屋敷を覆った結界に、凄まじい衝撃が加わった。
鼓膜が割れるような振動に、思わず両手で耳を塞ぐ。ジュストは舌打ちをし、廊下の窓を睨み付けた。
「来たか。まったく、不快だな」
「まさか……」
次の瞬間、ルチアーノの頭の深い場所が、締め付けられるように強く痛んだ。
「う、あ…………っ!」
「おい、ルチアーノ!!」
意識が途切れる。
その直前、ルチアーノの周囲の空気が、親しんだ氷に閉ざされた気がした。
***
「――戦線、配備完了だ」
リカルドの報告を受け取って、レオナルドは目を眇めた。
その森の中、各ファミリーの構成員が持つスキルによって、レオナルドたちの話し声は遮断されている。姿を隠匿するためのスキルも使っており、敵からはこちらが見付けられない。
そうした状況を作り出しているのは、レオナルドたちばかりではなかった。
夕暮れが終わりかけた薄闇の中、レオナルドは一枚の地図を手に、リカルドへと告げる。
「この場の情報伝達ならびに統制は、引き続きセラノーヴァに一任する。各ファミリーと連携を取って、援護ならびに救護を指揮しろ」
「承知した。手筈通りに」
「エリゼオ」
地図をエリゼオに押し付けながら、レオナルドは改めて確かめた。
「本当に間違いはないんだな?」
「水源が消えているくらいなら、二百年前の史料と違っていても矛盾はないよ。レオナルド君の言う規模の屋敷を建てるなら、森の中ではこの一画が最善だ」
「分かった。……ダヴィード」
機嫌が悪そうな一匹狼に、森の中を指差してこう告げる。
「あの場所だ、幻視に隠された屋敷を暴き出せ。……惑わされるなよ」
「うるせえ。お前に命令されるまでもない」
「はは。頼もしいな」
森の中には、各ファミリーの戦闘員が配置されている。抗争の要になるのは、こうした数の暴力だ。
(幹部がどんなスキルを持っていようと、すべてのスキルは一度のみの使用。次に使えるようになるまで、一定時間が必要な制限がある)
最後には、銃を使った殺し合いに発展するだろう。
木の影に、フランチェスカと同じ赤色を見付ける。レオナルドはそちらに歩いてゆき、いまは煙草を控えている男に言った。
「あなたが集めてくれた武器を、存分に使わせてもらいますね。おとーさま」
「……言っていろ」
苦い顔をしたエヴァルトを見て、レオナルドは笑う。
(――ゲームの五章は、裏切りを主題にした章。エヴァルト・ダンテ・カルヴィーノの疑惑と、父娘の絆が描かれる)
その終局は、目の前だ。
「あなたがクレスターニに洗脳されていたり、裏切り者である可能性は、きっとそれほど高くない」
「……? なんだ、根拠もなく」
「これが、本当に『裏切り者』のためのシナリオだというのなら、もっと描くべき対象がいますから」
レオナルドは、かつて訪れたことがある森の中に、殺気を混ぜたまなざしを向けた。
「セレーナに属するクレスターニこそが、本物の裏切り者だ。……七年前、俺の父を陥れて、俺たち父子を殺そうとした」
「……アルディーニ」
続いてレオナルドは、エヴァルトから少し離れた場所に控えた青年に告げる。
「番犬。行けるな?」
「当たり前でしょ」
カルヴィーノ家の忠実な飼い犬は、迷いのない目でそう答えた。
「――始めようか」
レオナルドは笑い、まずはダヴィードにこう告げる。
「幻影を破れ」
「ち……っ」
ダヴィードが、木々の生い茂る森へと視線を定める。
「いいかアルディーニ。お前に従うのは、今回だけだ」
「分かっているよ。どうか、力を貸してくれ」
「!」
肌を刺すほど冷たい風の中、レオナルド自身も意識を集中させた。
「すべては、フランチェスカのために」
「――――くそ」
ダヴィードがスキルを放ったその瞬間、森の空気が大きく震える。
「……これは……」
リカルドが小さく呻き声を上げた。夜が始まり、ざわめく木々が闇に包まれたその刹那、幻の向こう側に影が生まれる。
森の中に浮かび上がったのは、王都中心地の屋敷よりも大きな、セレーナ家の所有する館だ。
「屋敷が、出現した……!!」
(……ああ)
幼かったレオナルドが、兄と『遊びに』来た場所だ。
(確かに、ここに存在する)
クレスターニに消されたであろう、すべての記憶を取り戻したレオナルドは、フランチェスカの従者に告げた。
「結界を開かせる。先駆けを」
「本当に、開くんでしょうね……!!」
「当然」
微笑んで、ひとつのスキルを発動させる。
(さあ従え。――『ルチアーノ』)
直後、屋敷の一画に閃光が走る。
その窓を内側から押し破ったのは、美しく透明な氷塊だ。レオナルドのスキルによる命令に、あの王子が素直に従った。
「氷のスキル!?」
「グラツィアーノ」
「……っ、はい、当主!!」
エヴァルトの背に触れた彼の従者が、そのまま転移のスキルを使う。ふたり分の姿が消えたのと同時、他の窓も一斉に割れ始めた。
「各ファミリー、戦闘を。――エリゼオ」
「うん」
敵戦力の分散を図るため、襲撃は各所から行われる。レオナルドから中央の指令を引き取ったエリゼオは、微笑んで言った。
「未来視で状況を注視しながら、リカルド君たちと連携を取るよ。殺さない範囲で蹂躙すればいい、そうだろ?」
「完璧」
「ふふ」
レオナルドの兄やエリゼオの従兄弟と、こうした作戦を立てて遊んだこともある。エリゼオは懐かしそうに笑った上で、レオナルドに告げた。
「行ってくるといい。君はただ、フランチェスカちゃんのことだけを考えて」
「……ああ」
彼女は地下に居る。クレスターニの結界が破れた今、レオナルドのスキルによる監視がそれを辿れるだろう。
レオナルドは、かつてここを訪れた記憶を元に、その場所を目指すのだった。
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第5部 最終章へ続く




