327 夫婦の宝
※昨日も更新しています。前話をお読みでない方は、ひとつ前のお話からご覧ください。
(フランチェスカ)
フランチェスカが口にしたのは、妻が襲撃された際、自分を責めたものと同じ言葉だ。
『……私の、所為で……』
妻に似てほしいと望みはした。しかし、同じ苦しみを負って欲しいとは思わない。幼い頃から今日までの日々に、自責を続けていたのだろうか。
(セラフィーナは、お前を深く愛していた)
命など惜しくなかったのだと、今のエヴァルトにはよく分かる。
(お前が笑って、幸せになることだけを望んでいたんだ。……だから)
フランチェスカを、必ず無事に取り戻す。
その鍵となり得る青年は、枯れた赤薔薇を胸に抱いたまま、静かに寝息を立てていた。
(分かっている。セラフィーナ)
アルディーニを眺めたエヴァルトは、やがて自身も瞑目した。
(壊れてしまうような真似は看過しない。『子供たち』は、私が引き続き見守ろう)
最期の微笑みを思い出し、祈るように告げる。
(――君との約束も、私の宝だ)
***
「…………」
目を覚ましてからしばらく経った頃、レオナルドは軽い身支度を整えて、外套を手にしつつ立ち上がった。
向かいのソファーでは、エヴァルトが肘掛けに頬杖をついている。
眠ったところを見るのは初めてなので、少しの間それを観察した。あまり隙がなさそうなのを確かめたあと、持っていたドライフラワーをその膝に置いて、レオナルドは扉の方に向かう。
(……この気配)
ゆっくりと開けてみれば、廊下の隅に蹲っていた青年が、ぴくりと肩を跳ねさせて顔を上げた。
「番犬」
「……あ」
フランチェスカの従者は、少しばつが悪そうな顔をして、ふいっと顔を向こうに向けた。
(なるほど。俺が一晩中、カルヴィーノと応接室に居た所為で……)
恐らくは、主人が出てくるのを待っていたのだ。
「ふはっ」
「!?」
レオナルドが思わず素直に笑えば、青年は驚いて目を丸くする。
「まるで、本物の犬みたいだな」
「うるさいな……」
レオナルドが扉を閉めてやると、青年は立ち上がり、懸命に皮肉を言おうとした。
「お帰りはあちらです」
「見送りご苦労。ついでに上着を着せてくれ」
「嫌ですよ、なんで俺が」
レオナルドに笑われて悔しそうな青年に、応接室での会話は聞こえていなかったはずだ。
「……あの」
それでも彼は、思い切ったような様子で口を開き、レオナルドのことを呼び止めた。
「ありがとう、ございました」
「…………」
心当たりのない礼に、レオナルドは青年を振り返る。
「フランチェスカ救出の礼だったら、残念ながらまだ早いぞ」
「っ、そうじゃなくて……! ああ、くそ」
レオナルドがこの青年なら、ここでそれほど悔しそうにするくらいなら、最初から礼など言いはしない。
興味深く観察していると、青年は振り絞るように言った。
「当主のこと。あんたがきっと、色々助けてくれてますよね?」
「…………」
そのとき、レオナルドはあることに思い至る。
「だから、ありがとうございます。俺たちの当主を、その」
(……そうか)
この青年は、エヴァルトを待っていたのではない。
レオナルドにこれを言うために、冬の廊下で蹲っていたのだ。それが分かり、レオナルドは敢えて笑みを作る。
「本当に感謝しているなら、言葉よりも利になる何かが欲しいな」
「!? あんた、こっちが下手に出ていれば……!」
「冗談だよ」
揶揄い甲斐のある反応を楽しみながら、カルヴィーノ家のエントランスに歩き出す。
「どうやら俺も、それなりに気遣われていたようだしな」
「…………? それって」
「第一に」
もう一度青年を振り返り、わざと挑発を口にした。
「配慮をするのは当然だ。カルヴィーノは近々俺にとって、『義理の父親』になる相手だろ?」
「…………」
青年は思いきり嫌そうな顔をしたあと、いつも通りの生意気な反論をしてくる。
「あんたみたいなのに礼言って損しました。お嬢と結婚するつもりなら、俺と当主を倒してからですから」
「ありがとう。その程度の条件で構わないなら、明日にでも婚儀を挙げられる」
「はああ?」
「……そのためにも」
笑みを消して、廊下の窓越しの朝陽を見遣った。
「抗争だ。――五大ファミリーの総力を持って、フランチェスカを奪還する」
「!」
***
聖樹を前にして告げられたことを、ルチアーノは幾度も思い出す。
『――ルキノ君が何を背負っているのか、私には分からない』
ファレンツィオーネの大聖堂、その地下にある空間で、赤い薔薇色の少女はこう言ったのだ。
『分かる訳がない。だけど国ひとつ、たとえ一族や家だって、誰かがひとりで背負うべきものじゃないよ』
美しい水色のその瞳は、真っ直ぐにルチアーノを見据えていた。
『世界も未来も。たったひとりが、汚れながら変えるべきものなんて、存在しない……!』
世間知らずの令嬢に、一体何が分かるのだろう。
ルチアーノには、どんなに自分が汚れても、変えなくてはいけないものがある。こんな少女の言葉など、なんの意味もないはずだった。
(……そうだ)
敬愛する人物に招かれた屋敷で、ルチアーノは苛立ちを抱えている。
(あんな女の子の言うことなんか、話にならない。わざわざ思考を割く価値すらも存在しない。……そのはずだ、それなのに)
美しい深緑に揃えられた色調の廊下で、ゆっくりと足を止めた。
(あの子が、危なっかし過ぎる所為で……)




