324 幸福な運命
エヴァルトとセラフィーナの婚約は、互いの国の王家を巻き込んだ交渉になった。
聖樹に干渉するスキルを失ったとはいえ、そうした研究に関わってきたセラフィーナの婚姻は、隣国にとっても注視するべきものだったためだ。
特に隣国の王室は、ロンバルディ家の研究を欲していた。そこに仲裁に入ったのが、ファレンツィオーネ国王のルカだ。
ルカはいくつかの材料を用意し、隣国に条件を提示することで、セラフィーナとエヴァルトの婚約を後押しした。
ロンバルディ家が、隣国の王室からの要請に応じ、留学生を受け入れているのもそのひとつだ。それがルカの命令であるからこそ、ロンバルディは隣国の王室に、聖樹の研究結果すらも共有している。
『陛下。私のような人間のために、なんとお礼を申し上げたらよいか……』
『構わぬ。言っただろう? 私にとって、お前たちは子や孫のようなものだと』
エヴァルトがそれまで、本当の意味での忠誠心など持ち合わせていなかったことを、ルカは見抜いていたはずだ。
忠誠の家に生まれた使命に従い、ただ無気力に命を捧げてきた。そのエヴァルトを責めもせず、ルカは心から嬉しそうに笑う。
『可愛い「子」であるお前が、たったひとりの愛する者を見付けた。ならばそれを祝福し、背中を押してやりたいのが親心というもの』
『親心……』
『実はな。多くの民を愛おしく思う中でも、カルヴィーノ家は私にとって特別なのだ。……他の者には内緒だぞ?』
人差し指をくちびるの前に立てて、玉座に座った王は言った。
『幸せにおなり。可愛い可愛い、カルヴィーノの子よ』
『――お言葉、有り難く賜ります』
エヴァルトの『忠誠』が、こうして本物の忠誠心となったのも、セラフィーナが傍に居たからだ。
その後にエヴァルトの父が亡くなったこともあり、実際にセラフィーナとの婚姻を結ぶまでには、出会ってから二年が経っていた。
それからさらに一年の月日が過ぎた頃、運命の転換は、春の陽射しが降り注ぐ暖かな季節に訪れる。
『……アルディーニ家の第二子は、男児だったそうだ』
『まあ!』
帰宅したエヴァルトを出迎えたセラフィーナは、鮮やかな赤の瞳を輝かせる。
二日前、アルディーニ家に生まれた赤子のことを、セラフィーナはいたく案じていたのだ。早く報告してやりたかったエヴァルトは、セラフィーナの喜ぶ顔を見て安堵しつつ、部屋のソファーに腰を下ろした。
『ミネルヴァさんは? ご体調は大丈夫なのかしら』
『……ああ。今はまだ、休んでおられるそうだが』
『ご出産の直後ですものね。だけど、お元気ならよかった!』
『…………』
実際の所、アルディーニ当主夫人であるその女性は、容態が思わしくないらしい。
エヴァルトがその事実を伏せたのは、セラフィーナ自身も身重であり、数日以内には生まれるだろうと予想されていたからだ。
そんな彼女に、不安を抱かせたくなかった。
『ねえ、エヴァルト』
セラフィーナはエヴァルトの隣に座ると、わくわくした様子で尋ねてくる。
『赤ちゃんのお名前は、ひょっとしてレオナルド君?』
『? なぜ知っている』
『生まれて来るのが弟だったら、そう付けるって聞いていたの』
そうして自身の腹部を撫でながら、聞こえるはずのない言葉を掛けた。
『聞こえたかしら? フランチェスカ。あなたの婚約者のお名前は、やっぱりレオナルド君ですって』
『……私たちの子は、まだ娘だと決まった訳ではないぞ』
『女の子よ。だって、そういう運命だから!』
セラフィーナは運命変化のスキルを持っている所為か、度々そんな言い回しをする。エヴァルトの肩に頭を乗せて、いたく機嫌が良さそうだ。
『今年は六大ファミリーのうち、五つの家に赤ちゃんが生まれるのね。同じ学年になるみんなは、この子と友達になってくれるかしら?』
『……どうだろうな』
セラフィーナに似れば、さぞかし社交的な子に育つのだろう。それを敢えて口にはしないまま、エヴァルトは彼女の髪を撫でる。
『少なくともアルディーニ殿のご子息に関しては、幼い頃からある程度の交流を持たせるべきだろうが。……本当に、この子が娘ならな』
『ふふ。うちがこのままひとりっ子か、次の子供たちも女の子だったら、レオナルド君が婿入りしてくれるのかしら』
思わぬことを尋ねられ、エヴァルトは眉を顰めた。
『…………』
『エヴァルト?』
正直なところ、数日以内に子供が生まれて、自分が父親になることすらも現実味がないのだ。
セラフィーナに似た女児が生まれ、その娘が成長して誰かと結婚をするなど、なおさら想像できるはずもない。
『…………婿養子なら』
エヴァルトは渋面を作ったまま、なんとかそれだけを絞り出した。
『当家の方針を、厳しく教育する必要が、あるだろうな……』
『…………っ、あはは!』
真面目に答えたつもりだが、セラフィーナはころころと愛らしく笑う。
何がそんなに可笑しいのかは分からないが、彼女が幸せに笑っているのならば、それを止めるような理由はない。
『ああ、幸せ!』
『…………』
ひとしきり笑ったその後で、セラフィーナはエヴァルトに微笑んだ。
『あなたは素敵なパパになるわ。きっと誰よりも娘思いで、甘々のお父さんに』
『……どうだろうな』
『まだ自信がないのね。どうしてそんなに心配なのかしら?』
そう言ってエヴァルトの頭を撫でてくる。セラフィーナは、自分の方が一歳年上である所為か、エヴァルトを子供扱いして満足そうにすることがあった。




