321 幼い子供
【第5部5章】
『紹介するよ、エヴァルト。――これが、次男のレオナルドだ』
『…………』
エヴァルトが初めてその子供を見たのは、おおよそ十二年前だった。
六大ファミリーの直系は、代々同じ髪と瞳の色を継ぐ。当時五歳ほどだったその子供も、父親や兄と同じく、黒い髪に金の瞳を持っていた。
『こんにちは、カルヴィーノの当主さま。レオナルド・ヴァレンティーノ・アルディーニです』
そう言って愛想良く微笑んだ子供は、大きな瞳に長い睫毛も相俟って、ともすれば少女のようにも見える。髪を短く切り揃えていなければ、女児に間違う者ばかりだっただろう。
『エヴァルト・ダンテ・カルヴィーノだ』
『はじめまして! 父からよく、あなたのおはなしを聞いています。すごい当主さまなんだって!』
『…………』
この子供は、娘のフランチェスカと同じ年齢で、生まれた日も数日しか離れていない。
一見すれば行儀が良く、大人びた振る舞いが出来るものの、年相応に無邪気な面を持つ少年だ。しかしエヴァルトの目から見れば、その意図は至って明白だった。
(他者に自分をどう扱わせるか、完璧に計算して動いている振る舞いだ。……この年齢で、既に人心掌握を心得ているのか)
『長い間、すまなかったな。エヴァルト』
子供の父親であるアルディーニ当主は、息子の小さな頭を撫でながら笑った。
『これまでずっと、レオナルドをお前にすら会わせて来なかった。うちの息子は、フランチェスカ嬢が生まれたときからの婚約者だというのに』
『………………いえ』
『はは! その、複雑そうな顔』
金色の瞳を可笑しそうに眇め、アルディーニが穏やかな声音で言う。
『お前とフランチェスカ嬢の間のわだかまりが、無事に解けたようで何よりだ』
『…………』
亡き妻セラフィーナが遺したフランチェスカを、ずっと遠ざけてばかりだった。
エヴァルトには想像すら及ばないほどに、寂しい思いをさせてきたのだろう。突然エヴァルトの傍から離れなくなったフランチェスカによって、エヴァルトはようやく目が覚めたのだ。
アルディーニが、この息子をエヴァルトに会わせなかったのは、アルディーニ家の事情ではない。
恐らくアルディーニは、実の娘にすら向き合えていなかったエヴァルトのために、この時が来るまで待っていた。
『……お気遣い、痛み入ります』
『なあに、構わないさ。俺にとってお前たちは、弟分のようなものだからな』
エヴァルトより七歳年上となるアルディーニ当主は、面倒見の良い男だった。
裏社会の当主とは思えないほど、周囲の人間に手を差し伸べる。絶望に蹲る誰かのために膝をつき、微笑みながら手を差し伸べ、共に汚れる。
そんな男が、少しだけ寂しそうに笑って言った。
『俺たちは、近しい時期に妻を喪った。お前の気持ちに遠からぬものを、少しは理解できるつもりだ』
『…………』
エヴァルトは今も覚えている。
そのときのアルディーニの微笑みと、幼い子供のまなざしを。『レオナルド』の金色の瞳は、無垢なふりの微笑みを続けたまま、エヴァルトを観察し続けていた。
あの子供は、見極めていたのだろう。
いつか自分が婿入りをし、父親と呼ぶことになるエヴァルトのことを、冷静に確かめていた。それから五年後、子供は僅か十歳にして、アルディーニの当主を継いだのだ。
『こんにちは、カルヴィーノの当主。……今日からは、対等な立場であなたと話すことになる』
父と兄を亡くした少年は、五歳のときよりも更に洗練された人心掌握術と、『悪党』の才を纏って現れた。
『手始めに。俺とあなたの娘の婚約について、互いに「利のある」結末を目指そうか?』
『――――……』
それから更に七年が経ち、『アルディーニ』と娘のフランチェスカは、共に十七歳になった。
洗脳されて帰らない娘の部屋の前で、使用人が出てくるのを待っていたエヴァルトに、メイド長がとあるものを差し出してくる。
「当主。こちらです」
「ああ」
受け取ったのは、黒薔薇と赤薔薇のドライフラワーだ。
黒薔薇の方は、春先からフランチェスカの部屋に飾られている。それが先日、この赤い薔薇も一輪増えていた。いくら父親といえど、不在の間に立ち入ることは配慮に欠けると考えて、清掃で出入りするメイドに頼んだのだ。
(……すまない。フランチェスカ)
娘のことを考える度に、先ほど目にした悲しそうな顔が浮かぶ。
(私の植え付けた絶望が、ずっとお前の奥底に眠っている。……許されることではない、だからこそ)
エヴァルトはその薔薇を手に、応接室のある一階へと降りて行った。自邸のためノックをせずに扉を開けると、ひとり掛けのソファーに深く座った青年が、不機嫌そうにエヴァルトを見上げる。
「……遅いお戻りで」
「そちらのソファーで、仮眠を取れと言っておいたはずだが」
「いりません。そんなもの」
アルディーニは金色の目を眇め、何処か不貞腐れたような言い方をした。
「フランチェスカを迎えに行く」
どうやら先ほどにも増して、いっそう機嫌が悪くなっているようだ。
(……あの子供が、人前でこんな顔をするようになったのか)
ある種の感慨のような心境を抱きながら、アルディーニの向かいに腰を下ろす。
互いの間に置かれたテーブルへ、二輪のドライフラワーを置いた。そして、アルディーニの疑問を晴らしてやる。
「フランチェスカが、あの子の部屋に飾っているものだ。先日、この赤い薔薇が増えた」
「…………」
静かになったアルディーニを前に、エヴァルトは煙草を咥えた。




