319 名前を
フランチェスカ以外の何者にも、こんなことを願ったりはしない。
「…………」
腕の中に閉じ込めたフランチェスカは、震える声でこう言った。
「……私は、あなたが嫌い……」
「へえ」
あまりにも弱々しい言葉に、レオナルドは笑う。
「平凡で、平穏な人生を生きたかったのに」
「…………」
彼女のくちびるから、吐息と共に言葉が零れる。
「『この世界に生まれた所為で、全部台無し』」
告げられたことに、レオナルドはひとつ瞬きをした。
「『あなたが、いなければ』」
「……フランチェスカ?」
「『私は、こんな世界に生まれずに、済んだかもしれないのに』」
「…………」
エヴァルトが、戸惑いを見せた気配がする。
その反応も当然だ。フランチェスカが話すことは、この世界に生きている人間が思い付くはずもない。
(洗脳されたフランチェスカから、前世の記憶は欠けているはずだ)
けれども彼女は間違いなく、転生についてを口にしていた。
「『あのとき、あなたを、見付けていなければ……』」
レオナルドは、静かに瞑目する。
「……ごめんな。『フランチェスカ』」
前世でレオナルドを見い出したのだと、フランチェスカは教えてくれた。
駅と呼ばれる雑踏の中、そこに掲げられたレオナルドの姿を見て、この世界のゲームを選んだという。
「こんな世界に君を引き摺り込んだのは、確かに俺だったのかもしれない。平穏を願っていた君の運命に、棘だらけの薔薇を這わせてしまった」
本当は、憎まれて当然の存在なのだ。
「その上に、俺は」
美しい赤色の髪を撫でながら、愛おしい女の子に罪を宣う。
「……君をこの世界に堕とすことが出来て、心から幸福だと感じている」
「…………っ!!」
そのお陰で、たったひとつの光に出会えたのだ。
「……さいてい……」
「ああ」
心の底から同意して、レオナルドは自嘲の笑みを浮かべる。
「俺もそう思うよ。だからこそ俺の全てを懸けて、この世界で君を幸せにする」
「……離して」
洗脳されたフランチェスカの両手が、レオナルドの体を押しやろうとした。それに従うことなどせず、ますます強く抱き締める。
「君の幸せを望まない運命は、俺が必ず変えてあげるから」
「嫌……!! 私は、クレスターニさまの居ない場所で、幸せになんかならない……」
「フランチェスカ」
抗おうとする彼女の耳に、もう一度いつかの言葉を重ねた。
「俺は、君のことが好きだよ」
「…………っ」
レオナルドの腕から逃れようとしながら、フランチェスカの手が上着を掴んでくる。
「やめて。お願いだから、私を諦めて。もう嫌……!!」
そうして矛盾する言動の中、透き通った音が紡がれた。
「……『レオ、ナルド』……!!」
「――――!!」
泣き出すのを我慢するかのような、小さく震える声がする。
それと同時に、レオナルドの頭の奥で痛みが響いた。これまでのものとは全く違う、殴り潰されたような衝撃に、レオナルドは短く息を吐く。
(くそ。……これは、まずいな)
同時に、フランチェスカが呟いた。
「――でも。でもね、レオナルド」
「!」
レオナルドを拒もうとしていた腕が、今度は背中に回される。
「あなたが……」
レオナルドの胸に頬を擦り寄せ、フランチェスカが愛らしく言った。
「――こうやって私に裏切られて死ぬのは、面白そう!」
「…………」
背後に立った神父たちが、一斉に銃口をこちらへ向けた。
(馬鹿だな)
レオナルドは静かにそう考える。強い痛みの中、何処か朦朧と思考を回す感覚は、いつかの炎の中と似ていた。
(俺が『お前』に裏切られるなんて、そんなことは有り得ない。……こうした隙を狙っていることなんて、最初から分かっていたんだから)
敵を殺さずに防御できるようなスキルの類は、すべて持続時間が切れている。それでもレオナルドは、銃撃を避けるつもりはなかった。
(回避すれば『君』に当たる。俺が施した結界に守らせて、結界を壊す可能性を増やしたくもない)
結界スキルは完璧ではなく、一定の確率で解除される。
「あはははははっ!!」
レオナルドに出来る選択は、ただひとつだ。
「このままここで、死んでほしいな。お願い、レオ……」
(フランチェスカ)
その瞬間に響いたのは、金属が爆ぜる高い音だ。
「…………え?」
フランチェスカが瞬きをしたのは、神父たちが倒れ込んだからだろう。
銃声は起きない。その代わりに、剣が鞘へと仕舞われる音がする。
(君は、自分の父親が頻繁に煙草を吸うことも、敵とどのように戦うかも知らない)
だからこそ、洗脳されたフランチェスカが、この展開を予想することはなかったはずだ。
(――銃でさえ、斬り壊してしまうということも)
フランチェスカを深く愛する父親が、娘をどう大切にするかを考えて、徹底的に守り育ててきた結果なのである。
「……私は、お前にどれほど謝っても足りないことをした」
「パパ……?」
雪の上に、斬り裂かれた銃の破片が落ちる。
銃にすら勝る剣術を持つ男も、たったひとりの娘には、なにひとつ敵わないのだろう。




