316 人形と薔薇
「…………」
「セレーナの一族が絶えたあと、ここは王家の所有地となりました」
レオナルドは、にこやかなままで門を潜る。
教会は既に閉所の時間で、礼拝者の出入りはない。中庭を経由して聖堂に向かう造りになっているが、雪についた足跡もまばらだった。
「セレーナ領がその後どうなったのか、俺たちの意識からは抜け落ちていた。この教会は王都の一部として、当たり前に機能を続けていたようです」
いつかの日、兄と話したことを思い出す。
『にいさん。きょうは、セレーナの屋敷で遊ぶんじゃなかったの』
『国王陛下のご訪問が決まったそうで、中止になったんだ。いつもの別荘も、使用人が割けないから駄目だって』
『ふうん……』
子供だったレオナルドは、あまりセレーナの家が好きではなかった。
それに比べれば、ロンバルディの図書室の方がずっと良い。そんなことを口には出さず、黙って兄に頭を撫でられる。そんなレオナルドの視線の先に、ひとりの少年が存在していた。
その少年も、やがて十歳になったレオナルドが、ちゃんと殺したはずだったのに。
「……フランチェスカは、ここに居るのか」
エヴァルトの問いに、レオナルドは首を横に振る。
「今はまだ」
「ならば」
深い溜め息をついたエヴァルトが、銀色の筒を取り出した。
その中に吸い殻を放り込むと、ぱちん、と音を立てて閉ざす。
「――まずは、ここに居る連中を片付けるぞ」
「…………」
中庭を囲む回廊の、柱の影がゆらりと揺れた。
歩み出てきたのは、虚ろな目をした聖職者たちだ。一様に貼り付けたような薄笑みを浮かべ、レオナルドたちを取り囲む。
「二十人。さくっと殺せれば楽ですけど……」
「馬鹿を言うな。フランチェスカの意に反する」
「ははっ」
分かりきった応酬を遮って、頭上にいくつもの光が瞬く。
直後、そこから具現化した火の槍が、こちらへ降り注いできた。
レオナルドは笑って右手を翳し、炎のスキルを使用する。吹き上がった炎が大蛇となって、槍を一瞬で消し炭にした。
その攻撃を掻い潜るかのように、別の神父がスキルを放つ。
「死ね……!」
こうした洗脳中でもなければ、聖職者からは聞けない暴言だろう。レオナルドは笑い、放たれた光弾を土壁で弾く。
直後、隆起した地面を踏み台にして、エヴァルトが敵の中に飛び込んだ。
「が……っ!!」
スキル『剣聖』によって操られた剣先が、洗脳された神父の腹にめり込む。鞘から刃は抜かないまま、的確な一撃と共に失神させて、エヴァルトはレオナルドにこう告げた。
「拘束しろ」
「はいはい」
ぱきん! と高い音を立てて、中庭の一角が凍り付く。レオナルドが、十人ほどを一気に氷の枷で留めるのと入れ違いに、別の神父が指を鳴らした。
途端、敵の不快な音が空気を揺るがす。
「!」
「うるさ……」
レオナルドは自身の両耳を塞ぐと、靴の踵をとんっと鳴らして後ろに退いた。防護用の土壁が崩れ落ちると同時、それを死角に飛び出した蔦が、他の数人を絡めとる。
「お義父さま。右手前方」
「分かっている」
一発、二発、三発と、神父たちの銃声が辺りに鳴り響いた。けれどもそれはすべて外れ、エヴァルトの振り下ろした剣によって、敵がまたひとり地面に伏す。
(俺が持っているスキルの大半は、殺傷力が高すぎるものばかりだ)
神父たちとの戦闘に対処しながら、レオナルドは目を眇めた。
(フランチェスカの信条に反さないスキルとなると、使えるものは限られる。……カルヴィーノに戦闘の大半を預けられるのは、都合が良い)
それでも恐らく、エヴァルトは勘付いているだろう。
レオナルドのスキルが、到底三つに収まっていないことや、部下のスキルを使わせている訳ではないこと。複合型スキルなどではなく、四種類以上の異なるスキルを使用していること。
(この世界の人間は、たとえ王族であろうとも、最大三つまでのスキルしか生まれ持たない)
『死体からスキルを奪うスキル』を持つレオナルドは、そんな世界の原則からすれば、異常とも呼べる存在だ。
(俺が明らかにおかしいと気付いているのに、指摘してこないのは……自分の娘が、同じように『世界における例外』スキルを持っているからか)
フランチェスカ自身は、恐らく今でも自覚していない。
彼女のスキルは、他者のスキルに影響を与えるものだ。スキルの強さは生まれ持ったものから変わらないという、この世界に原則に干渉している。
しかし、フランチェスカのスキルには『もうひとつ』、この世界の法則から外れている点があった。
(……本当に、この世界は忌々しく出来ている)
「アルディーニ」
レオナルドは返事をする代わりに、スキルの使用でエヴァルトに応えた。雷鳴と共に、神父たちの間へ閃光が走る。
「ぐああっ!!」
それと同時、エヴァルトが右手に剣を構えたまま、左手で外套の中の銃を抜いた。
レオナルドに襲い掛かろうとしていた神父たちの、その足を淡々と撃ち抜いてゆく。スキルとは別の腕前を知っていたレオナルドは、わざと明るく笑った。
「さすが。フランチェスカの射撃の技術は、あなた譲りだ」
「自分を守る手段を教えるのは、親の義務だからな」
「はは。ノーコメント!」
その守り方は少々ずれていると思うが、束縛めいたスキルでフランチェスカを囲うレオナルドも、正常だとは言えないのだろう。洗脳された人間たちとの戦いの中で、レオナルドはつくづく実感する。
(俺たち『裏』の人間は、人を愛すときも何処かおかしい)
挙げ句の果てに、こうして奪われている始末だ。自嘲の笑みを浮かべながら、生まれる痛みを抑え込んだ。
(……ああ、くそ)
頭の奥が、ぐちゃぐちゃに擦り潰されているような感覚がある。
(煩わしいな)
ダヴィードのスキルを受けた代償と、フランチェスカに施したスキルの長期使用。戦闘によるスキルの多発と、単純な休息不足。それらの負荷が、レオナルドに警告を向け続けていた。
(……フランチェスカの為ならば、壊れてもいい)
はっと短く息を吐き、レオナルドは目を閉じる。
次の瞬間、ひとつの気配が生まれたことを察知して、弾かれたように振り返った。
「――――……」
「アルディーニ! 余所見を……」
エヴァルトが、レオナルドと同じく聖堂を見上げる。彼が息を呑む気配を感じながら、レオナルドは静かに目を眇めた。
「……あーあ」
転移スキルによって生じた光が、残滓となって夕暮れへと溶けてゆく。
聖堂の前に現れた人影は、レオナルドが知らないドレスを纏っていた。黒い裾をふわりと揺らし、同じ色の靴で雪に跡をつけて、こちらにゆっくりと歩いてくる。
「神父さまたち、動けなくなっちゃった。全部、ふたりが壊したの?」
その声は、冷たい響きを帯びていた。
「わあ、すごい、ちゃんと生きてる。だけどクレスターニさまのお人形なのに、勝手に遊んで駄目にしちゃうなんて……」
空を映した水色の瞳も、薔薇の妖精のような美しい髪も、レオナルドの愛おしい女の子そのものだ。
けれども明確に違うのだと、その表情でよく分かる。
「あなたたち、やっぱり悪い人なんだ」
「――フランチェスカ」
洗脳された『フランチェスカ』が、妖艶さを帯びた微笑みを浮かべた。




