310 軽薄な男
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「――俺の頭を、壊してみてくれないか」
「…………」
ラニエーリ家の応接室で、ソファーの向かいに座ったアルディーニを、ダヴィードは静かに睨み付けた。
「……どういう了見だ」
「聞こえなかったか? 『試してみたいことがある』」
右手のソファーでやりとりを見守っている風紀委員は、今のところは何も発言しない。ダヴィードは全てに苛立ちを感じながら、その場から立ち上がる。
「帰れ。あいつの捜索に無関係の話なら、お前に用はねえんだよ」
「ははっ、気が短いな。そんな様子じゃ、ラニエーリ家が信条とする優美さとは程遠い」
「……お前こそ、随分と余裕があるようだな」
テーブルを蹴り飛ばしてやりたいのを堪え、アルディーニを見下ろした。
「あいつが今どんな苦痛の中にあるのか、お前には想像も付かねえだろ。無駄話をしている時間があるなら……!」
「無駄かどうかは、お前が決めることじゃあないかな」
「ああ!?」
「アルディーニ」
溜め息をついたセラノーヴァが、ダヴィードの味方のような顔をして言う。
「ダヴィードの苛立ちも当然だ。まずは、俺たちに説明をしろ」
ここに連れて来られたセラノーヴァも、アルディーニの目的を聞いていないらしい。
「俺はてっきり、ダヴィードの持つ『真実の姿を暴く』スキルで、フランチェスカの洗脳解除を試みるのだと思っていたが。違うのか?」
(そうだ。……洗脳なんざ、俺のスキルで消してやる)
ぐっと両手を握り締め、甲へ血管が浮くほどに力を込める。
(あいつが俺に教えてくれた能力だ。このスキルに、異常を正常に戻す力があるのなら、洗脳にだって……)
「駄目だ」
「……なに?」
アルディーニがはっきりと述べた否定に、セラノーヴァが渋面を作った。
「そのスキルを、フランチェスカに使うことは許可しない。フランチェスカに施したスキル防御の結界は、ダヴィードを拒む」
「……てめえ……」
言いようのない憤りが込み上げてきて、ダヴィードはアルディーニの襟首を掴んだ。
「いい加減にしろ……!! あいつを管理下に置いて、自由にできる支配者にでもなったつもりか!? 誰がお前の許可なんざ必要とした、俺はあいつを……!!」
「ダヴィード、やめておけ!」
「――なんであろうと」
アルディーニはその顔から微笑みを消し、冷めた表情でダヴィードを見遣った。
「フランチェスカにどう影響するか分からないスキルの使用を、俺が認める訳がないだろ?」
「何を、訳の分からねえことを……」
反論をしようとしたところで、ダヴィードは顔を顰める。
(……あいつに何か、秘密があるのか?)
真実の姿を暴くことが、フランチェスカに悪影響を及ぼすとでも言うのだろうか。
ダヴィードが見てきた限り、彼女は嘘を吐くことが出来ない。大きな秘密や隠し事を抱えているようにすら見えないほど、純粋に透き通った女性のはずだ。
(アルディーニは知っている。俺の知らない何かを)
アルディーニは、ダヴィードに襟首を掴ませたまま立ち上がると、目線をこちらに合わせて笑った。
「そもそもお前は、洗脳された状態のフランチェスカに会うべきじゃない。ダヴィード」
「あ?」
ダヴィードの手に、アルディーニが自身の手を重ねる。
「誰かがフランチェスカのために心を痛めれば、フランチェスカ自身がさらに悲しむ」
「…………」
「お前が何を見ても傷付かないなら、本当はもっと楽なんだが」
アルディーニはわざと揶揄うような口ぶりで、ダヴィードの手を離させた。どうしてかそれに抗う気の起きなかったダヴィードは、代わりに尋ねる。
「……そう言うお前は、洗脳されたあいつを見たんだろ」
「ああ」
「お前の敵になったあいつを。だったらお前こそ――」
「俺は、フランチェスカじゃなくなった彼女には、傷付けられることはないよ」
言い切って、アルディーニは再び軽薄に笑った。
「だから、この捜索で最前線に立つべきは俺だ。――父親のカルヴィーノでもなければ、お前でもない」
「……ふざけんな……」
腹の奥底で煮えるのは、やはり痛烈な苛立ちだ。
「アルディーニ。殺気を抱えた状態で、余裕があるふりすら危うくなっているお前が、そうやって全てを被る気か?」
「おい……冷静になれ、ダヴィード」
「俺はガキの頃、自分から望んでクレスターニに洗脳された身だ。言ってみれば『裏切り者』と変わらねえ、本来ならあいつに心配されるような立場ですら無い、分かってんだろ!!」
「ダヴィード!」
「…………っ」
風紀委員が、静かな声音でこう言った。
「本当は、お前も自覚しているのだろう。フランチェスカを案じるからこそとはいえ……」
(…………くそ)
客観的な指摘を受けて、それを認められないほど子供ではない。
(分かってる、これは八つ当たりだ。俺がいま一番ムカついているのは、アルディーニやクレスターニ相手にじゃなく……)
やるべきことは、無力さを嘆くことでも、自暴自棄な怒りを振り撒くことでもない。
「…………アルディーニ」
ダヴィードはソファーに腰を下ろし、アルディーニに尋ねた。
「全てを話せとまでは言わねえから、せめて分かるように説明しろ。……俺に、何を望んでいる?」
「真実の姿を暴くスキルだが」
アルディーニはにこっと笑い、ダヴィードの左胸辺りを指さした。
「フランチェスカへの使用は許可できない一方で、それ以外の人間を使った検証には興味がある」
「……おい。待て」
アルディーニの言った言葉を思い出して、嫌な予感が湧き上がってくる。
「お前の頭を壊してみろって提案、まさか……」
「恐らくクレスターニは、この国の大多数の人間に記憶操作を施している。そのスキルが掛かっていない状態が『真実の姿』と呼べるなら、お前のスキルによって欠けた記憶が戻る……かもしれない」
この男にしては曖昧な物言いだ。だからこそ、『検証』と表現したのだろう。
しかし、安易に頷くことなど出来なかった。
「クレスターニがわざわざ消した記憶だぞ? 他のスキルで補完させることに対して、対策を講じていない訳がねえだろ」
「そうだな。下手に弄った場合、脳がどうなるかは未知数だが」
アルディーニは、続いて自身の頭を指で示す。
「壊してしまってもいいから、やってみてくれ」
「……お前……」
本当に、何を考えているのだろうか。
アルディーニは、軽薄な笑みの中に何処か暗い影を滲ませて、ダヴィードのことを見据えるのだった。
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