307 嫌いなもの
ルキノに連れて来てもらった食堂は、二階にある大きな部屋だった。
何度目かの探索の際にも訪れて、フランチェスカの頭の中に記憶されている場所だ。暖炉には既に火が焚べられており、部屋の中は暖かい。
中央に据えられている長方形のテーブルは、艶やかに磨かれたマホガニー製だ。彫り込み細工は繊細で、長年よく手入れされているのか、深みのある飴色をしている。
冬らしい緑色のカーテンに、それと統一された緑の絨毯で、全体的に落ち着いた印象の食堂だ。
それでも華やかな空間に見えるのは、壁や窓枠に金の装飾があることに加え、天井の一面に花々が描かれているためだった。
(どこもぴかぴかにお掃除されてるけど、新しく建てられたお屋敷じゃない。ここがファレンツィオーネ国の敷地内なら、長く続いている有力貴族の領地だけど……)
椅子の後ろに立ったルキノが、面倒臭そうな顔でフランチェスカを呼ぶ。
「何してるの? 早く来なよ」
「ルキノこそ、そんな所に立ってどうしたの?」
「はあ?」
ルキノは顔を顰めると、重い椅子を少し後ろに引きながら言った。
「座って」
「…………」
その振る舞いに、フランチェスカははっとする。
(…………エスコートだ!!)
男性が女性のために椅子を引くのは、社交界の流儀のひとつだった。
レオナルドも父もグラツィアーノも、フランチェスカのためにそうしてくれる。だから初めての経験ではないのだが、ルキノと結び付かなかった所為で、反応するのが遅れてしまった。
「ごめんね、ありがとう!!」
「ふん」
むすっとしたままのルキノに感謝しつつ、フランチェスカは着席した。
(気のせいじゃなかったら、照れ臭そうに見えるような……)
「じゃあね。大人しくしてなよ」
「え……」
ルキノがその場を去ろうとするので、驚いて彼を呼び止めた。
「ルキノはここで食べないの?」
「はっ、君も物好きだね。ひとりでのんびり食事をする機会をあげようとしてるのに、わざわざ呼び止めるなんて」
「…………」
どうやらルキノは、フランチェスカをひとりで行動させてくれるつもりのようだ。フランチェスカの動きを把握できる自信があるということは、この食堂にも盗聴スキルを仕掛けてあるのかもしれない。
(私ひとりにならないと調べられないことも、きっとたくさんある……だけど)
フランチェスカは微笑んで、ルキノに告げた。
「物好きでもいいよ。ルキノ、一緒に食べよう?」
「……君、本気で言ってるの?」
「もちろん!」
まとまった時間で単独行動をするためにも、いまは信頼してもらう段階だ。
過去の誘拐の経験からも、誘拐犯側の隙が生まれる瞬間が必ずあることを、フランチェスカは知っている。
(だけど)
それだけが、ルキノを引き留めた理由ではなかった。
「私はもっと、ルキノの話が聞きたい。……駄目かな」
「…………」
ルキノがひとつ溜め息をついた。
その上で随分と不機嫌そうに、フランチェスカから見て真向かいの、一番遠い席へと座る。
「まったく理解できないな」
「ふふ! 相互理解の甲斐がある、ということだね」
「全然そういう話はしてない」
そんな皮肉を向けられながらも、食事の時間が始まった。
「…………」
フランチェスカが最初に息を呑んだのは、配膳に出てきた黒服の男性が、何処か虚ろな目をしていたことだ。
(……この人たちも、洗脳されてる)
優雅な微笑みや、皿を出すときの一挙一動に至るまで、彼らの動きはそつがない。
けれども明らかにおかしいのだ。統制された人形のように、余計な物音はひとつも立てないままで、芸術品のような食事が運ばれてくる。
(この屋敷で、自分の意思に沿って動けるのは、クレスターニの信奉者だけ)
そんな状況下で、フランチェスカは明らかな異物だった。
(私が自分の意識を取り戻せているのも、クレスターニのスキルを『変化』させたから?)
ソースの掛けられたチキンを切り分けながら、フランチェスカは眉根を寄せる。
(……いまだって。もしかしたら、私自身の意思なんか何処にもなくて、こうしてルキノとご飯を食べているのもクレスターニの支配下で……)
そんなことを考えて、一度目を閉じる。
(――そうだとしても、関係ない!)
振り切って、フランチェスカは顔を上げ、微笑んだ。
「これ、すごく美味しいね! ルキノも美味しい?」
「クレスターニさまのお慈悲だ。極上の味に決まってるだろ」
実際の味の感想というよりも、決定事項を述べるかのような物言いだ。
「ルキノは本当に、クレスターニが大好きなんだ」
「……文句でも?」
「ううん。ただ、知りたいの」
フランチェスカはお皿の端へ、ナイフとフォークをゆっくりと置いた。
「私がルキノについて知っているのは、ママが生まれた隣国の王子さまだっていうこと。クレスターニを信奉していて、反対に……」
以前ルキノが口にしていたのは、とある人物への禍根の言葉だ。
「私たちの国王、ルカさまのことを嫌っている」
「――――……」
ルキノの赤い瞳が、静かにフランチェスカを見据える。
「この国ファレンツィオーネを、壊したいの?」
ファレンツィオーネを守る家、カルヴィーノ家のひとり娘として、隣国の王子に問い掛けた。




