288 守ってくれる
クレスターニは、フランチェスカの父と同じ色の瞳を楽しそうに細め、ゆっくりと立ち上がる。
「君への洗脳は、随分と面白い効き方をしている」
「……来ないで」
その片目から視線を逸らさず、フランチェスカは僅かに後ずさった。
周囲にはルキノを含め、クレスターニの配下が控えている。複数の監視のまなざしの中、それでもたったひとりの男が放つ空気が、この部屋を支配していた。
「分かっているさ。きっと、俺の洗脳スキルを捻じ曲げたんだろう?」
「…………」
その話し方は朗らかで、人懐っこい印象すら受ける。
それなのに、何処か冷たくて恐ろしい。こうした雰囲気を纏う人を、フランチェスカは他にも知っている気がした。
それが一体誰なのか、どうしても頭に浮かんでこない。
「君はあのとき『賢者の書架』で、自分から俺に洗脳されることを選んだが……」
その言葉に、内心ではっとする。
(やっぱり。あの前後の記憶が飛んでいる所為で、自分が何をしたかの自信はなかったけど)
先ほど意識を取り戻した後、その可能性は頭によぎっていた。
(きっと私は、自分からクレスターニの洗脳を受けることを選んだんだ。洗脳下から抜け出して、レオナルドやパパたちの所に戻ったとき、クレスターニの情報をひとつでも持って帰れるよう)
その方法が浮かんだのは、ダヴィードという前例を知っているからだ。
女性当主ソフィアの弟は、幼い頃に姉を守るため、クレスターニの駒になることを選んだ。その結果か、ダヴィードにはクレスターニの記憶のうち、いくつかの断片が残されたのである。
「あれは愉快な状況だったな。君は健気にも『洗脳を受け入れるから、他の人間には手を出すな』と啖呵を切った」
その行動を選んだ理由は、後から想像しても明白だ。
(きっとどれだけ抵抗しても、『賢者の書架』でクレスターニに洗脳されることは、避けられなかったはず。レオナルドの結界も、全部を完璧に防ぎ切れる訳じゃない)
結界は、レオナルドが他者から奪ったスキルだ。恐らくは、クレスターニの洗脳スキルの方が勝るだろう。
(それなら今の私でも、抵抗して結局洗脳されるより、記憶が残せるかもしれない方を選ぶ)
そんな場面の想像を浮かべ、ここにいる理由について納得した。
(……私が望んで受けたから、レオナルドの結界は、反応すらしなかったんだ……)
そのときのクレスターニは恐らく、面白がるように笑い、フランチェスカの提案を飲んだのだろう。
「だが、ひどい話だ。君は俺の手を掴んで、騙し討ちのようにスキルを使った」
「……防ごうと思えば、それくらい簡単に防げた癖に」
「ははっ!」
正面に立ったクレスターニは、前髪で顔の片側を隠したまま、こちらを覗き込んでくる。
「他者のスキルを増強するスキルと、複合的な効果を追加するスキル。更には、これまでと異なるものに、変化をさせてしまうスキル……」
「!」
「ああ」
手袋に覆われたクレスターニの手が、フランチェスカの眼前に広げられる。
「……本当に君は、退屈しない」
「…………っ」
その瞬間だ。
「!!」
クレスターニを拒むように、結界の光が彼を弾いた。
「クレスターニさま!!」
「このガキ、ボスに何を……!!」
周囲の青年たちが一斉に、フランチェスカへと銃を向ける。そして彼らは躊躇なく、何発もの銃弾を撃ち込んできた。
けたたましい銃声が立て続き、結界がそれを拒絶する。ばちばちと光が迸り、フランチェスカの周囲を渦巻いた。フランチェスカはその中で、クレスターニを見据え続ける。
「……はは。驚いたな」
フランチェスカへの銃撃が止んだのは、クレスターニが右手を挙げたからだ。
「いくら結界が弾くとしても、こんなに撃たれては怖いだろうに。銃弾の雨が降り注ぐ中、まばたきひとつしないとは」
(だって)
フランチェスカは、心から信じている。
(――レオナルドが私を守る結界は、銃なんかに負けない)
もうひとつ、これで得られた確証もあった。
(こんなに強力な物理攻撃を弾く結界なんて、いつのまに掛かってたんだろう? ……やっぱりレオナルドは、私が知らないスキルも使って、守ってくれてる)
「だが……」
「!?」
クレスターニが微笑んだ。
直後、フランチェスカの足から力が抜けて、がくんとその場にくずおれる。
「謝るよ、可愛いフランチェスカ。せっかく俺のもとに来てくれた君に対し、『ルール』を教え忘れていた」
「っ、う…………」
絨毯についた両手が、小さく震えた。
「俺に危害を加えようとすると、君には罰則が発生するんだ。俺の忠実な部下たち以外にも、この屋敷に施した各種の結界……」
その手で銃を形作ったクレスターニが、指先を自身のこめかみに当てる。
「それから、君の頭の中に仕込んである、その『命令』によって」
(……体が、動かない……!)
以前にも、この感覚に支配されたことがあった。
(初めての夜会で、レオナルドに支配スキルを使われた。あのときと、おんなじ……!)
「さっきの拒絶は不可抗力だろうから、これくらいで許してやりたいんだが」
(屈服しそう。跪いて、この人の手を取って……心からの忠誠を誓うと、そう示したくなる)
クレスターニは両手を上着のポケットに入れ、フランチェスカを見下ろして、声音だけはやさしく告げてくる。
「罰則の反動を制御するのが面倒なんだ。……ごめんな?」
「…………っ」
フランチェスカは短く息を吐き、再びクレスターニを見上げた。
そして、フランチェスカの父と同じ色の瞳を、下から真っ直ぐに睨み付ける。
「……あなたは」
「お?」
「レオナルドや、うちのパパを攻撃するために、私を洗脳した訳じゃない……」
頭の奥に、締め付けられるような痛みを覚える。
それでも絶対に気圧されないよう、前世の祖父に教わったことを、改めて自身に言い聞かせた。
(大事なのは度胸。見栄を張る、自分を鼓舞する! 私には、戦うような力はないけれど……)
深く呼吸をしたあとで、ゆっくりと紡ぐ。
「私の、スキルに興味を示したふりなんかして、それも嘘」
強い頭痛に阻まれて、顔を顰めてしまいそうだ。
それでもフランチェスカは顔を上げ、笑顔を作る。
「あなたは『私』が欲しいはず。――国王ルカさまの、切り札が」
「…………ははっ!」
クレスターニが膝をつき、フランチェスカの顔を覗き込む。
「……何も分かっていないのに」
「…………っ」
前髪に隠れた側の瞳も、フランチェスカを見据えていた。
「随分と可愛いはったりだな? フランチェスカ」
(……やっぱり、押し通せないよね)
それでもフランチェスカは笑み続ける。そして、クレスターニに告げるのだ。
「私自身が目的じゃないって言い切るなら、賭けをしませんか?」
クレスターニはくすっと笑い、何処か甘い響きを帯びた声で言った。
「……この状況で、面白いことを言う」




