284 ファレンツィオーネの剣
レオナルドが白い息を吐き出す一方で、エヴァルトは紫煙を煙らせる。
夜の川にミルクを流したかのように、細い煙が空気を染めて、やがて透明に掻き消された。
(本来ならカルヴィーノにも共有して、手段を増やしておきたいところだが)
レオナルドは、再び漂ってきた煙に指を伸ばす。
実態のない白い糸を掴み、遊ぶふりをしながら微笑みを作った。
(シナリオの監禁役がクレスターニに変わったところで、カルヴィーノを完全に信用する理由にはならないよな)
フランチェスカが語った『五章の主軸』は、エヴァルトへの疑念を残すのに十分な根拠だ。
(まあいいか。今はそれよりも……)
そのときだった。
予想していた通りのタイミングで、粗暴な男の声がする。
「――なあ、そこの別嬪さん」
「…………」
レオナルドが外套のポケットに手を入れたまま振り返ると、四人の男たちが笑っていた。
酒場の中で視線を向けてきていた連中が、分かりやすく追って来ていたのだ。面倒で放置していたが、やはり対応は必要らしい。
「見掛けねえ顔だな。夜道は危ないぜ、そんな良い服着て歩いてちゃあ駄目じゃねえか」
(そういえば、あの店に出入りするのも久し振りだったな)
フランチェスカと出会ってからは、レオナルドもまるで普通の生徒のように、極力学院へ顔を出していた。
自分が直接動くことは、元より少なかった自覚があるが、フランチェスカの傍に居るようになってからは尚更だ。
(君が居ないと、こうした変化も元通りだ。……フランチェスカ)
「俺たちにも金を恵んでくれるだろ? なあ」
「安心しろ。大人しくしてりゃ、痛いことをしたりはしねえからよ」
男のひとりが、懐から銃を覗かせる。
「金目のものと、財布を置いて行ってくれりゃあいい。もちろんお前さんだけじゃなく、あっちの連れの男も――」
「『ヴァレンティーノ』」
先を歩いていたエヴァルトが足を止め、少し呆れた様子で振り返った。
「……何をしている?」
「すみません。掃除というのは毎日しないと、あっという間に汚れるようで」
レオナルドはひょいと肩を竦める。男たちは僅かに眉根を寄せ、こちらを取り囲むように近付いてきた。
「おい。聞いてんのか?」
煙草を指に預けたエヴァルトは、構わずレオナルドに釘を刺す。
「くだらない人間を増長させたな。この近辺は、お前の家の管轄になっているはずだが?」
「こんなゴロつきの排除に割く人手があったら、今はすべてを『薔薇』の捜索に捧げますよ。こうやって変な虫が湧いたとしても、片手間に処分するので十分でしょう」
「てめえら……!」
話の詳細は分からなくとも、侮辱されたことぐらいは察する脳があったのだろう。男たちが銃を構える中、レオナルドはエヴァルトに笑って告げた。
「ちゃんと片付けておきますので、お父君は先にお帰り下さい」
「…………」
するとエヴァルトは目を閉じて、大きく息を吐き出すのだ。
「こいつらは私が処理をする」
「おや?」
レオナルドが首を傾げたのは、心から意外だったからだ。
しかしエヴァルトは、くちびるの煙草を左手に預けながら、右の手を静かに前へと伸べた。
「だから、子供は退がっていろ」
「…………へえ」
レオナルドが本当の子供だった頃は、唯一対等な目線を送ってきた男だ。
それなのにいまは子供扱いをされ、つくづくよく分からないなと内心で思う。男たちはそんなエヴァルトを鼻で笑い、銃口を向けた。
「なんだ、銃かスキルでも持ってんのか? だとしても、この人数に囲まれて勝てる訳が……」
「ははっ!」
誂えたような三下の台詞に、レオナルドは目を細める。
「そんな御託を並べる暇があったら、さっさと引き金を引けばよかったな?」
「何を、ふざけたことを……!!」
「とはいっても」
「!!」
男たちの双眸に、動揺が見える。
「銃程度、この人には通用しないんだが」
「な……」
エヴァルトの手に集まった青白い光が、ひとつの形を成し始めたからだ。
(カルヴィーノの持つ、スキルのひとつ)
「おい、お前ら早く撃て!!」
「待ってくれ!! なんだこの緊張感、手が震えて……!!」
(戦闘特化型としてはこの大陸でも最上級を誇る、もはや称号とすら呼べるもの)
エヴァルトの手に握られた細身の長剣に、レオナルドは目を細めた。
(――スキル、『剣聖』)
ひゅっと風を切る音と共に、エヴァルトがその切先をひとりに向ける。
月の明かりに照らされた刃が、淡く銀色の光を放った。震える男が引き金を引こうとしたその瞬間、エヴァルトの姿が消える。
「か……っ!!」
血の飛沫が、白い雪を鮮烈に染め上げた。
「な、なんだ!? いま一体、何が……ぐああっ!!」
(銃だろうがスキルだろうが相手にならないほどの、剣術の繰り手。なるべくなら俺もこの男は、戦闘相手に選びたくない)
「撃て!! とにかく撃て、ぼさっとするな!! おい、お前も早――――……」
四人目の男は、自分が最後のひとりになっていたことに、気付くことすらなかったのだろう。
間合いに踏み込んだエヴァルトの剣が、無感動に真横へと薙がれる。外套の長い裾が風に翻り、まるで一枚の絵画のようだ。
(これが、このファレンツィオーネ国の、最強剣術スキルの使い手……)
レオナルドは、再び煙草を咥えたエヴァルトの背に、彼の異名を想起する。
(――ファレンツィオーネの剣と呼ばれる、カルヴィーノ家の当主)
静寂の戻った裏路地で、雪の色合いだけが騒々しい。
この光景に釣り合う賛辞を贈るべく、レオナルドはぱちぱちと拍手を鳴らした。
「お見事。さすがはフランチェスカのお父君だ」
「『回収業者』に連絡を回せ。心にもない世辞を言っている場合か」
「ひどいなあ。これは本心なのに」
エヴァルトの表情は変わらない。呻き声と赤い血の中にあっても、水色の瞳は淡々としたままだ。エヴァルトは、スキルによって生み出されたその剣を、邪魔そうに霧散させた。
(俺は時々見る光景だが、フランチェスカには見せたことがない顔だろうな。……俺たちはどちらもフランチェスカのために、まともな人間のふりをしている)
そのことがどうにも面白く、レオナルドは笑う。
(『忠誠』を信条とする、カルヴィーノ家の当主。あなたの強さは俺にとって、ともすれば不都合なものだ)
思い出すのは、フランチェスカから告げられたストーリーのことだった。
(なにしろゲームの五章は、裏切りの物語。シナリオで、ファレンツィオーネ国王ルカに対する反逆を疑われるのは……)
こちらを見遣ったエヴァルトに、レオナルドはくちびるで微笑みを返す。
(エヴァルト・ダンテ・カルヴィーノ。あなただからな)
***
X(Twitter)で次回更新日や、作品の短編小説、小ネタをツイートしています。
https://twitter.com/ameame_honey
よろしければ、ブックマークへの追加、ページ下部の広告の下にある★クリックなどで応援いただけましたら、とても励みになります!




