280 心から愛する君への
【第五部 プロローグ】
フランチェスカの美しい瞳は、いつだって真っ直ぐな光を湛えていた。
「……ゲーム?」
こうして洗脳されていても、眩いほどの強さは変わらない。レオナルドは笑い、彼女の華奢な手首を掴む。
「やっぱりシナリオ通りになるんだな。フランチェスカ」
「…………っ」
無理矢理に引き寄せようとすれば、フランチェスカはレオナルドを強く押しやり、拒むようにソファーから立ち上がった。
「触らないで」
「ははっ」
鋭いまなざしに射抜かれて、レオナルドはことんと首を傾けた。
「『賢者の書架』は、書物を守るための結界に包まれている。本に害を成すようなスキルを使おうとすれば、処罰の棘に貫かれるが……」
「!」
レオナルドがぱちんと指を鳴らせば、床から出現した蔦が、フランチェスカの右手に絡み付いた。
「対象が本でなく人ならば、使用自体は制限されない」
「…………」
ぎりっと小さく軋んだ蔦が、フランチェスカをレオナルドへと引き寄せる。それに抵抗するフランチェスカが、嫌悪のまなざしでレオナルドを睨んだ。
「――ああ」
なんだかいっそ可笑しくなって、レオナルドは笑った。
「俺と君は、どうあっても敵対する運命らしい。こんなイベントはさっさと終わらせて、正しいものに書き換えないとな」
「……さっきから、シナリオとか、イベントとか……」
美しい形の眉がひそめられ、嫌悪感さえ滲んだ視線が返される。
「あなた、いったい何を言ってるの?」
(……へえ)
その反応に、ひとつ新たな興味が湧いた。
(洗脳されたフランチェスカは、前世のことを覚えていないのか。転生者だという自覚も無く、ゲームを知らない……)
彼女の耳に揺れるのは、レオナルドが贈った耳飾りだ。黒薔薇と赤薔薇、小さな飾りが連なった造りの中で、片方の赤薔薇が砕けている。
「……さあ。なんの話だろうな?」
「…………」
レオナルドは、真意を取り繕うつもりもない笑みを浮かべた。
「おいで。フランチェスカ」
「…………来ないで」
レオナルドはソファーから立ち上がると、拘束したフランチェスカの方に歩みを進めた。
「カルロに診せて、その洗脳への対処を考えよう。クレスターニに乗った君の作戦を尊重してやりたい気持ちもあるが、やはりどうしても心配だからな」
「来ないでって、言ってるでしょ」
だが、そのときだった。
「……止まらないなら……」
「おっと」
ぱっと膝をついたフランチェスカが、自由な方の手をドレスの裾に滑らせる。
(……あれは)
彼女の左手に握られたのは、太腿のベルトに装着されていた、見覚えのある銃だった。
「私、もっと悪い子になっちゃうよ?」
「――――……」
銃口の先は、壁の書棚だ。
直後、結界の光が瞬いて、辺りに赤色が飛び散った。
「…………っ、あはは!」
フランチェスカの笑い声が、無邪気に響く。
絨毯に滴り落ちる血は、フランチェスカのものではない。彼女の盾とするために翳した、レオナルドの手から溢れたものだ。
「……やっぱり」
「…………」
自分のために傷を負ったレオナルドを前にして、フランチェスカは嬉しそうに笑った。
かつての夜会で、レオナルドがフランチェスカに貸した銃は、ずっと彼女のお守りだ。
「こうやって証明できて良かった。……あなたは洗脳された私であっても、傷付けられない」
「まあ、その身体は俺のフランチェスカのものだからなあ……」
レオナルドはわざと大袈裟に肩を竦め、杭の貫通した手を見下ろした。
「だが」
「!」
灼け付くような痛みの脈打つ手で、フランチェスカの顎を再び掴む。
「彼女の身体以外を傷付けることに、躊躇はない」
「……うそつき」
「嘘じゃないさ。フランチェスカに出会ったばかりの俺は、いくつも意地悪をしてしまった」
なにせ無断で彼女を攫い、婚約破棄をわざと拒んで、泣いて嫌がることを重ねようとしたのだ。
「――だから」
「!!」
ひとつ、スキル使用の光が走る。
「っ、うあ…………!!」
苦しそうにぎゅっと目を閉じたフランチェスカに、レオナルドは微笑んだ。
「これでも優しくしたつもりだったんだが。……だって、痛くはなかっただろ?」
「私に、何、したの……!」
「ひみつ」
わざと冗談めかして言えば、強い視線で睨まれる。これが本物のフランチェスカの感情であれば、どれほどレオナルドの心を揺らしただろうか。
「このまま『お前』を書架から引き摺り出して、手足の全部に枷をつけ、俺の寝室にでも閉じ込めてやろうかな」
「…………」
「いつかクレスターニも嫌気が差して、『お前』の洗脳を解くかもしれない。……そうなったら檻の中には、俺の愛おしいフランチェスカだけが残される」
レオナルドは、覗き込んだ水色の瞳に告げた。
「『君』と一緒に、ずっと居られる」
「…………分かってるでしょ?」
フランチェスカの細い身体を、淡い光が覆い始めた。
「こんな拘束も全部無駄なの。私は、クレスターニさまの所に帰るんだから」
「…………」
数日前、大聖堂の地下でも見たスキルだ。
クレスターニ側には、他者を転移させるスキルの所有者がいる。あのとき王子ルチアーノが消えたように、フランチェスカもここに留めてはおけないだろう。
「さようなら。次会うときは……」
「……『フランチェスカ』」
「!!」
彼女を強く抱き締めて、レオナルドは告げる。
「――――愛している」
「…………っ」
フランチェスカに想いを囁く度、何かに祈りたい気持ちになった。
祈りを捧げる相手など、レオナルドには他に居ないのに。砕けた薔薇の耳飾りが揺れる耳元で、やさしく紡ぐ。
「必ず君を迎えに行くよ。……この世界の、すべてと引き換えにしようとも」
「……レオ、ナルド……」
フランチェスカが何かを言い掛けた、その直後だ。
「――――……」
レオナルドの腕から、温もりが消えた。
賢者の書架に残されたのは、静寂だ。レオナルドは、彼女の髪色と同じ赤色が滴る手のひらを見下ろして、それをぐっと握り込む。
「……フランチェスカ」
そして、誓いを立てる騎士のように、絨毯の上へと片膝をついた。
そこに散らばる宝石の屑は、黒色を帯びた赤のガーネットだ。その欠片をひとつ指で拾い、窓に透かす。
「君が『使った』のは、黒薔薇ではなく赤薔薇の方か」
フランチェスカらしい選択に、レオナルドは笑みを歪める。
「こんな所まで、俺ではなく自分の方を犠牲にするんだな」
その欠片を、血塗れの手で握り込んだ。
選択するべきことは明白だ。レオナルドは静かに立ち上がると、賢者の書架を後にするのだった。
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悪党一家の愛娘 第5部開幕
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