279 「フランチェスカ」(第4部・完)
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「――フランチェスカ?」
賢者の書架を訪れたレオナルドは、こつりと靴音を鳴らして辺りを見回した。
(確かにここには、フランチェスカの気配がある)
フランチェスカがここに来たらしきことは、とあるスキルによる情報収集で分かっていた。
フランチェスカも同意の上で、彼女を守るために掛けているスキルだ。だからこそ、レオナルドが不在のときにここに来ていることが、レオナルドには少々意外だった。
(……俺に隠したいはずの調べ物を、どうして偽装せず行なっている?)
王城への訪問を終えたレオナルドは、そのまま真っ直ぐにこちらへ足を運んだ。
(あの本を、目にしてしまったかな)
約束の時間にはまだ早いが、フランチェスカを迎えに来るには十分な理由が、ここにある一冊に記載されている。
(やはり、この図書館ごと燃やし尽くせばよかった。まあ、それを試すだけ無駄なんだろうが)
そんなことを考えながら、ふと気が付く。
「んん……」
暖炉の前にある長椅子で、探していた女の子が眠り込んでいた。
僅かに息を呑むものの、眠っているだけだと分かって息を吐く。見たところ、彼女の手近に本がある様子はない。
「……風邪を引くぞ。フランチェスカ」
探し疲れて、ここで休んでいたのだろうか。
レオナルドは彼女の傍らに膝を突き、そっと頬を撫でる。
「……レオナルド……?」
「ああ。おはよう」
本当は、このままフランチェスカを連れ出したかった。
ロンバルディ家に与えられた入館証は、一度限りの特例用だろう。とはいえ、そうした小手先でフランチェスカを阻もうとしても、きっと必ず破られる。
「探し物か? だったら俺も、手伝おう」
「…………わたし」
「君がこの場所に望むものを、俺に教えて」
そうやさしく問い掛けながらも、本当は分かっていたのだ。
(俺は君から、その全てを――……)
そのときだった。
(……これは)
赤い絨毯に、同じく赤い宝石の破片が落ちていた。
レオナルドがそれに気が付くのと同時、ゆっくりと身を起こしたフランチェスカが、レオナルドの顎を手で掬う。
「……レオナルド」
「――――!」
そして、レオナルドに口付けをしようとした。
「…………っ」
思わず目を見開いて、フランチェスカの華奢な手首を掴む。強い力で引き剥がすと、キスを止められたフランチェスカが、ほんの小さな声を上げた。
「あ……」
空の色をしたフランチェスカの双眸が、傷付いたように揺れる。
「ご……ごめん、レオナルド」
「……フランチェスカ」
「ごめんね。……いきなりキスをするなんて、嫌だったよね……」
「…………」
泣きそうな声で告げられた謝罪に、レオナルドは微笑んだ。
「フランチェスカから贈られるものを、俺が拒むはずもないだろう?」
レオナルドの耳元に輝くのは、漆黒の中に星のような光を放つ、美しい石のピアスだった。
フランチェスカに贈った耳飾りの黒薔薇と、同じ原石を使ったものだ。
そしてフランチェスカの愛らしい耳には、赤と黒の薔薇がそれぞれに据えられた、レオナルドの独占欲の象徴が揺れている。
「レオナルド。なら、どうして……」
「その相手が、間違いなく俺のフランチェスカなのであればな。……生憎だが」
手首を掴む力を緩めないまま、けれども決して痣にはしないように、レオナルドは笑った。
「――クレスターニに洗脳された状態の『お前』は、フランチェスカじゃない」
「…………ふ」
目の前にいる『フランチェスカ』は、レオナルドが見たことがないほど妖艶で、心底から楽しそうな表情を作る。
「ふふふ。……ふふっ、ふふふ、あはは!」
ころころと笑い、小首を傾げて、レオナルドの顔を覗き込んで。
けれどもそこに、あの透き通った光のような明るさは、存在しない。
「……レオナルドって、本当に『私』のことを好きでいてくれるんだね」
レオナルドが離してやった手を、フランチェスカは優雅に引いた。
「たとえ洗脳に気付いていたって、何も言わなければ良かったのに」
その上で、仕草だけは可愛らしく首を傾げ、悪女そのものの美しい笑みを絶やさない。
「そうすれば、あなたの可愛いフランチェスカとして、なんでもしてあげたかもしれないんだよ?」
「へえ。なるほどな」
本物のフランチェスカであれば、絶対に口にしない言葉だった。
「たとえ同じ外見と声であっても、精神がフランチェスカではないというだけで、こうまで別物になるらしい」
すると、フランチェスカは長椅子から立ち上がる。
「もうお終い。私、クレスターニさまの所に行かないといけないの」
「…………」
「ふふ。私のこと、今のうちにここで殺しておく?」
太陽のような微笑みを浮かべて、何処か無邪気な声が言う。
「あなたとこうして敵対している時点で、それはあなたの可愛い『私』じゃないもんね」
「……まったく。記憶だけは本物を使っているんだから、性質が悪いな」
「たとえこう告げたって、あなたがそれを遂行することはない。私がどれだけあなたのことを、すごく上手に傷付けて、壊すことが出来たとしても、あなたは私を殺せな……」
レオナルドは彼女に手を伸ばし、先ほどとは反対におとがいを掴んだ。
「――『お前』の計画は、上手くいかない」
「……っ?」
フランチェスカが、ほんの僅かに顔を顰める。
「俺は、フランチェスカではない人間に、傷付けられたりはしないよ」
「……うそつき」
「ははっ」
声と見た目だけは可愛らしい彼女に、レオナルドはやさしく微笑みを向けた。
「殺そうとしてあげられなくてごめんな。『フランチェスカ』」
「…………」
レオナルドは、世界で唯一の美しい光が、どんな少女であるかを知っている。
「なにしろ『君』が、黙ってクレスターニに洗脳されるはずがない」
フランチェスカに、これとまったく同様のことを告げられた。
『――レオナルドが、黙ってクレスターニに洗脳されるはずがないよ!』
『だって、レオナルドだもん。誰にも負けない』
あのときの彼女が、どんな想いでこれを口にしたのか、いまのレオナルドにはよく分かった。
『もしもレオナルドが洗脳されたとしたら、それは何か作戦があって、敢えてそうしてる時だけじゃないかな?』
レオナルドのことを、真っ直ぐに信じてくれている声が、いまもはっきりと思い出せる。
「君は、その気高い精神を黙って明け渡すような女の子じゃない。何か目的があって、これを選んだ」
「何言ってるの。そんな訳、ないでしょ……」
「俺が、君を諦めることはない。君の強さが、クレスターニに負けるはずはないんだからな」
口付けが出来そうなほどに覗き込んで、その空色の瞳を見詰める。
「そうだろう?」
こうして今、レオナルドを睨み付けている彼女にではない。
その奥に眠っているはずのフランチェスカに向けて、レオナルドは告げた。
「――俺の、可愛いフランチェスカ」
「…………っ」
ぱしっと手を払い除けられて、レオナルドはくくっと喉を鳴らす。
「俺は必ずフランチェスカを取り戻す。それまでは、そうだな」
本物のフランチェスカには見せたことのない表情で、笑って告げた。
「敵同士。……ゲームとやらの再現で、遊んでみようか?」
「…………」
少女の強い瞳が、レオナルドを真っ直ぐに見据えていた。
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『悪党一家の愛娘』第4部:完
→第5部へ続く
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