278 芽生えたもの
「ねえ。やっぱりいつもレオナルドがお家に呼んでる、アルディーニ家お抱えの宝石商さんを紹介してもらうのはどうかな……?」
「駄目だよ。フランチェスカ」
レオナルドはフランチェスカの耳飾りに触れると、それを指でなぞりながら目を眇める。青空の下、冷え切った耳は感覚が弱くなっているが、それでも少しくすぐったかった。
「この耳飾りのお返しなら、こうして一緒に街で選んでくれたものがいい。俺のおねだり、聞いてくれるんだろ?」
「……それは、もちろん、そうなんだけど!」
レオナルドは、こうして選んでいるフランチェスカを眺めているのが、楽しくて仕方がないようだ。
「ここにあるもの全部をプレゼントするって提案しても、怖いこと言うし」
「怖くはないさ。君が俺にひとつ贈ってくれるごとに、同じ数だけ返礼をすると約束しただけで」
「それだと、終わらないプレゼントの贈り合いになっちゃうよ!」
レオナルドがくれるものの合計金額を想像して、フランチェスカは恐れ慄いた。
(そうだ、ヴァレリオさんにもお礼を買いたいな。特別に発行してもらえた賢者の書架の、許可証の分……)
「――昨日、ロンバルディ家に行ったんだよな」
まるで思考を読んだかのような問い掛けに、思わず肩が跳ねそうになった。
「エリゼオに、ちょっかいを出されたりしなかったか?」
「だ、大丈夫だよ。もう作戦も終わったんだし、エリゼオはそんなことしないでしょ?」
『また取り合いをしよう』という冗談を言伝られたことは、もちろん口にしない。
けれどもふと思い出したことがあり、レオナルドに告げた。
「そういえば。ヴァレリオさんがエリゼオたちに態度で伝えるようになったのは、うちのパパがアドバイスしたんだって」
「ああ。きっと、そんな所だろうと思っていた」
「レオナルド、知ってたの?」
意外な答えに驚くと、レオナルドはこう教えてくれる。
「ゲームのシナリオで起きるイベントは、この世界でも似たような出来事が起きるんだろう? つまりシナリオで処理される『ロンバルディ家の家族不和の解消』は、とうの昔に君が完了させていたんだ」
「私が……?」
「幼い頃の君が、父君と和解したことによって開かれた道だ。君が父親に向き合った勇気が、そのままエリゼオとカルロを救った」
店先に並ぶ装飾品を覗き込みながら、レオナルドは続ける。
「もしも小さな君がそうしていなければ、エリゼオは祖父への鬱屈を抱えて育ち、クレスターニ側の人間になっていたかもしれない。エリゼオにとって君はまさに、『運命を変えた女の子』だ」
「……それは……」
「君は自分が自覚している以上に、色んな人間に光を与えている」
そう告げられて、思わず頬が熱くなった。
「……そんなのは、レオナルドも同じだよ」
フランチェスカが慌てて『反論』すると、レオナルドがひとつ瞬きをする。
「同じって?」
「レオナルドがそんな風に言ってくれるだけで、すごく嬉しくて心強いの」
気恥ずかしいのを隠しながら、フランチェスカは視線を逸らす。
「だから私にとってのレオナルドも、そういう『光』で……」
そのとき、レオナルドの手がフランチェスカの頬に触れた。
「やっぱり君を、誰にも渡したくないな。フランチェスカ」
「ど、どうして急に!?」
「いつだって、俺は心からそう思っているさ」
真っ直ぐな言葉を向けられて、心臓が跳ねる。
「君がこうして俺の傍に居てくれる時間以上に、欲しいものなんて存在しない」
「……レオナルド」
月の色をした双眸は、真っ直ぐにフランチェスカだけを見詰めていた。
「君に惹かれない人間がいるなんて、俺には思えない。こんなに暖かくて、愛おしい」
低くて甘い声が紡ぐ。
それは、祈りの言葉にも近しい囁きだった。
「……俺の世界の、大切な光」
「…………っ」
そう微笑んだレオナルドに、フランチェスカは息を呑んだ。
「……れ、レオナルド」
「ん?」
少しの困惑を露わにすると、レオナルドが続きを促してくれる。
「どうしよう」
フランチェスカは外套の上から胸元に触れて、戸惑いながら口にした。
「……心臓が、ちょっとだけドキドキするかも……」
「…………」
レオナルドは僅かに目をみはると、それからすぐに優しく笑った。
その上で、フランチェスカと緩やかに手を繋ぐ。
「だったらもっと、そうなってもらわないとな」
「ちょっとどころか、すっごく心臓に悪い気がする!」
慌ててそう口にすると、レオナルドは屈託なく喉を鳴らした。その顔を見ていると、なんだかとても幸せな気持ちになる。
(……私、色々考えて決めたんだ。レオナルド)
純白の雪に染まる街で、こんなに頬が熱くなる理由は、きっともうすぐ辿り着けることだろう。
(許可証はもう手に入れたけれど、『賢者の書架』にひとりでは行かない。レオナルドとちゃんと話をして、それから自分のことを調べるんだって。……だから、安心してね)
そのために、もっと知らなくてはいけないことがある。
(ゲームの第五章は、私のパパの章。ママの代わりに、私がパパを守らなきゃ――――……)
フランチェスカの記憶は、そこでふつりと途切れていた。
***
本棚に囲まれたその場所で、フランチェスカは目を覚ました。
「……え」
ゆっくりと体を起こしてみれば、どうやら長椅子で眠っていたらしい。そのことは理解できるのだが、他の状況は飲み込めなかった。
「――ここ、何処?」
フランチェスカの独り言は、書棚の作り上げた静寂に吸い込まれる。
(私、さっきまでレオナルドと街に出て、贈り物を買いに……ううん、それは数日前の、年末の記憶だ)
何処か痛む頭を押さえながら、周囲を見回した。
(今日は一月一日、新年祭の日。ルカさまへの挨拶で登城してるレオナルドが、夜になったら迎えに来てくれるから、私はその支度をしていて……)
ここはどうやら、小さな図書館のようだった。
吹き抜けの三階建になっているこの場所は、すべての壁が本棚になっている。その光景を見て、嫌な予感が湧き上がってきた。
(――まさか、賢者の書架?)
その可能性に辿り着くと同時に、想像が半ば確信へ変わる。
「……帰らなきゃ」
フランチェスカは立ち上がり、急いで出口を探そうとした。
(多分そうだ、いつのまにか『賢者の書架』に来ちゃってる。私にはその記憶がない……もしくは、転移させられた?)
心臓の鼓動が大きくなり、うるさく感じられるほどだ。赤い絨毯の敷かれた上を、足早に駆けようとしたそのときだった。
「――――!」
本棚の死角から現れた人物を前にして、足を止める。
「おっと。これは失礼」
背の高い青年に微笑まれて、フランチェスカは息を呑んだ。
「こんな所へ、こんな日に。これほど可愛らしい女の子が来るなんて、幸運だな」
(――――あ)
「まあ、もっとも……」
その人物は肩を竦め、美しい顔立ちでやさしく微笑む。
「君のことは、俺がこの場所に招いたんだが」
(…………っ)
その柔和な微笑みから、好意的な感情は見出せない。
フランチェスカは硬直したまま、その人物のことをただただ見上げていた。
(……だめ)
「こうして会えて、嬉しいよ」
(こっちの思考を、無理やり止められる。やるべきことは、分かっているのに)
「なあ?」
そして彼は、甘さを帯びた低い声音で、フランチェスカにこう言った。
「……可愛い可愛い、『フランチェスカ』」
次話、第4部の最終話です。




