273 覆る
エリゼオが予知をし、レオナルドが攻撃を防ぐ度に、フランチェスカはエリゼオのスキルを強化する。
ドレスを彩る宝石が砕け散る中、それをルキノ側には気付かれないように振る舞いながら、フランチェスカは動きを注視した。
「くそ……」
(ルキノが消耗してる。だけどこっちも、スキル強化は十段階まで)
ルキノが自身を傷付けたことで、やはり氷の制御が乱れているようだ。エリゼオとしても何度か未来視を重ねたいようだが、そうはいかない。
(レオナルドからの合図がない。『時間稼ぎ』はまだ必要……ルキノに、攻撃を休ませるには)
フランチェスカの考えを読んでいたかのように、エリゼオが口を開いた。
「君がなんだかおかしいことは、最初から気が付いていたんだよ。ルキノ君」
その言葉に、ルキノが眉根を寄せる。
「隣国からの王子殿下が留学してくるのは、次の春だとお聞きしていた」
(春。ゲーム六章のシナリオ設定と、同じ季節だ)
「それなのに、こんなにも予定が変わるなんてね。クレスターニは君のお父君――ヴェントリカントの国王陛下に、一体何を吹き込んだのかな」
ルキノが露骨な舌打ちをして、ますます顔を歪めた。
「人の父親について、考えてる場合? 自分の祖父に冤罪を背負わせて、策略のために牢獄にぶち込んだ癖に……その策略に、国王すらも巻き込んで」
「だって、そのくらいはしておかないと」
エリゼオは、軽く握った手を口元に当ててくすくすと笑う。
その上で目を細め、何処か妖艶な笑顔を浮かべて、ぞくりとするほど美しく言い放った。
「――隣国の王族たちを、洗脳無しで丸ごと信奉者にしてしまっているクレスターニには、とても勝てないよね」
「……うるさい……」
俯いたルキノが、ぐっと両手を握り締める。
「クレスターニさまのことを、詐欺師のように言うな……!!」
そして血まみれの右手を挙げ、手にしていた小瓶を頭上に掲げた。
その中に揺れる赤い液体に、フランチェスカは身構える。
(あの小瓶。やっぱり、中身は血が入ってる……!)
「この聖樹がクレスターニさまへの献上品だからって、最低限の傷だけで済ませる必要はなかったんだ。再起不能にならない程度に、ずたずたに壊してしまえばいい」
中にあるのは、恐らくルキノの血ではない。
(ルキノの目的は、ただ聖樹を傷付けることじゃない。聖樹に付けた傷に、あの血を……)
「……来るよ」
エリゼオが少しだけ低い声で、レオナルドに伝えようとした。
「レオナルド君。次の一撃は、防ぐのが少し難しいかもしれない」
(どうしよう)
エリゼオは、レオナルドのスキルについて正確な情報を持っている訳ではない。
そのためレオナルドの弱点は、フランチェスカだけが知っている。彼の『奪う』スキルは、死者のスキルを使用できる代償として、高い負荷が掛かるのだ。
(レオナルドは弱味を見せようとしない。だけど、ルキノを通してクレスターニにバレちゃう可能性もある。レオナルドにも、これ以上は……)
フランチェスカがくちびるを結んだ、そのときだった。
「フランチェスカ。それとエリゼオ」
いつもと変わらない軽やかな声音で、レオナルドが笑う。
「準備は成った。――後はもう、王子さまの好きにさせてやろう」
「!」
そのとき、宙に出現した無数の剣が、一斉に聖樹へと襲い掛かった。
「フランチェスカ、こっちへ」
レオナルドがフランチェスカを抱き寄せる。けれども目を逸らしたくはなくて、その腕の中で聖樹を振り返った。
そして、飛び込んできた光景に息を呑む。
「…………っ」
ほのかに光る大樹の幹に、いくつもの氷が突き刺さっていた。
「っ、はは……」
その中央で砕けた瓶から、ゆっくりと血が伝ってゆく。木の傷口に染み込んだそれは赤黒く、とても嫌な色をしていた。
「やった」
ルキノが嬉しそうに、顔を歪める。
「いいぞ、クレスターニさまの血を吸え、ファレンツィオーネ国の聖樹……!」
「…………」
「あはっ、ははは、見たかお前たち!! この国の聖樹はこれで、あのお方の物になるんだ!!」
血まみれの両手を広げたルキノを前に、フランチェスカは眉根を寄せた。
「聖樹の性質を発動させろ!! 僕たちの国の聖樹のように、クレスターニさまに従……っ」
違和感に気が付いたらしきルキノが、そこでぴたりと声を止める。
「……なんでだ?」
改めて、やはりルキノは洗脳されていない。
こんなとき、すぐさま冷静さを取り戻し、状況に疑問を持てるからだ。けれども今はそのことが、却って虚しく感じられた。
「どうして静まり返っている? 聖樹は人の血に反応して、強制的に穢せるはず……」
「教えてやろうか。王子さま」
「!!」
小さく笑ったレオナルドが、次のスキルを発動させた。
「うあ……!」
地面から飛び出した無数の蔦が、ルキノの手足に絡み付く。それによって引き倒されたルキノが、苦しそうに地面へと膝をついた。
「捕、まえ、た。……っと!」
「……っ」
軽い足取りで踏み出したレオナルドが、その靴の先でルキノの顎を上げさせる。
「はは」
そして、絶対的な強者の微笑みを浮かべて告げるのだ。
「王族を足元に這いつくばらせるって、こんな気分なのか」
「触るな……!」
ルキノの言葉など聞く素振りもなく、レオナルドは少し首を傾ける。
「生憎、お前が見ている聖樹は『偽物』だ」
「っ、はあ……!?」
レオナルドの言葉が信じられないとでも言うように、ルキノが声を上げた。
「有り得ない。大聖堂の地下空間に、聖樹の偽物なんて生成できる訳が……」
「ここにある聖樹は、穢れひとつない美しいものだろう?」
レオナルドは何処か楽しそうな様子で、ルキノへ念入りに言い聞かせた。
「だが、この国にある『本物』の聖樹はちゃんと穢れている。それを清めるための、聖夜の儀式だ」
「……っ」
「そんな最低限すら習っていないのか? 王子さま」
聖樹については、まさしくレオナルドの言う通りだ。
(私たちが地下に落ちたあと、ここで本物の聖樹を見た。根っこのところが黒く澱んだ、この国の聖樹)
もっともレオナルドの言葉にも、いくつかの嘘が紛れ込んでいる。
(この聖樹はまるっきり偽物な訳じゃない。ルキノの言う通り、地下にある本物の聖樹を隠して、偽物とすり替えるなんて出来ないから)
フランチェスカがこの作戦を提案したとき、レオナルドはいつも通りに笑っていて、エリゼオはとても驚いていた。
(ここにあるのは、『本物から少し性質を変えて、一時的に偽物化した』聖樹だ。……ミストレアルの輝石みたいに、ダヴィードのスキルで作り出した……)
フランチェスカはいつだって、たくさんの人に助けられている。
いつも守ってくれるレオナルドや、協力してくれたダヴィードだけではない。大聖堂のスキル使用制限を、数日前に密かに解除してくれたルカにも、もっと多くの人にもだ。
(私は、ひとりじゃ戦えない)
だからこそ、心から願っている。
レオナルドにも、他の誰であろうとも、たったひとりで戦わないでほしかった。
「聖夜の儀式で大人数が出入りする中、聖樹の周りに警備すらいないなんて、おかしいと思わなかったのか?」
「……神聖な儀式を穢さないよう、聖樹の傍には武力を持ち込まないのが、慣例だろ……!」
「ああ、他国はそうかもな。だがこの国は、そんな慣例なんて素知らぬ顔で破ってしまえる『悪党』が、国王の臣下として裏に居る」
「…………っ」
フランチェスカは最後の望みを掛けて、ルキノに告げる。
「ルキノ。私たちと、話をしてほしい」
「…………」
けれどもそれは、あっさりと拒絶されるのだ。
「……あんたたちみんな、気持ち悪いんだよ……」




