268 洗脳
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『――僕は将来、お祖父さまの正当な後継者として、恥じない人間になりたいな。カルロ兄さん』
密かに訪れた診療所で、エリゼオはカルロにそう告げた。
『お祖父さまは、ロンバルディ家の誇り高き当主だ。国王陛下にお仕えする使命を果たすために、心血を注がれてきた』
最近は滅多に会えなくなった従兄に、エリゼオは微笑む。
『だったら僕も、それに倣わなくては。そうでしょう?』
『……だが、全てを真似ることは不要』
ロンバルディ家のものではない白衣を纏ったカルロは、エリゼオが祖父から持たされた焼き菓子を齧りながら言う。
『お祖父さまは陛下への忠誠のため、躊躇なく憎まれ役を演じる。あれは、明白な悪癖』
『そんなのは、カルロ兄さんだってそうじゃないか。僕に後腐れなく次期当主の座を譲るために、おかしな研究をしているふりまでして』
長椅子に腰を下ろしたエリゼオは、苦笑しながら横髪を耳に掛けた。
『兄さんの追放劇を偽装するよりも、後継者争いに口出ししてくる分家の人を排除しちゃった方が、ずっといいのに』
『人員もお祖父さまの武器のひとつ。排除するよりも、利用するのが最善――それに、研究したい事柄があるのは事実』
カルロの望む研究について、エリゼオは知らない。祖父も知らないと言っていたので、きっとよほどの内容なのだろう。
『カルロ兄さんを他家に取られるとしても、相手があのレオナルド君なら、不服はないよ。アルディーニ家の主治医として、ロンバルディ家を見守ってほしいな』
『……俺は』
掛けていた眼鏡を外しながら、従兄が柔らかな声でこう言った。
『お前が当主となったあの家が、どんな未来を築き上げるのか、見たいと願う』
『……うん』
従兄の愛情表現が下手なのは、間違いなく祖父譲りのものだろう。
けれどもエリゼオは祖父のお陰で、それが不器用な愛なのだと分かっているのだった。
『お祖父さまの築き上げてきたロンバルディ家を守るために、この国を守る』
それを果たすのに、未来視のスキルだけでは足りるはずもない。
『お祖父さま。あの川が、たくさんの人を押し流す未来を見たんだ』
未来が見えていたところで、実際にそれを変えるためには、必要なことがいくつもあった。
知識や頭脳、それを応用する力。手を動かしてくれる協力者、それを指導する能力と、従わせるための権力。
『……救えなかったのは、お前の所為ではない。エリゼオ』
たった一時間先を見通せるスキルだけでは、未来など変えられない。
ましてや世界など、変えられるはずもない。
『私が間に合わなかった。お前が教えてくれた「未来」を回避できなかったのは、すべて私の責任だ』
(……ううん)
祖父に抱き締められながら、エリゼオはもちろん自覚していた。
(僕の所為だよ。お祖父さま)
エリゼオが救えなかった人の断末魔や、遺された人のまなざしが、そのことを言外に物語る。
『未来が分かっていたくせにどうして』と、彼らはエリゼオを睨んでいた。時にははっきりと声に出して、罵ってくる者も居た。
(この慟哭を受け入れるのも、未来を変えられたはずの人間が負う、当然の責務だ)
だからエリゼオは、最善のための選択を模索し続ける。
尊敬する祖父と従兄がそうであるように、自分が憎まれ役になってでも、未来と世界を変える努力を惜しまない。
(だから僕は、聖夜の儀式においてルキノ君の行動を誘導するため、お祖父さまに願った)
フランチェスカとレオナルドが屋敷を訪れた先日、図書室と同様に防音仕様となっている祖父の書斎で、エリゼオはこう切り出したのだ。
『……お祖父さま。ひとつ、お願いがあるのです』
『お前が、私に? は、これは珍しい。日頃から優秀な孫の願いだ、言ってみろ』
エリゼオは足音を立てずに歩を進め、書棚から一冊の本を取り出した。
『ありがとうございます。……それでは』
微笑みを絶やさぬまま、静かな声で祖父へと告げる。
『僕に、当主の座を譲ってください。そうねだれば、あなたは叶えてくださいますか?』
目元に皺の刻まれた祖父の双眸が、大きく見開かれる。
『――いずれ来る未来の話ではなく、「今すぐに」』
そして同時に、祖父へと本を手渡した。
『……なに……?』
(ファウスト・サンスが死ぬ前に書いた、晩年の代表作。……お祖父さまなら、僕がこの本を手に取った理由を、すぐに理解してくださるはずだ)
見た祖父の双眸が、わずかに見開かれる。
(主人公の男は、物語の中で大きな事件に巻き込まれる)
視線を向けてきた祖父に対して、エリゼオはとんっと自身の肩口に触れたあと、頷いた。
(――王室の会話を、『スキルによって盗聴した』結果の惨劇だ)
***
「スキルが覚醒したばかりの子供の頃は、お祖父さまによく言われたよ」
大聖堂の地下、聖樹を擁したその空間で、エリゼオはルキノにこう告げた。
「優れたスキルの力だけに傾倒すれば、必ず足元を掬われる――世界を変える力は、自分自身を害する力でもあるって」
何かを固く握り締めたルキノは、静かにエリゼオたちのことを睨んでいる。
「ふふ、本当だったみたいだね。ルキノ君はその盗聴スキルの力を過信しすぎて、自分の盗み聞きが誰にもバレてない上に、聴いたことのすべてが正しいと思い込んでいたようだし」
「……馬鹿みたい。一体、なんの話?」
ルキノは敵意を剥き出しにして、刺々しい声音で反論した。
「盗聴なんて、人聞きの悪いこと言わないで。それって僕の国に対する王室侮辱罪ってやつだけど、分かってる?」
「おや」
エリゼオに少しは懐いていた振る舞いも、演技だったと隠す気はないらしい。
その様子がある意味で微笑ましく、エリゼオは笑った。
「だってルキノ君がここに居るのは、お祖父さまと国王陛下の会話を聴いて、スキル使用制限が解除されたのを知ったからだよね?」
「…………」
「もちろんその会話は、君が盗聴していることを前提にした上で、誘導のために交わされたもののはずだけれど。陛下とお祖父さまがどんな会話をしたのか、僕も聴いてみたかったな」
もちろん、誘導はそれだけではない。
「お祖父さまはああ見えて優しいお人だから、隣国からお預かりした王子さまが悪者だって伝えるのは、僕も抵抗があってね。ある程度の準備が整うまでは、僕ひとりで君への誘導を続けた」
それはたとえば、フランチェスカたちがロンバルディ家の屋敷を訪ねて来た際、賢者の書架を防衛するための方法を質問された時などのことだ。
レオナルドは、『スキル使用が禁止された賢者の書架のような場所で、戦闘をする方法』を問い掛けてきた。
だからエリゼオはわざとこんな風に、聴いているはずのルキノに囁いたのである。
『あるいは、こんな手段もある。――スキルの使用禁止そのものを、お祖父さまに撤回いただく方法』
そんな言葉を耳にしたルキノは、大聖堂で大きな戦闘を勃発させて、制圧のためにスキル使用制限が解除される策を考え始めたはずだ。
それが、エリゼオによる無意識下の『洗脳』とも呼べる、誘導だと知らずに。
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