27 婚約者のお迎え
そして迎えた満月の夜、フランチェスカは真新しいドレスに身を包み、落ち着かない気持ちで迎えを待っていた。
エントランスホールには父だけでなく、構成員たちがずらりと並んで待機している。
ひとりが大きな鏡を構えてくれているので、フランチェスカは後ろ姿を映し込み、振り返って最終確認を行った。
「どうかなパパ。本当の本当に変じゃない?」
「……お前たち」
「はい、当主」
不安で尋ねたフランチェスカに、父の号令で構成員たちが並ぶ。
「とてもよくお似合いです。お嬢さま」
「大変お可愛らしいです。お嬢さま」
「ご立派になられて、お嬢さま……お小さかったころを思い出すと、自分は、自分は……うっ」
「あ、ありがとうみんな。それと落ち着いて……!」
そしてフランチェスカは思い出す。
(パパやみんなに意見を聞いても、なんの参考にもならないんだった! この人たちみんな、私が丸坊主になっても泥だらけになったとしても、全力で褒め称えてくれそうだし)
せめてグラツィアーノでもいれば、歯に衣着せぬ率直な意見を言ってくれる。けれどもグラツィアーノは今日、ファミリーとしての仕事に出掛けているのだ。
フランチェスカは小さく息をつくと、改めて鏡の自分を見る。
父が仕立ててくれていたのは、淡い紫色をしたドレスだった。
透け感のあるシフォン地で、裾がふわふわひらひらとしている。丈は足首が見えるほどの長さであり、足首に着けたアンクレットの宝石が、さり気なくきらきらと輝いていた。
夜会用のドレスとはいえど、露出は控えめに抑えられている。
首元のチョーカーから胸元までが繋がっており、その部分は繊細なレース編みになっていて、鎖骨の形が少し浮かんでいる程度だ。
それでいて肩が出ているため、夜のドレスとしての華やかさはしっかりと保たれており、鏡の中の自分が知らない人のようだった。
(……ちょっと大人っぽすぎるというか、照れ臭いというか……)
薔薇のような赤色の髪は、ハーフアップにされている。
この日のお化粧をするために、普段は王城に出入りしている化粧師を手配してもらっていた。薄化粧をし、くちびるはつやつやしたピンク色だ。
「……やはり、お前が夜に出歩くのは危険ではないか?」
「もうパパ、大丈夫だってば。それに、もうそろそろ……」
父と話しているうちに、玄関の両扉がゆっくりと押し開かれた。
「――……」
途端に空気がぴりっと張り詰め、構成員たちが姿勢を正す。
父が扉に向き直れば、カルヴィーノ家の執事によって開けられた扉の先には、レオナルドが立っていた。
「アルディーニさまがお見えです」
そんな執事の言葉と共に、レオナルドが一歩踏み出す。
そしてフランチェスカは、初めて見た正装のレオナルドに、ぱちりとまばたきをした。
黒を基調としたその上着には、袖口や襟元に金糸の刺繍が施されている。
長身で細身なシルエットのレオナルドに、その衣服はとても似合っていた。制服はいつも着崩しているくせに、今日の彼は黒いシャツで、それをきちんと着込んでいる。
折り目正しい着こなしだからといって、堅苦しさや野暮さはまったくない。恐らくは、あちこちに華やかな意匠や遊びを取り入れ、品良く着飾っているからだろう。
ネクタイの色が赤色なのは、赤薔薇を家紋とするカルヴィーノ家や、フランチェスカの赤い髪色に合わせたのだろうか。
横髪をほんの少し流していて、いつもより額が露になっている。そんな些細な変化でも、驚くほどに雰囲気が変わるので、フランチェスカは驚いた。
「……」
レオナルドは、最初にフランチェスカと目を合わすと、最上級に美しい顔立ちでにこりと微笑む。
そのあとですぐさま父を見遣ると、胸元に右手を当てて礼の形を取った。
「お久し振りです、カルヴィーノ殿。今宵は大切なお嬢さまをお預かりする許可をいただき、ありがとうございました」
「お前に預けた覚えはない。アルディーニの青二才」
冷たく言い放った父の声に、レオナルドが小さく笑う。
「聞きしに勝る溺愛ぶりだ。元より命懸けでお守りするつもりでいましたが、これはますます気が引き締まる」
「当然だろう? フランチェスカは当家の宝だ。この子に何かあったときは、お前ひとりの命では贖えないということを、肝に銘じて出掛けることだな」
「っ、パパ!」
平穏に送り出すとはいえない雰囲気に、フランチェスカは耐え兼ねて口を出した。
「大丈夫、そんなに心配しないでったら!」
「しかし……」
「……それに」
父の方を見上げたフランチェスカは、静かに紡ぐ。
「――自分のことは、自分で対処するよ」
「……!」
僅かに目をみはった父に向けて、今度はにこっと微笑んだ。
「何かあっても、レオナルドに守られるつもりはないから。当然でしょ? 私はパパの娘であり、カルヴィーノの娘だもん」
そして、レオナルドの方を見遣った。
「行こう、レオナルド。エスコートをよろしく」
「仰せのままに、フランチェスカ。……手を」
そう言って、黒い皮手袋の嵌められた手が差し出される。フランチェスカはその手を取ると、最後にもう一度父を振り返った。
「行ってきます、パパ」
「……」
少し寂しげに目を細めた父が、フランチェスカにだけ分かる微笑みを浮かべた。
「ああ。……気を付けて行ってきなさい」
そしてフランチェスカは、初めての夜会に出発したのだった。
レオナルドに手を引かれ、彼の家の馬車に乗り込む。そのとき窓に映った姿を見て、フランチェスカは再び心配になった。
(やっぱりこのドレス、私が着るには大人っぽすぎる気がしてきた……! 前世でおじいちゃんのお祝いをするときは、ホテル会場でも着物だったし)
その上で、フランチェスカの後から馬車に乗ってきたレオナルドを見遣る。
(エスコートしてくれるのが、こんな絶世の美青年なのに。私を連れ歩いて、レオナルドに恥をかかせたり……)
「フランチェスカ。もう少し窓の方に詰めてくれ」
レオナルドは向かいではなく、当然のようにフランチェスカの隣に座った。
そうして、改めてフランチェスカのことを見下ろす。
「な、なに?」
やっぱりどこか変だっただろうか。
フランチェスカは慌ててしまい、咄嗟にぱっと自分の髪を押さえる。
けれどもレオナルドは目を細めると、フランチェスカをあやすように両手を捕まえ、指を絡めながら微笑んだ。
「……可愛い」
「……っ!」
フランチェスカは、思わずむぎゅりと口を噤んだ。
レオナルドの口にする『可愛い』は、いつも軽薄で胡散臭い。繰り返されるその言葉を、普段は相手にする気も起きないはずだった。
それなのに、今日はなんだか恥ずかしい。
「いつもより大人びた雰囲気だから、当主殿の前で見惚れないようにするのに必死だった。君は体の線が華奢だから、肩を出したデザインがよく似合うな」
(うう、具体的な褒め言葉……!)
「赤い髪に、紫のドレスが映えている。ドレスの裾が歩く度に広がって、まるで妖精みたいだ。姿勢の美しさを引き立てるデザインで、趣味が良い」
慣れない夜会の装いを、フランチェスカ自身が不安に思っている所為だろうか。
父や構成員たちの誉め言葉とは、どこか違って落ち着かなかった。
だが、ここまで言われるなら必要以上に恥ずかしがらなくても良いのかもしれないと、萎縮する気持ちが和らいでゆく。
「何もしていなくても可愛いのに、こんな風に着飾ったら美しいに決まっている」
「も、もうやめてレオナルド!」
「夜会にと連れ出したのは俺なんだがな。……他の男の目に、君を触れさせたくなくなってきた」
(この顔面で言われると、嘘だと分かってても心臓に悪い……!!)
そう思いつつ、むむっとレオナルドを見上げる。
(気遣ってくれたのは嬉しいけど、分かってるんだからね。……今日の夜会が、あなたの悪事のひとつであることも全部)
五月十一日、満月の夜会。
これこそが、ゲームのメインストーリー第一章における、最悪の事件が起きる夜だ。




