261 いい子
「全然お見通しなんかじゃないよ。地下でレオナルドが戻ってきてくれたとき、もっとしっかり話を聞いておけばよかった……」
「ははっ。大丈夫、どれほど精巧な『兄貴』が出てきたところで……」
レオナルドは、フランチェスカの耳元にくちびるを寄せる。
「――また同じ手を使われても、ちゃんと殺せる」
「…………っ」
それは、誓いに似た響きを帯びていた。
「……そんなこと、平気にならなくて良いんだよ……」
亡くしてしまった人の幻覚に、一体どんな想いの中で、レオナルドは武器を向けたのだろう。
「君が居てくれればそれでいいんだ。フランチェスカ」
少しだけ体が離されて、レオナルドがフランチェスカを見下ろした。
「俺の、唯一のひかり」
「……レオナルド……」
レオナルドの大きな手が、大切そうに頬を撫でてくれる。
だから、フランチェスカは口を開いた。
「あのね、レオナルド」
「!」
今度はフランチェスカ自身の意思で、レオナルドの手を頬へと押し当てる。
「今あなたの前に居る私は、ちゃんとあったかいよ」
「……フランチェスカ?」
ずっと前、夏休みに訪れた森の中で、フランチェスカはレオナルドを不安にさせてしまった。
危険なことに身を投じて、崖から落ち、彼に助けてもらったのだ。
あのとき雨の降るさなか、フランチェスカを抱き締めてレオナルドが確かめたことを、口にする。
「自分の意思で動いてる。ここで生きてて、息をしてる」
「…………」
今度はレオナルドの手をくるんで、はあっと温かい息を吐き掛ける。
その指をフランチェスカの両手で閉じ込めて、冷たい世界から断絶するように、やさしく包んでレオナルドを見上げた。
そうすると、真っ直ぐに視線が交わるのだ。
(満月みたいな、やさしい色の瞳)
それを間近に見上げたフランチェスカは、もっとその金色の瞳が見たくて、レオナルドの後ろ頭に手を添えた。
「レオナルドの傍に、いるからね」
「…………」
そのまま、少し背伸びをしようとしてみる。
少しでも、レオナルドに近付きたかったからだ。レオナルドの顔を覗き込むようにして、触れそうな距離でじっと見詰める。
すると、レオナルドがフランチェスカのおとがいを掬い、彼の方へと引き寄せた。
「…………!」
お互いのくちびるが、触れそうになる。
「……っ、レオ……」
「…………」
きっと、レオナルドはキスをしようとしていた。
それでも寸前でそれが止まる。お互いのくちびるが触れそうな距離で、レオナルドは自分の行動に驚いたかのように、ひとつ瞬きをした。
「………………今のは」
「?」
フランチェスカが首を傾げると、レオナルドは僅かに眉を顰めた。
そのあとにフランチェスカから離れると、自身の目元に手の甲を押し当てて、深く息をつく。
「……ごめん」
「ど、どうしたの? レオナルド」
「…………」
レオナルドは、珍しい溜め息をついたあとに、ばつが悪そうな声音で言うのだ。
「…………君へのキスを我慢するのを、失敗してしまう所だった」
「――――……」
考えてもみなかった発言に、フランチェスカは目を丸くする。
そのあとで、なんだか可笑しくなってきて、口元に手を当てて身を震わせた。
「……ふふっ」
けれど、どうしても抑え込めそうもない。
「ふふふ。……ふ、あははっ!」
「……君なあ」
「ご、ごめん! だけど、レオナルドがそんな風に恥ずかしそうにしてる顔、初めて見たから」
悪戯心が湧いてしまい、フランチェスカは頬を綻ばせる。
「……ちょっとだけ、お耳が赤いね」
「…………っ」
つん、とその耳を触ってみると、レオナルドはくすぐったそうに片目を眇めた。
「……お気に召したなら何よりだ。これ以上無様なところを見せないように、もう一度抱き締めて塞いでしまおう」
「あはははっ、ごめんってば!」
ぎゅうぎゅうと抱き寄せてくるレオナルドから逃げながらも、フランチェスカは何処かで安堵する。
(よかった。幻覚を、少しでも忘れさせることが出来たみたい)
そのことが、彼の声音から察せられた。
「レオナルドはいつも、私を可愛いって言ってくれるけど……」
まだくすくすと笑いながら、レオナルドを見上げる。
「レオナルドだって、すごく可愛いよ?」
「……本当に、君には、敵わないな……」
こんなレオナルドは、やっぱりすごく珍しい。
だから、フランチェスカは両手を伸ばし、ぎゅうっと彼を抱き締めた。
「可愛いレオナルド。……いい子、いい子」
「……フランチェスカ」
柔らかな黒髪をそっと撫でる。
自分よりもずっと背の高い男の子を、まるで小さな子供でもあやすように。
(お兄さんの幻覚を見て、どんな想いで居たのかを、レオナルドはきっと誰にも話さない)
そのことを、フランチェスカは分かっていた。
(レオナルドが必要としないのに、打ち明けてって促すのは違う。だったら、私に返せるものは……)
背伸びをし、少しでもレオナルドの傍で声を紡ぐ。
次回は4月3日(木)レオナルドの誕生日の0時に更新です!




