253 世界を変える
「馬車の事故。大雨のあとの土砂崩れ、川の氾濫……命を落とした人や、遺された人の声がする」
「……エリゼオ」
「どれもあの時、そうなることを、僕だけが知っていた。……ちゃんと、知っていたのに」
俯いたエリゼオが、くちびるだけで微笑む。
「結局は何ひとつ変えられなかったことを、罵る声が聞こえ続ける」
「…………!」
フランチェスカが浮かべたのは、何年も前に見聞きした、悲しい出来事の記憶だった。
(私たちが十歳のときに、王都の近くの村で火事があった。十一歳になった年、国境の近くでたくさんの雨が降った夏は、エリゼオの言ったような土砂崩れも)
幼い頃のエリゼオは、それらを未来視で見ていたのだ。
(だけど、犠牲者は、たくさん居て……)
未来を知る力を持つエリゼオにも、きっとどうにも出来なかった。
いまのエリゼオに聞こえるのは、そのことを責める声なのだ。
「ごめんね。いまのはただの感傷だ、忘れて欲しい」
「…………」
これまでの日々で、エリゼオの未来視に縋った人は、きっと大勢いるのだろう。
強い願いを寄せられることも、深い叱責を向けられることも、決して少なくなかったはずだ。望む未来が訪れなかったのは、エリゼオの所為ではないはずなのに。
「未来を知る力は、未来を変えられる力だ。それを、聖樹に与えられた」
その独白は、自らに言い聞かせているもののようにも聞こえる。
「僕はこの先、永劫に、そうした存在であり続けなくてはいけない。未来を、世界を、変えてゆく」
フランチェスカの手首を握り締めていた指から、力が抜けた。
「……何も変えられないなんて、もう二度と、あっては……」
自由になった手を見下ろしたフランチェスカは、納得して口を開く。
「――だからエリゼオは、学び続けてきたんだね」
「!」
エリゼオが、フランチェスカを見上げて瞬きをした。
「未来を知っているだけじゃ、未来を変えることなんて出来ないよ。それが分かっているからこそ、『変える力』を手に入れられるように、ずっと努力をしてきたんでしょう?」
「……フランチェスカちゃん?」
きっと、ロンバルディの一族に生まれたからだという、そんな理由だけではない。
エリゼオが優秀な人であるのは、エリゼオ自身の信念に基づくものなのだ。
「未来を知るって、素敵なことでもある。だけど、人より早く絶望が見えることもあるよね。……エリゼオが、しょっちゅう何かを諦めたみたいに笑うのは、その所為なのかな」
「…………」
フランチェスカが知っている未来など、エリゼオほど多い訳ではない。
それでも、自分が誰かの未来や運命を左右するかもしれない重圧に、時々押し潰されそうになる。フランチェスカが選択を間違えれば、誰かが危険な目に遭うかもしれないからだ。
「エリゼオは誤解しているみたいだけれど、私には未来を見るスキルは無いの」
「……嘘だ」
「本当だよ。それでも、こんな未来は絶対に嫌だって思っている光景は、頭の中にいくつもある」
懸命に言葉を探しながら、フランチェスカは俯いた。
「だからこそ、思うんだ。たくさん絶望を知っているエリゼオが、未来を諦めていないのは、本当にすごいって」
「…………」
その耳には、いまも『助けられなかった』人の声が聞こえているのだろうか。
フランチェスカは、レオナルドに告げられた言葉を思い出す。
『――君の望まない運命は、俺が必ず変えてあげる』
(私には、レオナルドみたいな約束をする力なんて、無いけれど)
フランチェスカは、エリゼオへと手を伸ばす。
そして、エリゼオの両耳にそっと触れると、祈りを込めてぎゅっと塞いだ。
「……!」
「あのね、エリゼオ」
こうしたところで、幻による声は止まないだろう。
それどころか、フランチェスカがこうして間近で話す声だって、遮ることは出来ないはずだ。それでもと、強く願った。
「覚えていて。知識だけじゃなくて、たくさんの人の希望も絶望も恨みも知っている、今のエリゼオは」
エリゼオの目を見て、フランチェスカは告げる。
「……きっと、スキルなんかなにひとつ使えなくたって、大勢の人を助けられる力を持っているんだよ」
「――――……」
その瞳が、小さな子供のように見開かれた。
「……僕が、人を助けられる?」
「うん」
フランチェスカは頷いて、エリゼオの両耳から手を離した。
「スキルじゃなくてそれこそが、『世界を変える力』なんじゃないかな」
「……世界を……」
「現にこうして私だって、さっきから何度もエリゼオの知識に助けてもらってる。エリゼオが私を連れて逃げてくれたから、戦うレオナルドの邪魔をせずにいられる。だから……」
「…………」
深く俯いたエリゼオが、微かに肩を震わせた。
「エリゼオ?」
「…………っ」
やはり体調が悪いのだろうか。
フランチェスカが再び彼の背中を撫でようとした、そのときだ。
「…………っ、ふふ、ふふふ!」
「!」
聞こえてきたのは、笑い声だ。
「ああ、おかしいなあ」
顔を上げた彼は、いつもの微笑みを浮かべている。
「――こんなにあっさり騙されちゃ駄目だよ。フランチェスカちゃん」
「…………」
すぐ傍に両膝をついたフランチェスカを、エリゼオが下から覗き込んでくる。
エリゼオが首を傾げると、紫色の髪がさらりとこぼれた。
「やっぱり君は、多少なりとも未来を知っているんだね。『スキルを持っていない』という言葉が本当であれば、それ以外の要因で知ったものだ」
「……エリゼオ」
「きっと、秘密にしてきたんだろう? ……レオナルド君辺りにだけは、話しているのかもしれないけれど。いずれにせよ、こんなに些細な引っ掛けで、僕に情報を与えたのは失敗だったね」
「…………」
フランチェスカは少し呆れて、思わず大きく息をついた。
(やっぱり、こういう所がちょっとだけ、会ったばかりの頃のレオナルドに似てるなあ……)
そんなことを考えながらも、立ち上がって膝の土を払う。
「失敗じゃないよ。エリゼオがどんな理由でも、元気になったならよかった!」
「!」
そして、ふとあることに気が付いた。
「あれ。そういえば、いつのまにか嫌な声が消えてる」
「……君もかい?」
「エリゼオも消えたの? じゃあ……」
フランチェスカは、先ほど自分たちが走ってきた道を振り返る。
するとその先に、人影が見えるのだ。会いたかった彼の名前を、フランチェスカは大きな声で呼んだ。
「――レオナルド!」
「フランチェスカ」
地面に置いた松明を手にすることなく、迷わず彼の方へと駆け出す。
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