243 アルディーニの当主
レオナルドにも伝えていたやりとりを、フランチェスカは振り返る。
『ダヴィード。それはつまり……』
『親父が死んだ日。俺は確かに、クレスターニの影を見ている』
音楽室の机に胡座をかいたダヴィードは、自分自身でもその記憶が正しいのかを確かめるように、慎重に言葉を選んでいた。
『俺もラニエーリ家の人間として、物心ついたときから「鑑賞」を叩き込まれてきた身だからな。……小さなガキの観察眼でも、あの影が自分の親父の影に比べて、随分と小さかったことくらいは分かる』
父が自らを撃った日の、辛い記憶を辿っているはずのダヴィードは、それでもはっきりと言う。
『正確な体格や、年齢までは判断できねえが。――あれは、少なくとも成人した男の影じゃねえ』
(クレスターニが、少年の姿を……?)
その言葉が、どうしても昨日のルキノと重なるのだ。
(ルキノが夕べ、『気を付けろ』って言っていた、私たちの国王陛下)
微笑みの中に、ほんの少しだけ寂しそうな色を滲ませることのある、そんな国王ルカのことを思い浮かべた。
(――ルカさまは、小さな子供の姿をしている)
百十二歳を超える年齢でありながら、外見は八歳くらいの幼い子供である王のことを、レオナルドだって考えているだろう。
「ダヴィードにも、それがどれくらいのサイズの子供だったか、正確には断言できないんだよな?」
「うん。ダヴィード本人が小さな子供だったから、自分よりも大きな人の体格は、大まかにしか区別が出来なかったんじゃないかな」
「俺の記憶上、少なくともルカさまは、あの頃のダヴィードよりは背が高い」
「だ、だけどね、レオナルド」
フランチェスカが濁した言葉を、にこりと微笑んだレオナルドが継いだ。
「ルカさまが、『クレスターニ』になる必要性が分からないよな」
「……そう! そうなの!」
そうした矛盾があることに、どうしても安堵してしまうのだ。
「この国を乗っ取るような動きをしたり、国民を混乱させたり、引っ掻き回したり……そういうことをする意味が、ルカさまにあるのかな。だって、国王なんだよ?」
「ああ。もう持っているものを手に入れるために、こんな馬鹿げた騒動を起こす人間はいないはずだ」
「だから、ルカさまがクレスターニだなんて考えにくいはず。……希望的観測は良くないって、分かってる、けど」
浅はかだという自覚がありながら、ルカにもヴァレリオに対しても、同じ思いを抱いてしまうのだ。
「だけどそれだとクレスターニは、『ルカさま以外の、子供の姿をしている人物』になっちゃうよね。成長を止めている人か、子供の姿に変身できる人」
「…………」
「ダヴィードはスキル覚醒前だったはずだから、少なくともダヴィードのスキルじゃない。成長停止なんていうデメリットのあるスキルが、ルカさま以外に、そんなにたくさんいるとも思えないのに」
そんなことを考え始めると、ますます混乱してくる。
「……『少年の影』が、クレスターニ本人のものだって考えるから、おかしいのかな。ひょっとしたら、クレスターニに洗脳された人の影だったのかも? それか、洗脳されていない信奉者……」
「はは、信奉者が国王だとしたら最悪だな。洗脳者なら冷ませるだけ救いがあるが、自分の意思でクレスターニに従っている状況なら、どうにも出来ない」
「うう、それはやだ……!」
「……フランチェスカ」
レオナルドに呼ばれて、無意識に俯かせていた顔を上げた。
「もっとシンプルな説についても、考慮しておいた方がいい」
「シンプルな説?」
「単純に、ダヴィードが目撃した『少年』とやらが、当時は本物の子供だったという可能性だ」
フランチェスカは、思わぬ言葉に目を丸くした。
けれどもレオナルドは、平然と笑ってこう続ける。
「たとえば」
フランチェスカのおとがいに、彼の指が触れた。
そうしてフランチェスカを上向かせると、間近に覗き込んでそっと囁く。
「ゲームにおける、『君』の宿敵」
「……あ」
月の色をした金色の瞳に、フランチェスカが映り込んだ。
「クレスターニは、『俺』かもしれない」
「…………!」
言葉の意味を理解して、息を呑む。
「たとえば俺が、子供の頃からクレスターニに洗脳され、あいつの駒になっていたとしたら?」
「……違う」
「駄目だよ。フランチェスカ」
否定しようとしたフランチェスカをあやすように、レオナルドが紡いだ。
「ちゃんと、想像してみてくれ」
「レオ、ナルド……ッ」
フランチェスカが後ずさろうとしても、レオナルドは逃してくれない。
フランチェスカの輪郭に添えられた手だけでなく、いつのまにか腰に回された腕も、柔らかな拘束を施していた。
「俺が既にクレスターニに洗脳されていて、あらゆる人間を踏み躙り、この国にいくつもの火を放つ。そんな、敵対者だとしたら?」
「それ、は」
「君の大切なものを壊し、君の憎悪を煽り、いつか……」
レオナルドが僅かに目を伏せると、長い睫毛の影が瞳に落ちる。
「――可愛い君のことを、殺してしまう存在だったら」
「…………っ」
そんな場面を想像した瞬間、背筋に冷たい感覚が走った。
(分かってる、レオナルドはわざとこう言ってるって。それなのに、はっきりと想像が浮かんでくるのは)
フランチェスカは、その『光景』を知っているからだ。
(ゲームの黒幕、『レオナルド・ヴァレンティーノ・アルディーニ』)
目の前にいるレオナルドを見上げながらも、くちびるを結んだ。
(ゲームのレオナルドと、私が知っているレオナルドは、別人みたい)
これまでに何度も抱いた疑問を、もう一度揺り起こす。
(だけど、ゲームのレオナルドがクレスターニに洗脳されていたとしたら、その違和感も……)
「……なんてな」
「!」
レオナルドは、すべてを冗談に還すかのような微笑みで、フランチェスカの前髪にキスを落とした。
「あくまで可能性の話だ。だが、突拍子もない空想とまでは言えないだろう?」
「レオナルド……」
「これまでの洗脳対象者は、当主もしくは次期当主。ロンバルディ家についてはまだ未定だが……もしもクレスターニがアルディーニ家を狙うのであれば、俺を洗脳するはずだ」
「そんな仮定をするなんて、レオナルドらしくないよ」
フランチェスカが咄嗟に告げると、レオナルドはくすっと笑った。
「やさしい君に、あらかじめ伝えておこう。もしも、俺が君の敵に回ったときは……」
レオナルドが、フランチェスカに言い聞かせるように、耳元でそっと甘く囁く。
「――そのときは、容赦なく俺を殺してくれ」
「…………!」




