242 娘の伴侶
「パパ、大丈夫!?」
「結婚式……。フランチェスカの、だと……!?」
「おや。まさか、いまさら『娘はやらん』だなんて言いませんよね? 確かあのとき、俺に仰ったはずでは」
両手をポケットに入れたレオナルドが、父を揶揄うかのように告げる。
「――娘を頼む、と」
「………………っ!!」
「パパ、しっかりして!!」
レオナルドが持ち出したのは、リカルドの父であるセラノーヴァ当主が起こした、薬物事件でのやりとりだ。
春の終わりにあったあの一件で、父はフランチェスカを庇って撃たれた。
夥しい血を流した父は、間違いなく命が危なかっただろう。しかし、そんな父をあの場で助けるために、レオナルドが傷を肩代わりしてくれたのだ。
すべてはフランチェスカを守り、フランチェスカの大切な人を守って、願いを叶えるために。
一連の出来事が終わったあと、父はフランチェスカ越しの伝言で、レオナルドに『娘を頼む』と伝えていた。レオナルドは金色の双眸を楽しそうに眇め、蹲っている父を見下ろす。
「撤回なんて、しないですよね。誇り高き、フランチェスカのお父君?」
「アルディーニ、貴様……っ!!」
「というのは、冗談で」
ポケットから手を出したレオナルドが、右手を彼自身の胸に当てた。その上で、父に向かって礼の形を取る。
「ご安心を。一度言質を取った程度で、『結婚を許せ』と迫るつもりはありません」
「レオナルド」
「愛娘の伴侶にふさわしいと。――父君に心から認めていただけるよう、俺も引き続き努力します」
「なに……?」
そうして顔を上げたレオナルドが、フランチェスカに微笑む。
「あなたを想う、フランチェスカに誓って」
(…………っ)
その誠意に、なんだか頬が熱くなってしまった。
(こういう所は、相変わらず律儀だなあ……)
「……フラン、チェスカよ」
「パパ!」
父はゆっくり立ち上がると、額を押さえながら歩き始めた。
「……少し、煙草を吸ってくる……」
「また!?」
たったいま喫煙を終えたばかりのはずが、父は再び出て行ってしまった。
「大丈夫かな、パパ……」
「まあ、穏やかではないだろうさ。気に食わない若造が、娘とこんな儀式に挑むんだからな」
「ううん、レオナルドのことはちゃんと認めてると思う。レオナルド以外が同じことを言ったら、もっと大変なことになってるはず」
「へえ。……それは素直に嬉しいな」
とはいえ、体調が心配なのは、なにも父だけではない。
「レオナルドも、大丈夫? 昨日も遅くまで、ルカさまや偉い人たちとの会議だったんでしょう?」
「もちろん大丈夫だったさ。君に施した結界スキルが、反応した以外は」
「そ、それは……!」
心配を掛けた罪悪感に、フランチェスカの胸が痛む。
するとレオナルドは、くすっと悪戯っぽい笑みを浮かべ、フランチェスカへと手を伸ばした。
「わ……っ」
耳飾りの薔薇に触れられて、思わず肩が跳ねる。
レオナルドが、間近にフランチェスカを覗き込み、少し掠れた声音で囁いた。
「……可愛いな」
「…………っ!?」
柔らかな微笑みと共に告げられて、フランチェスカは息を呑む。
何か言わなければと内心で慌てて、急いでこんな言葉を返した。
「ほ……本当に可愛いよね、この耳飾り! レオナルド、本当にありが……」
「そうじゃなくて」
「!」
フランチェスカの戸惑いも、何もかも見透かしているのだろう。
金色の瞳は、蜂蜜を思わせるほどに甘いまなざしを注いでくるのだ。
「褒めると恥ずかしそうにするのに、こうしてちゃんと俺の贈ったものを身に付けてくれている、そんな君が可愛い」
「…………っ、れ、レオナルド……」
思わずじりじりと後ろに退がると、レオナルドはそれすらも楽しそうに、フランチェスカを追い詰める。
「ロンバルディ家にひとりで向かうなんて聞かされたときは、本当に気が気じゃなかった。……君は魅力的だから、香水も結界も何もかも使って、俺のフランチェスカだって主張しておかないと」
「い、言い方が……!! 心配かけてごめん、だけど大事な情報だったでしょう? さっき、リハーサルの説明が始まる前に、レオナルドにこっそり話したこと……!!」
「ルキノとやらの、『警告』について?」
レオナルドに耳元へと触れられながら、フランチェスカはこくこくと頷いた。
「お……お隣の国の王子さまが、ルカさまに気を付けるように言うなんて。『留学生』っていう表向きの身分としてでも、すごく危うい発言だよね?」
「それだけじゃない」
レオナルドは、フランチェスカの耳飾りの薔薇を指で弄びながら呟いた。
「君が気にしているのは、ダヴィードの話していたことだろう」
「――――……」
その指摘に、ゆっくりと頷く。
先日ダヴィードは音楽室で、フランチェスカにふたつの『思い出したこと』を教えてくれていた。
ひとつは、クレスターニの発言についてだ。『フランチェスカが接触した洗脳者は、その洗脳が崩れる』というもの。
そしてもうひとつの記憶こそ、いまのフランチェスカの懸念事項だった。
「あのとき、ダヴィードは、私に教えてくれた」
顔を顰めたダヴィードが、フランチェスカに告げたことを口にする。
「――ダヴィードの記憶に残っている、十年前に見たクレスターニの影は、『少年』の形をしていた気がするって」
「…………」




