225 手段を持つ
「……あのルキノっていう子の服。生地の表面に、七色の艶が出てたから」
「七色?」
フランチェスカはあくまでいつも通り、自然な言葉を紡いでゆく。
「前に、ラニエーリ家のダヴィードに教えてもらいました。それが、隣国の高級生地の特徴なんだよね? レオナルド」
「ああ。君の言う通りだ」
笑って頷いたレオナルドに助けられながら、フランチェスカは苦笑した。
「隣国は、私のママの生まれ育った国だから、どうしても印象に残ってるんです。――そんな高級生地を使った服を着ているなら、あの子はヴェントリカントの貴族なのかなって、一目でそう感じて」
「……なるほど」
エリゼオは目を細め、表面上は穏やかに続けた。
「ルキノ君は、この国の王室文化に興味があってやってきたんだ」
「ルカさまの?」
フランチェスカがレオナルドをちらりと見上げれば、彼は軽く肩を竦める。エリゼオが再び歩き出したので、その後ろについていきながら、フランチェスカは耳を傾けた。
「同じ人物が、百年以上も王を続けている国なんて、歴史上の何処にも存在しないからね。ましてや僕たちの陛下は、他の王族を中心とした権力争いに、影響を受けることもない」
その特異性については、フランチェスカも想像できる。
「なにせ、陛下はこの国の王族の、たったひとりの生き残りだ」
「…………」
「おっと。エリゼオ」
フランチェスカが口を噤んだ一方で、レオナルドは軽い調子で言った。
「生徒会長ともあろう人間が、ルカさまに対して不敬だな?」
「ふふ。言葉選びを柔らかくすると、本質から変わってしまうことってあるよね」
男子たちは雑談のような会話をしているが、フランチェスカの胸中は複雑だ。
(王室の歴史は、私たちカルヴィーノ家の歴史。……私の家が『忠誠』を信条としている、その始まりの……)
「さあ。ここが、うちの第二図書室だよ」
「!」
案内されたその部屋に、フランチェスカは目を丸くした。
「え……」
本棚の立ち並んだその部屋は、学院の図書室よりもずっと広い。
二階部分までを使った吹き抜けになっていて、ここに何冊が保管されているのか、フランチェスカには想像もつかないほどだ。
「……想像してた『図書室』とは、全然違う……! これ、ちょっとした図書館って呼んだ方が正確なんじゃ……」
「そうかな? これでもこの屋敷の中にある図書室としては、手狭な方だよ」
「手狭……これが……?」
「本って何故か増えるよね。ちょっと油断すると、三倍くらいに」
「えええ……?」
いつも通りの微笑みを浮かべている所為で、エリゼオが冗談なのか本気なのかも分からない。レオナルドは構わずに窓際まで歩いてゆくと、そこにあったソファーへ腰を下ろした。
「おいで。フランチェスカ」
レオナルドの慣れた様子を見ていると、彼は確かに幼い頃、ここに何度も来たことがあるのだと感じられる。
フランチェスカがレオナルドの隣にそっと座ると、レオナルドは満足そうに笑ったあとで、周囲の本棚を見回した。
「それにしても。本だらけなのは相変わらずだが、本棚の中身は随分と変わったな」
「あの頃ここに並んでいた蔵書は、いまは書庫の方に移っているよ。何冊かは、『賢者の書架』に入ったけれど」
「ふたりとも……」
何気ないやりとりから察せられる事実に、フランチェスカは目を丸くする。
「ひょっとして、こんなに沢山ある本のこと、全部覚えてるの?」
「? もちろん」
エリゼオは笑みを浮かべたまま、少し不思議そうに首を傾げた。まるで、フランチェスカがおかしなことでも言っているかのような反応だ。
「何かを記憶するなんて、ただ知識を詰め込むだけだ。その気になれば簡単だよ」
(簡単だなんて、絶対にそんなことないと思う……!)
エリゼオは、本棚からごく自然に一冊の本を抜き出すと、フランチェスカたちに向かい合うソファーへ腰を下ろした。
「覚えるだけでは話にならない。得た知識は、勇気ある使い方をすることで、初めて大きな力となる」
手にした本をゆっくりと開き、エリゼオは笑う。
「未来視の力も同じだ。何が起きるか知ったとしても、それを変える力を持つ者なんて、ほんの一握りだからね」
(……こんなに綺麗な微笑みなのに、笑ってない……)
瞳は温かな橙色だが、そこには冷たい光が宿っているのだ。
「――フランチェスカちゃんだって、未来のことを知っている癖に」
そして、フランチェスカを真っ直ぐに射抜く。
「君だけの力では、どうにも出来ないことがあるから、こうして僕と手を組むんだろう?」
「…………」
居住まいを正したフランチェスカは、改めてエリゼオに切り出そうとした。
だがそのとき、隣に座っているレオナルドが、フランチェスカよりも先に口にする。
「賢者の書架について、情報が欲しい」
ちらりと見上げた先にいるレオナルドは、いつも通り余裕のある表情で目を眇める。
「あの場所には、攻撃系スキルを使った人間に対して、強力な罰則が存在するよな」
「うん。お祖父さまのスキルのひとつだね」
エリゼオは、ゆっくりと手元の本を閉じた。
「すべては本を守るため。炎や水、物理攻撃……書物に影響を与えそうなスキルはすべて、使用できない結界が張られているよ」
「万が一そうしたスキルを使おうとしたり、持ち込んだ刃物や、あるいは素手でページを千切ろうとしたらどうなる?」
「それはもちろん」
レオナルドの問い掛けに、エリゼオは少女めいた可憐な微笑みで言い切った。
「本をそんな風に扱う人間は、死ぬしかないんじゃないかな」
(……穏やかそうに笑ってても、やっぱり裏社会の住人だ……!!)
けれどもエリゼオの発言は、あながち間違いではないらしい。
「『賢者の書架』におけるルールを守れなかった人間は、お祖父さまの結界スキルに攻撃されて、串刺しになるんだ」
「串刺し!?」
「危険なスキルを使っても、ナイフを取り出そうとしても、本をその手で破り捨てようとしてもね」
「……っ」
そんな振る舞いをする予定もないが、想像して少しだけ顔を顰めた。するとレオナルドが、こんな質問をエリゼオに向ける。
「それなら、賢者の書架に危険人物が入り込んだとき、ロンバルディ家はどう対処する?」
(……やっぱり、レオナルドはすごく上手い)
問い掛けの真意を知っているフランチェスカは、内心でそんなことを考えた。
(私たちはエリゼオに対して、『賢者の書架が狙われている』って嘘をついてる。レオナルドは実際にこうやって、『賢者の書架』を話の中心に置き続けてるけど……)
本当にクレスターニが狙うのは、聖夜の儀式の方なのだ。
「お前たちロンバルディ家だって、スキルは使えない丸腰になる」
賢者の書架について知りたがっているふりをしながら、レオナルドが探ってくれているのは、まさしく聖夜の儀式の情報だ。
「刃物も取り出せないんじゃあ、防衛も一苦労だ。それについて、対策を講じてないはずもないよな」
(聖夜の儀式を行う大聖堂は、一切のスキルを使えない場所。つまり、『賢者の書架』の環境とよく似てる)
レオナルドはソファーの肘掛けに頬杖をついて、エリゼオに尋ねる。
「まともに戦えないはずの書架でも、お前たちだけは戦闘可能な手段があるんだろ?」
(……そして、ロンバルディ家が本当に、そんな手段を持っている場合)
フランチェスカは、目の前にいるエリゼオのことを見据えた。
(ロンバルディ家は、聖夜の儀式を妨害して、聖樹を傷付けることだって出来るかもしれない)
彼らがクレスターニに洗脳されていれば、聖樹の防衛は困難を極める。




