223 事前考察
祖父ヴァレリオに微笑んだエリゼオが、祖父のために道を開けながら尋ねた。
「先ほどお戻りになられたばかりだというのに、外出なさるのですか?」
「……学者どもが、くだらぬ問題に手こずっているようなのでな。あの程度も解決できんとは、嘆かわしい」
そんな話をしながらも、ヴァレリオが眉間に皺を寄せる。
この老人がこちらを睨んでいるように見えるのは、聖夜の儀式に纏わることだろう。
(せめて、ロンバルディ家の計画を邪魔したことを、謝らなくちゃ……!)
しかし、フランチェスカが口を開く前に、レオナルドが一歩踏み出すのだ。
「こんにちは。ロンバルディ殿」
「…………」
(レオナルド……)
人懐っこいふりをしたレオナルドが、フランチェスカを背に隠す。
「せっかく孫の同級生が遊びに来たんだ、そんなに怖い顔をしなくてもいいんじゃないか? 『仕事』の禍根を家に持ち込むなんて、野暮でしかない」
「言っていろ。生意気盛りの小僧が」
ふんと鼻を鳴らしたヴァレリオが、再びフランチェスカを見下ろす。
「……カルヴィーノの、ひとり娘だな」
(私の正体なんて、当たり前に見抜かれてるよね……)
張り詰めた空気の中、フランチェスカは淑女の礼をするために、ドレスの裾を摘もうとした。
「はじめまして。私は……」
「挨拶はいらん」
「!」
階段をゆっくりと降りながら、ロンバルディ当主ヴァレリオが言い捨てる。
「……裏の世界で生きている訳でもない、ただの娘が」
その言葉は、フランチェスカと自分たちを線引きしようとする、明白な言葉だった。
「病弱だと偽って夜会に出ない理由も、大方そうしたものだろう。『表』で生きるつもりの人間が、わざわざ当家に何の用だ?」
「――なあ。爺さん」
「れ、レオナルド! 大丈夫だよ!!」
普段の微笑みに殺気を混ぜたレオナルドを、腕を掴みつつ慌てて止める。エリゼオが柔らかく苦笑して、祖父に告げた。
「お祖父さま。フランチェスカちゃんを、あまりいじめないであげてください」
「エリゼオよ。お前の頭脳も能力も、相手を選ばずに使うべき代物ではない。分かっているのか?」
厳しい声音が、エリゼオをはっきりと窘める。
「ただでさえ、今この時期は――……」
ヴァレリオが実孫に何かを告げようとした、そのときだった。
「――うるさいな」
「!」
凛として涼しげな声が、エントランスに落とされる。
「さっきから、本当にうるさい。一体何の騒ぎ?」
こつん、こつんと軽やかな靴音が、吹き抜けとなっている二階の方から聞こえてきた。
(ひょっとして、エリゼオが話してた『お客さま』?)
ゲームには無かったはずの要素を思い出して、フランチェスカは顔を上げる。そうして、エントランスホールから続く階段のその先に立っている、ひとりの青年の姿を見止めた。
ヴァレリオが、低い声音でこう紡ぐ。
「……ルキノ殿」
(え…………)
ヴァレリオが呼んだ名前について、フランチェスカは覚えがある。
そして、現れた少年の外見についてだって、確かに知っているのだった。
(『ルキノ』って、この人……)
青年の短く切り揃えられた髪は、銀の艶を帯びた水色だ。
長い睫毛に縁取られた双眸は、何事にも興味が乏しそうに見える。彼の顔立ちは、氷細工を思わせる冷たい美しさがあった。
(間違いない)
緊急事態を告げるべく、目の前に立ったレオナルドの上着をぎゅっと握る。
察しの良いレオナルドは、フランチェスカが一月前に話したゲームの話を、思い浮かべているだろうか。
『ゲームの四章は、聖夜の儀式を舞台にした、ロンバルディ家とのシナリオ。次の五章は主人公とその父親……私とパパに焦点を当てた、カルヴィーノ家の物語になるの』
『…………』
『私が死ぬまでに配信されていたのは、全七章のうち五章までなんだ。六章の情報は、事前予告で告知されていたキャラクター……隣国からの留学生のことくらいしか、分からなくて』
フランチェスカは緊張しながら、階段の先の青年を見据える。
(……あの子がその、『隣国からの留学生』だ)
全体的に色素が薄い青年の、フランチェスカたちを見下ろす瞳だけが、鮮烈な印象を帯びた赤色をしていた。
(私がプレイ出来なかった第六章の、メインキャラクター……!!)
メインストーリーよりも遥かに早く、ましてや未配信シナリオの登場人物と接触することなど、まったくの想定外だった。
(一体どうして四章のタイミングで、六章のルキノが!? 確かに留学生っていう肩書きだし、知勇のお家に居ること自体は、おかしくないのかもしれないけど……!!)
ルキノの年齢は十六歳で、グラツィアーノと同学年だ。そうした設定も、目の前の彼の外見と一致している。
「……フランチェスカ」
レオナルドに小さな声で呼ばれて、返事をする代わりに上着を少しだけ引いた。
たったそれだけのやりとりなのに、レオナルドがフランチェスカの動揺を分かってくれたと信じられて、そのことにどうしても安堵する。
「……ねえ。ロンバルディ」
とんとんと階段を降りてきたルキノは、ロンバルディ家の当主であるヴァレリオに対しても、不遜と言える自然体で声を掛ける。
「早く研究所に行こうよ。僕、予定が崩されるの、あんまり好きじゃない」
「は。……そのように」
厳格なはずのヴァレリオが、ルキノに叱責を飛ばすことはない。その様子を見て、フランチェスカは内心で考える。
(私がルキノについて知っていることは、第六章の予告映像にあった簡単なプロフィールと、たった一枚の立ち絵イラストだけ。だけど新キャラクターであるルキノの考察は、いっぱい回ってきてた)
予告映像を見たユーザーたちの間で、まことしやかに囁かれていた考察は、こんな内容だ。
(『隣国からの留学生』っていう肩書きは、きっと表向きのもの。ルキノの正体は)
レオナルドにも伝えていた考察を、思い浮かべる。
(……隣国ヴェントリカントの、王子さま……)
たったいま、ヴァレリオとルキノの応酬を目の当たりにしたことで、考察の信憑性が増したことを感じてしまった。




