200 平穏
フランチェスカがそう口にしたのは、先日の魔灯夜祭の一件で、ダヴィードから得られた情報があったからだ。
『……フランチェスカ』
『私の情報だけじゃ、難しいことは分かってる』
けれども魔灯夜祭の一件で、こちらの状況にも変化が生まれた。
あのあと、クレスターニの洗脳から解放されたダヴィードは、持っているすべての情報をルカに献上しているのだ。
『ダヴィードがルカさまに話した内容を、私もダヴィードからこっそり教えてもらったの』
『……やれやれ。寂しがり屋の「一匹狼」め』
『ダヴィードから、クレスターニの記憶はほとんど消えている。それでもカルロさんの治療スキルで、断片的に復元できたんでしょ?』
レオナルドは何も誤魔化すことなく、フランチェスカの問い掛けを首肯してくれた。
『俺が真っ先に気になったのは、その点だ。これまで洗脳された連中は、カルロの治療を受けたとしても、クレスターニの情報がすべて消えているからな』
『だけど、ダヴィードには記憶が残った……たとえ、ほんの少しだけでも』
『ああ。そのお陰で、ダヴィードはクレスターニに頻繁に会い、直接会話が出来ていることが分かっている』
フランチェスカがダヴィードから聞いた内容も、レオナルドが話したことと一致していた。
(ダヴィードは悔しそうだった。何処に行けば会えるのかも、そこにいるクレスターニがどんな人かも、思い出せないって……それでも)
この事実を得られたことだけでも、ひとつ大きな前進だ。
『レオナルド。きっとクレスターニの拠点のひとつは、小さかったダヴィードが、怪しまれずに会いに行けるような場所に存在してるよね?』
『……恐らくは』
フランチェスカの考えていたことを、レオナルドが同じように口にする。
『この、王都の中だ』
『…………』
父や兄を陥れた『黒幕』を、レオナルドはずっと探し続けてきた。
それなのに掴めなかったクレスターニが、これほど近くに居ることを、どんな心境で捉えているのだろうか。
『……レオナルド。支配のスキルを持っていても、レオナルドは部下や協力者を作っているよね』
フランチェスカがそんなことを尋ねた理由を、レオナルドは恐らく察していた。
その上で、フランチェスカの質問を遮ることなく、まずは正しく答えてくれる。
『支配は常に有効な訳ではなく、複数を同時に操ると精度が落ちるからな』
彼自身の手のひらを見下ろして、レオナルドは続けた。
『心を掌握できる相手なら、スキルを使って支配するよりも、心から従わせる方が効率的だ』
(普通、スキルも使わずに人を従わせる方が、ずっと難しいことのはずだけれど……)
レオナルドにとっては、人を惹き付けることなど容易いのだ。
ロンバルディ家を追放された医者のカルロだって、ゲームでもこちらの世界でも、変わらずにレオナルドの協力者となっている。
『洗脳スキルを持っているクレスターニも、きっと同じ考えのはず。ダヴィードに残っている記憶の話を聞くだけでも、人を揺さぶるのが上手そうな人だったもの』
『はは。つくづく俺と似た物同士だよな』
『……レオナルド』
『君の考えに賛成だ。クレスターニには恐らく洗脳とは無関係に、当人の意思で従っている部下がいるだろう』
フランチェスカはこくりと頷いて、いまは考えの続きを話すことにした。
『さっきレオナルドが気にしてた通り、ダヴィードにはクレスターニの記憶がたくさん残ってる。肝心な部分は思い出せないとしても、これは今までの人たちと違うところだよ』
それには当然、ダヴィード自身が懸命に記憶を繋ぎ止め、耐えてくれているからだという面もあるだろう。
だが、恐らくは他にも理由がある。
『洗脳期間の長さや、子供の頃に洗脳されたことが理由とも考えられるが。最も他と違うのは……』
『――ダヴィードが、自分の意思でクレスターニに従って、洗脳されたこと』
その点は、リカルドの父やグラツィアーノの父のように、不本意に思考が乗っ取られた人たちとの明確な差だ。
『……あくまで推測だけど。クレスターニの記憶消去は、完璧じゃあないのかもしれないよね』
ちらりとレオナルドを見遣ったのは、もちろん理由があるからだ。
とはいえそれは口にせずに、フランチェスカは続けた。
『たとえば完全に洗脳された人たちからは、すっかりクレスターニの記憶が消してしまえるとして。反対にダヴィードみたいに、自分の意思で協力していた人からは、『自分の意思』の部分の記憶が少しだけ残ってしまうのかも……』
『俺も君に賛成だ、可愛いフランチェスカ。いくらダヴィードの精神力があったって、記憶消去のようなスキルに抗うのは至難の業だからな』
レオナルドはフランチェスカの顔を覗き込み、こうして確かめてくる。
『つまり君は、こんな計画を立てている。――クレスターニに洗脳されておらず、自分の意思で従っている、そんな配下を炙り出したいと』
『……クレスターニ本人は、長年レオナルドが探しても、見付かってないでしょう? だけどせめて配下の人なら、クレスターニよりも隙があるんじゃないかな……』
『フランチェスカ』
金色の目が、真摯な影を帯びてフランチェスカを見詰めた。
『そんな風に、君が責任を取ろうとする必要はない』
『……レオナルド?』
その声音に込められている感情は、フランチェスカへの労りだ。
『君の望む平穏も、平凡も、こんなことをした先の未来には存在しないかもしれない。君が健気に戦う理由が、「主人公」だからというものなら……』
続く言葉を予想して、フランチェスカはレオナルドの手を両手で包む。
『ううん。違うよ、レオナルド!』
『!』
確かに『シナリオ』が始まった当初は、主人公の責任から逃げられないと考えていた。
けれどもいまは、それだけではない。
(私は、この人生では平穏に生きたい。……周りのみんなや、ゲームシナリオで不幸になってしまう人たちも含めて全員で、幸せに過ごしたい悪党だもの)
そして黒幕のクレスターニは、レオナルドが父や兄の敵として、長年追い続けている存在だ。
(レオナルドが過去に決着をつけて、あるべき生き方を選べるように)
そのためには、シナリオで起こってゆく事件を解決して、クレスターニのもとへと進む必要がある。
『翻弄されたくないのなら、自分で進むしかないって分かったの』
『……フランチェスカ』
『三章までの「シナリオ」では、クレスターニに仕掛けられる一方だった。起こる出来事を回避できないか考えて、だけど結局は、運命に飲み込まれて……』
逃げることも、遠ざけることも出来ない。
『だったら、その運命を利用して挑むしかないよ』
フランチェスカは真っ直ぐにレオナルドを見上げ、迷わずに告げる。
『大切な人の幸せを顧みなかった未来に、私の望む『平穏』なんて存在しない……!』
『…………!』
僅かに目をみはったレオナルドが、やがて肯定の微笑みをくれた。
『……そうだったな。俺の、強くて愛おしいフランチェスカ』
そしてレオナルドは、フランチェスカの手を取って指を絡めた。
『俺も、同じ方法を考えていた。洗脳されていないクレスターニの配下を炙り出し、そいつを利用する』
(やっぱり。私の思い付く作戦なら、レオナルドだって当然考えてるよね)
フランチェスカの考えを読んだのか、レオナルドは微笑んでこう続ける。
『洗脳されていない配下に接触して、秘密裏に俺の支配スキルを仕込んでおく。そうして配下を泳がせれば、こちらがクレスターニの情報を引き出せるはずだ』
『……私も、それが一番だと思う。レオナルドのスキル頼りになっちゃうのは、不本意だけど……』
『なぜ? 元はと言えば、あいつは俺の敵だ』
レオナルドの声が、いつもより僅かに低くなる。
『――もうじきに、クレスターニを引き摺り出す』
『……っ』
その言葉には、何処か静かな殺気が滲んでいた。
反射的に肩を跳ねさせたフランチェスカに、レオナルドが苦笑する。
『目下の狙いどころは、次なるゲームのシナリオとやらだ。フランチェスカ、君の話を聞かせてくれるか?』
『……うん、もちろん! まずは念の為、ゲームの第一章からなんだけど……』
***
「ねえ、レオナルド」
あの日のことを思い出しながら、学院に向かう馬車の中で、フランチェスカはこう尋ねる。
「今日の夜、ルカさまからの召集があるんでしょ? 急に決まった当主会議だって、今朝パパが言ってた。今週末には期末テストなのに、大変だね」
「…………あー」
「?」
笑みを浮かべたレオナルドが、改まってこんなことを確認してきた。
「フランチェスカ。ゲームとやらの次の章は、十二月の上旬……つまり、もうすぐ始まるはずだよな?」




