191 本物の覚悟
そこへ不意に、ばたばたと切実な音が響いてくる。音からしてハイヒールを履いた、背の高い人物の足音だ。
「ダヴィード!」
血相を変えて駆け込んできたのは、ミモザのような金色の髪を靡かせた、美しい女性だった。
「っ、姉貴」
「…………!」
弟が無事なのを確かめたソフィアが、瞳を揺らして息を吐く。
彼女がすぐにくちびるを結ぶと、かつかつと靴音を鳴らし、ダヴィードではなくフランチェスカに跪いた。
「ごめんね。フランチェスカちゃん」
(……『お嬢さん』じゃなくて、私の名前……)
そのことに気が付いて、瞬きをする。
「こんな怪我をさせて、床に座らせたままなんて。私の、弟が」
フランチェスカは首を横に振ろうとした。
けれどもそれよりずっと先に、もうひとりの声がする。
「――まったくだ。つくづく傍迷惑な姉弟だな」
「レオナルド!」
フランチェスカは大事な親友の姿を見付けて、すぐさま立ち上がり駆け寄った。
外のことをすべて任せてしまったレオナルドに、一切の怪我は見当たらない。
それでも、子供の姿から大人に戻ったばかりのレオナルドにスキルを数多く使わせたことは、心配で仕方がなかった。
「大丈夫だった……!? 本当にありがとう。ごめんね」
「いつも言っているだろう? 君が俺に謝らなくてはならないことなんて、この世界にたったのひとつもないよ」
そう言ってフランチェスカを抱き寄せながら、やさしく笑う。
「レオナルド……?」
満月の色をした瞳には、やはりここ数日いつもと違う、特別な感情が揺らいでいるように見えた。
「フランチェスカ。あれは本物の、ミストレアルの輝石か?」
「……うん。輝石は偽物にすり替わっていたけれど、それは本物が変質したものだったんだ」
立ち上がったソフィアが、ぐっと両手を握りしめて弟を見下ろす。
そうして赤いくちびるが、不甲斐なさそうにこう紡いだ。
「――本当に、無様だね」
俯いていたダヴィードが、自嘲めいた笑みを浮かべる。
「姉貴の言う通りだよ。俺は……」
「あんたじゃない」
ダヴィードの前に立ったソフィアが、掠れる声で呟いた。
「……『小さな弟』に、ずうっと守らせて……」
「……!」
現時点のダヴィードの身長は、とうにソフィアを超えている。それでも恐らくソフィアにとって、ダヴィードは守るべき弟だったのだ。
「些細な違和感があったのに、見てみぬふりをし続けたんだ。気付いてやれるのなんて、私しか居なかったはずなのに」
「……やめろ」
「たったひとりで戦ってくれた、私の弟。ラニエーリ家の当主に相応しいのは、やっぱり――」
「やめろって、言ってんだろ……!!」
一際大きなその叫びが、ソフィアの言葉を途切れさせた。
「あの家は、姉貴を頂きに据えて完成する芸術品だ。俺は異物で、偽物なんだよ」
「ダヴィード。私は……!」
ソフィアはきっと、ダヴィードの言葉を否定しようとした。
けれども彼女が口を閉ざしたのは、ダヴィード自身がこう呟いたからだ。
「……だが」
「!」
座り込んでいたダヴィードが、大きな呼吸をついてから膝を立てる。
「――金輪際、そのことを言い訳にしたりはしねえ」
「ダヴィード……?」
「どんな生まれだろうと、なんのスキルを持っていようと。誰かに思考を乗っ取られても、逃げずに守る」
ゆっくりと立ち上がった弟を、ソフィアが真っ直ぐに見上げた。
ダヴィードが一度だけ、フランチェスカの方を見遣る。それから姉の瞳を見返したダヴィードの表情に、もはや一切の迷いは無い。
「その覚悟だけは本物だと、言い切れるなら」
ダヴィードはわずかに目を眇め、祈るような声音でこう紡ぐ。
「……俺の生きる理由なんて、それだけで十分だ」
(…………!)
つい先ほど、フランチェスカはダヴィードに告げた。『ダヴィードが沢山のものを守りたかった気持ちは、本物だって断言する』と。
ダヴィードがたったいま口にしたのは、そのことを受けての誓いなのだろうか。
「……ダヴィード」
呆然と呟いたソフィアの声に、ダヴィードははっきりとこう続けた。
「絶対に家なんか継がねーぞ。俺はなんとしても、姉貴をラニエーリ家の当主に据え続ける――文句を言う奴や、軽んじて侮辱する人間がひとりでも居たら、そいつを絶対に許さねえ」
「……馬鹿。そんなもの慣れっこだよ、あんたに庇われるまでもない」
「慣れたりするなって、そう言ってんのが分からねーのかよ……」
「!」
ダヴィードはやはり真摯な声音で、真っ直ぐにソフィアへと説いてみせるのだ。
「姉貴が当主でも何も言われない国に、いずれ変えてやる。……他人のスキルなんかに縋らず、俺自身の力で」
「…………っ」
たまらずに両手を伸ばしたソフィアが、長身の弟を抱き寄せた。突然の抱擁に驚いて、ダヴィードがすぐさま引き剥がそうとする。
「おい、姉貴! 馬鹿、離せって……」
「うるさいね。……離さない」
「…………っ」
ダヴィードはしばらく困惑していたが、やがて諦めたように力を抜いた。
決してソフィアを抱き締め返すことはしない。けれども抵抗をやめたのは、ソフィアの肩が震えていることに気が付いたからだろうか。
ほっと息をついたフランチェスカを、レオナルドが後ろからぎゅっと抱き締めた。
「レオナルド?」
「……ダヴィードのことは、あとでカルロにでも診せてやろう。洗脳スキルの解除なら、あいつで問題なく対処出来る」
「もしかして……。リカルドのお父さんやグラツィアーノのお父さん、イザベラさんも快調に向かってるのって、カルロさんが対処してるの?」
「はは、内緒だぞ。カルロが国王の依頼を受けて処置をしているなんて、ロンバルディ家が知ったらどうなるか分からない」
「そ、それは確かに……!」
知勇を信条とするロンバルディ家では、一族から医者も多く輩出している。国王ルカが頼った先が、一族から追放した人間だと知れば、騒動になる可能性もありそうだ。
(それにしても)
今回レオナルドが隠していた様々なことに、フランチェスカは少しだけ頬を膨らませた。
「……私。ちょっとだけ、レオナルドに対して拗ねてるよ」
「おや。これはまた、可愛いな」




