183 本物ではない
そこからダヴィードは気を失い、目を覚ましたときにはもう、父の葬儀は終わっていた。
『まさか、ラニエーリの当主が自ら命を絶つとは……』
『息子がそれを見付けて、気を失ったそうだよ。可哀想に、七歳の子供が父親の死を目の当たりにしたら、ショックを受けるに決まっている』
あのとき何が起きたのか、ダヴィードは誰にも話していない。
父の死の状況は、自身の腹部や頭を何度も銃で撃ったことによる自死だということは、複数の医者によって結論付けられた。
恐らくは禁じられた薬物を服用し、その所為で一時的に思考も冴え渡っていたのだろうと、誰もがそんな論調に納得していたのだ。
ただひとりソフィアだけが、何かを考え込むような顔をしていた。
けれども姉と話す機会が訪れなかったのは、ラニエーリの当主をどちらが継ぐかで、遠縁の親族たちを巻き込んだ騒動が起きたからだ。
『すぐにでもダヴィードに後継させるべきだ。幼くとも嫡男だぞ、それくらいの教育は受けてきているだろう!』
『いいや、家業を熟知しているソフィアこそがふさわしい。ダヴィードが当主となるのは、ダヴィードが成人してからでも遅くはないはずだ!』
『ラニエーリ家の、繁栄のために!』
ダヴィードを急いで後継者にしたがったのは、姉のことが気に食わなかった親戚たちだ。
『女に当主が務まるものか。本家がこれ以上没落しては、我が家まで恩恵が受けられなくなる』
『それどころかソフィアが実権を握れば、これまで娼婦どもを他国に売り飛ばしていた私たちを、追放するなどと言い出すぞ!』
そんな遠縁の親族たちは、ダヴィードを無理矢理とある『医者』の元へと連れ出した。
『ダヴィードのスキルを、強制覚醒させるんだ! ソフィアより優れたスキルを持つことが証明できれば、すぐにでもダヴィードが後継者となる……!!』
(……後継者になんか興味ない。だけど、俺のスキルが少しでも『本物』に近ければ、姉貴を……)
そしてダヴィードは、強制覚醒による痛みと苦しみの末に、自分のスキルについてを知ることになるのだ。
***
『――なんだ』
ダヴィードの前にその男が現れたのは、父の死から一ヶ月ほどが経ってからだった。
『思いの外、元気にしているじゃないか。心配して忍び込んできてみたが、拍子抜けしたな』
『……』
姉が当主になることが決まってから、ダヴィードの周りには人が消えた。
ダヴィードを無理矢理に担ぎ上げようとした親族は、これまでの美しくない悪事が明るみになって、とうに排除されている。
当主継承の準備で多忙を極める姉は、家にすら戻って来ない日々だ。
そんな中、男はまるで古くからの知人であったかのように、ダヴィードへとにこやかに微笑むのである。
『お前は父が殺され、姉に当主の座を奪われて、可哀想な子供のはずなんだが』
『……あんたこそ、そのかわいそうな子供になんの用だ』
ダヴィードはその人物を、真っ向から睨み付けたはずなのだ。
『俺の親父を殺した、張本人が』
『……ははっ』
それなのに、その人物がどんな顔をしていたのか、茫洋とした輪郭すらも思い出せない。
『まるで俺がお前の元に来ることを、最初から理解していたかのようじゃないか』
『用があるから生かしたことくらい、分かる。俺はあのとき、あんたの顔を見てるから……普通だったら口封じに、親父に俺を殺させてるはずだ』
『驚いた。その様子じゃあ、父親が俺に洗脳されて、操られていたことも理解しているらしい』
その人物の言う通り、ダヴィードはきちんと理解していた。
あのとき自分は『見逃された』のだ。それはきっと情けや容赦ではなく、利用価値があるからだろう。
父を殺した人物は、ダヴィードのことを見て笑ったはずだ。
『――聡い子だな。ダヴィード』
『……っ』
まるで、大切な子供を褒めそやすかのようなその声音に、心臓が跳ねた記憶がある。
『あんたは俺を、親父のように洗脳しに来たんだろう。……クレスターニ』
父がそう呼んでいた人物は、異様に人の心を惹き付ける、そんな力を持っていた。
それなのにダヴィードは、対峙したその男の顔が、やはりどうしても思い出せない。
『分かっていても逃げないのは、姉を俺の洗脳から守るためか』
『……っ』
『お前が拒めば、姉が親父のように洗脳される。そう思うから、俺がお前を生かした理由がすべて分かっていても、姉に助けすら求められなかった』
『…………』
こちらの弱味を見せては駄目だ。本当の目的を悟られることも、相手に上手を取られることになる。
そのことが分かっていても尚、姉を危険に晒したくないという気持ちを隠し通すのは、当時のダヴィードには難しかった。
『健気だな』
『……そんなんじゃ、ない』
『へえ。なら、やっぱりこんな小さな子供はやめて、当主たる姉を手中に納めるとしようか?』
『!!』
クレスターニの笑い声は、ダヴィードで遊んでいるかのようだ。
(気圧されるな。ここで俺が間違えたら、姉貴が……)
姉はいつもダヴィードに、こう言っていた。
(女や子供だからって、舐められたらその時点で負ける。優美に、堂々と、対等に条件を突き付ける……)
そう覚悟をし、クレスターニへと告げた。
『俺と、取り引きをしろ』
『――――ふうん?』
幼い頭で懸命に考えたことなど、たかが知れている。
けれどもあのときのダヴィードは、それだけが正解だと信じていた。
『あんたは人を洗脳できても、いつでも操れる訳じゃない。だってそれが出来るなら、もっと上手に親父を動かしたはずだ』
この半年間、父の振る舞いはおかしかった。
当主として、『異様なまでに優秀』な動きを取り過ぎていたのだ。あれはきっと、クレスターニの洗脳によるものではなく、父自身の傲慢によるものだろう。
『洗脳されると、そいつの能力が上がるんじゃないか。……上手く言えないけど、あんたの力を分けてもらえているような、そんな風に見えた』
『……』
『親父はそれで傲慢になって、目立つ動きをしすぎた。自分の頭が良くなったみたいに錯覚して、大きな商売をどんどん成功させて……だからあんたに、殺されたんだろ』
クレスターニのくちびるが、機嫌の良さそうな形を作る。
『なるほど、ダヴィード坊や。お前はいつ俺に殺されるか分からない状況を承知の上で、俺にその身を差し出すと?』
『その代わり、あんたに洗脳されていない間も、俺はこれまでの俺のままで居続けてやる』
脳裏に一度だけ、姉の笑った顔が過ぎった。
けれどもぶんぶんと頭を振り、その光景を自ら掻き消す。
『……怪しまれないよう、俺はこの先、誰とも友達にならない。なるべくひとりで過ごす』
『それはそれは。素晴らしい心掛けだな』
『誰かと一緒に遊ばなきゃいけないときは……たとえば歳がすっごく離れたやつだけを相手にして、「本当」の俺を誰にも見せない』
『はは。なんともまあ、微笑ましいな!』
必死に考えた『条件』は、本当に拙いものだった。
それでもクレスターニは、強制的に洗脳する訳でもなく、幼いダヴィードへと『対等』に問い掛ける。
『なかなか上手くやったなあ。お前の姉ではなく、お前の方を使おうという気になってきた』
『……あんたにとっては姉貴よりも、俺のスキルの方が都合がいいんだろ。それを自由に使わせてやるんだ、こっちからも条件がある』
『はははっ! いいね、それくらいの度胸が無いとな!』
機嫌が良さそうに笑うクレスターニの声に、こちらは吐き気すらしそうだった。
『それならお前は、俺に一体何を求める?』
大人たちが口にしていた言葉を真似て、クレスターニを見据えた。
『――俺には、消したいものがある』
『……』
だってダヴィードは、『本物』の当主にはなれなかった。
スキルの強制覚醒によって、そのことが決定付けられてしまったのだ。だからこそ、偽物として足掻かなくてはならない。
『そのために、俺が願っている世界を、あんたの「その能力」で作ってくれ』
『……いいだろう』
クレスターニが膝を折り、ダヴィードに視線を合わせて笑う。
『それではこの国の悪党らしく、血の誓約を交わそうじゃないか。――俺の親愛なる、幼き同志よ』
それから半年後、次期当主たるすべての手続きを終えて、姉がラニエーリ家の正式な後継者となった。
いずれダヴィードに後を継ぐ、それまでの僅かな時間だと、姉は微笑んでダヴィードに告げる。
だが、ダヴィードにその日を待つつもりは、毛頭ないのだ。
***
「…………」
幼い頃の夢から覚め、十七歳のダヴィードがゆっくりと目を開けたとき、王都は夕暮れに染まっていた。
藍色に染まった空の果てには、ほんの僅かな橙色が滲んでいる。
遥か昔から数々の画家によって、何千枚と絵画のモチーフにされてきたこの空は、息を呑むほどに美しい。
「……っ!?」
それなのに、ダヴィードの眼前に広がる光景は、吐き気を催すほどに醜いものだ。
「……また、かよ……」
ダヴィードは自分でも気が付かないあいだに、ラニエーリ家の縄張りである街の大通りに立っている。
そしてその街路には、数多くの化け物がひしめきあっているのだ。
「ちょうだい。……ちょうだい、もっと、寄越しなさいよ……!!」
「あいつが憎い。妬ましい。ずるい、ずるい、ずるい……!!」
大きく開いた口から飛び出した手で、他人の宝飾品を引き千切ろうとする化け物。
全身に歯のようなものが生えて、店先の食べ物を貪り始める化け物。恋人らしき化け物の体を何本もの手で抱き締め、罵りながらも離さない化け物。
直視するにもおぞましい者たちが、宵闇の街路で蠢いていた。
(くそ……っ)
今夜は魔灯夜祭の当日だが、これは決して仮装ではない。
(俺が、こいつら醜い物を生み出した)
頭が酷く痛むのは、先ほどまで洗脳状態だった反動だ。
額を押さえて舌打ちをし、自分自身に言い聞かせる。ダヴィードは、内心でずっと恐れていたこの光景を想起させる魔灯夜祭が、心から忌々しい。
(……心の醜さを具現化して、その人間の姿を変容させる、このスキルで……)
本物の力も、美しいものも、ダヴィードのことを愛さなかった。
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