165 大事なものを
「……なんで、お前は」
「?」
ダヴィードが、フランチェスカから視線を逸らす。そのことを不思議に思い、首を傾げた。
「ど、どうかした?」
「なんでもねーよ。ただ……」
「ねえねえ、ダヴィードおにいちゃん!」
ダヴィードのバイオリンを手にした男の子が、石の階段を駆け上がってくる。
「おい。走るな、転んだらどうすんだ」
「見て見て! 先週出来なかったとこ、ちょっと上手になって……あっ!!」
(危ない!!)
段差に躓いた男の子が、そのまま転びそうになる。
「っ、何やってんだ!」
フランチェスカが手を伸ばすより早く、ダヴィードが男の子を受け止める。しかしその拍子に、小さな手からバイオリンが離れてしまった。
「――!」
ダヴィードが僅かに目を見開いて、それでも男の子を抱き止める。
バイオリンが階段の下、石畳に投げ出されそうになったその瞬間、飛び降りたフランチェスカの手がそれを掴んだ。
「な……っ!?」
(っ、間に合った……!)
ドレスの裾が翻る。
バイオリンを抱き止めて着地すると、その衝撃でじいんと足が痛んだ。思わず目を瞑り、僅かに身を震わせると、上からダヴィードの焦った声がする。
「おい!! 怪我したんじゃねえのか!?」
「お、おねーちゃん、ごめんなさい……!」
「だっ、だ、大丈夫!」
僅かに声が震えてしまうものの、怪我をしていないのは本当だ。
何よりも、バイオリンが壊れたりしていないことを確かめて、フランチェスカはほっとした。
「ほら! ちゃんと無事だよ!」
「……物なんざ、どうでもいいだろうが……」
(ううん。そんなことない)
バイオリンが落ちそうになったその瞬間、ダヴィードが息を呑んだことには気付いている。
父から姉に引き継がれ、そして自分に渡ったバイオリンだと話していた。それでも小さな子供のことを優先し、迷うそぶりすら見せなかったダヴィードに、フランチェスカは微笑んで告げる。
「大事なものを、大事じゃないふりしなくてもいいんだよ」
「〜〜〜〜……っ」
その瞬間のダヴィードは、小さな子供のような表情をした気がした。
男の子を座らせたダヴィードが、階段を降りてくる。バイオリンを受け取るかと思いきや、彼はフランチェスカの足元に片膝を突くのだ。
女の子たちが目を輝かせ、「わあ……」と見惚れて頬を染める。
ダヴィードが跪いたその姿が、御伽話の騎士のように美しかったからだろう。
「――本当に、怪我してねえんだな?」
「ダヴィード……」
フランチェスカの靴にそっと触れ、確かめるように尋ねてくる。
その思いやりが嬉しくて、フランチェスカは微笑んだ。
「うん。平気、ありがとう!」
「……ちっ」
ちょうどそのとき、孤児院の前に馬車が停まるのが見えた。赤い薔薇の家紋が掲げられた、あれは、フランチェスカの家の馬車だ
「あ!」
そしてその窓際に、小さなレオナルドの姿を見付けて、フランチェスカは目を輝かせた。
「迎えが来たみたい、もう行くね。輝石の話はあんまり出来なかったけど……」
「いいからさっさと帰れ。治癒スキル持ちの人間とやらに、ちゃんと診せろよ」
「ふふ。分かった、それじゃあね! みんなもまた!」
「おねえちゃん、ばいばい!」
「また来てね!」
子供たちの言葉を嬉しく思いながら、ひとりひとりとハイタッチをしてから馬車に向かった。
(……輝石の話は出来なかった。だけど、ゲームと大きく違うところの情報を得られたのは、進展かな)
そんなことを内心で考え、表情を引き締める。
(ゲームと違うのは。…………ソフィアさんの、行動だ)
***
フランチェスカの去った教会前で、石の階段に腰を下ろしたダヴィードは、俯いて額を押さえていた。
つい先ほど、フランチェスカの口にした言葉が、耳に焼き付いて離れない。
『……綺麗なものが持つ力って、こんなにすごいんだね!』
『大事なものを、大事じゃないふりしなくてもいいんだよ』
あんなに美しく笑う人間を、ダヴィードは生まれて初めて見た。
あれこそが本物の美しいものだと、そんな馬鹿げた思考が浮かんでしまうほどにだ。
(俺のことなんざ、お前は何も知らない癖に。……なんなんだよ……)
こんな感情に振り舞わされるのが、死ぬほど不本意で仕方がない。
しかし、考えないようにしようと努力すればするほどに、フランチェスカのことを思い浮かべてしまう。
「ダヴィードおにいちゃん。さっきのおねえちゃん、また来てくれるかなあ」
「……知るか」
子供たちの無邪気な問い掛けにも、そう答えるので精一杯だった。
「くそ」
俯いて自分の前髪を掻き上げ、くしゃりと乱雑に握り込んで呟く。
「……熱い……」
心臓にまで届きそうな熱が、冷めてくれそうな気配はないのだった。
***
「――私が違和感を覚えたのは、ソフィアさんのそんな過去なの」
迎えに来てくれた馬車の中、小さな姿になった親友とふたり並んだフランチェスカは、先ほどまでの出来事をレオナルドに共有し始めていた。




