163 女性当主
「ああ、そんなに深刻にならなくていいよ。その男には想い人がいると分かっていて、それでも諦められなかった。たったそれだけの、青臭いもんだから」
「姉貴のそういう話なんざ、世界一聞きたくねーんだが……」
「それでも、どうしても駄目だって分かった途端、当時は何もかもが嫌になっちまってね。だから逃げた」
ソフィアはやはり笑っていて、すっかり過ぎ去った思い出を話しているかのようだ。
「あの頃うちの親父は、家の存続について思い詰めていてねえ。うちは美しいものを稼業にする家だが、親父はあまり審美眼に恵まれず、家の状況は思わしくなかったんだ」
「……ふん」
「そんな中、私が逃げるなんて考えられなかったんだろう。まんまと連れ戻され、使用人は責任を問われて全員解雇ときたもんだ。捕まった後も、泣いたっけ……」
当時のことを懐かしむように、ソフィアが目を細める。ダヴィードはやはり複雑そうな顔で、ソフィアから顔を背けていた。
(ソフィアさん。明るく平気そうに教えてくれるけど、そんな風に話せるようになるまでには、きっと時間が掛かったんじゃ……)
「……やさしい子だね」
フランチェスカの内心を、ソフィアは当然見抜いただろう。フランチェスカの心境を慮ってか、明るい話題を振ってくれる。
「あのとき軟禁状態だった私を助けてくれたのは、エヴァルトなんだよ」
「うちのパパが?」
「セラフィーナさんも亡くなる前は、私のことを可愛がってくれた。フランチェスカお嬢さんのやさしさは、ご両親そっくりだ」
そんな風に褒められたフランチェスカは、負けじとソフィアへの尊敬を語った。
「ソフィアさんだって、とってもやさしいです! 私のことをいつだって、気に掛けてくださって……それに、強くて格好良くて!!」
「あははっ、嬉しいねえ。聞いたかい? ダヴィード」
「ふん。やさしい? こいつの何処が」
「お姉さまの人柄が分からないとは、あんたの審美眼もまだまだだね。修行が足りない、出直してきな」
「本当に優しい姉とやらは、ことあるごとに弟をパシらせたりしねーんだよ」
(ふふ。とっても仲良し姉弟だなあ)
ふたりのやりとりを、微笑ましく見守る。しかしソフィアは目を眇め、含みのある言葉を漏らした。
「守るべきもののためなら、弟だって利用するさ」
「……姉貴?」
「お嬢さんもようく覚えておくといい。女が上り詰めるには、徹底的にやらないと駄目だ」
ソフィアはぐっと拳を握り、フランチェスカの背中を押すように笑った。
「『女のくせに』も『女性ならでは』も、どっちも同じくらい無視していいからね! 大丈夫だ。お嬢さんならそんなしがらみ、何もかも振り切って進めるから」
「そ、ソフィアさん」
フランチェスカはあることに気が付いて、遠慮がちにソフィアへと指摘する。
「あの。……ひょっとして、シャツの袖口についているの、返り血では……?」
「おや?」
ダヴィードが顔を顰めた隣で、ソフィアは明るい笑い声を上げた。
「あはは、見苦しいところをごめんね! 拷問めいた聞き込みをした名残りが、どうやらちょーっとだけ残ってたみたいだ」
「姉貴……。そんなんだからうちは、五大ファミリーのどの家よりも当主の血の気が荒いって言われるんだからな。何が優美の家の女当主だよ」
「女だから大人しいなんて先入観こそが、馬鹿げてるのさ。女はいっそ景気良く!」
そんなソフィアの振る舞いは、フランチェスカから見ても憧れる。
けれどもやはりどうしても、心配になることはあった。
(ソフィアさん、疲れて見える。空元気というか、わざと明るく振る舞ってるみたい……)
フランチェスカと同じことを、ダヴィードも感じたのだろう。姉を押し遣るように立ち上がったダヴィードが、フランチェスカを見下ろした。
「おい、もう帰れ。俺はそろそろ出掛ける時間だ」
(ソフィアさんが少しでも休めるよう、お暇したいのは山々だけど……でも、輝石についての捜査が全然進んでない)
図々しい確認を申し訳なく思いつつ、フランチェスカはダヴィードに尋ねる。
「ダヴィード、何処に出掛けるの? ついていっちゃ駄目?」
「はあ?」
「おや。いいじゃないかダヴィード、お嬢さんを連れて行ってあげなよ」
「冗談じゃねえ」
ダヴィードは案の定嫌がるが、どうやらフランチェスカが同行しても支障はない場所のようだ。フランチェスカがじっと見詰めると、ダヴィードは舌打ちしながら説明してくれた。
「孤児院のチビ共に、楽器を教えてやってるだけだ」
「楽器!?」
「寒いしうるせーし面倒だし、ついてきてもロクなことはねえって想像つくだろ?」
「小さい子たちに教えに行くの? 今から?」
「そうだって言ってんだろ。聞いて分かる通り、退屈なだけで何も楽しくない行き先だ。納得したら、さっさと帰…………」
フランチェスカを追い返そうとしたダヴィードが、ぎくりとしたように硬直する。
「……な、なんだよ。その、キラッキラした目は……!」
こうしてフランチェスカはダヴィードと共に、孤児院に向かうことになったのだった。




