138 普通の女子生徒
事件の香りにぷるぷると震えながらも、フランチェスカは校舎を出る。
(この嫌な予感を現実にしないためにも、あの事件を発生させずに回避する。だから……)
陽で温まった落ち葉の柔らかな香りが、風と共に吹き抜けていった。深まる秋の気配は、フランチェスカにゲーム三章を強く意識させるものだ。
(多分そろそろ『みんな』も、校門の前に着いている頃のはず)
下校してゆく学院の生徒たちが、お互いに手を振りながら「また明日ね」と挨拶をしている。友達の居ない身にとっては、羨ましすぎる光景だ。
(ううっ、私もあの挨拶に溶け込みたい……!! だけど勇気を出して挨拶しても、なんだか引き攣らせちゃうんだよね。私そんなに怖いかな……)
そんなことを悩むフランチェスカは、校門に近付くにつれてだんだん周囲の表情が変わっていくことに気付かない。
「お、おい。門の前にいるのって……」
(知らない間に、みんなに失礼なことをしてたり、不快に思わせるようなことをしてるんだとしたらどうしよう!? 友達になれなくてもせめて、迷惑だけは掛けたくないなあ……)
少ししょんぼりしながら歩いていたフランチェスカは、けれどもやがて、ぱっと表情を明るくする。
「あ!」
校門の前には、フランチェスカが会いたかった面々の姿があるのだ。
「おーい、みんなー!!」
「!?」
大きく手を振ったフランチェスカを、生徒たちがぎょっとした顔で振り返った。一方で視線の先にいる彼らは、フランチェスカを出迎える。
「あれ。お嬢」
馬車の前に立ったグラツィアーノは、このところ上級生の女子の間で、ますます注目を集めているそうだ。
なんでも三年生の女の子が絡まれているところを助け、男たちをぼこぼこにしたらしく、その勇姿があちこちに広められているらしい。
「あんた今日、掃除当番って言ってませんでしたっけ。もしやサボって逃げてきました?」
「逃げないよ! すごく急いで終わらせてきたの。窓なんてぴかぴかに出来たんだから!」
「へー。ご自分の部屋はすぐ散らかすのに、すごいっすね」
そう言って意地悪に笑うグラツィアーノに、「もう!」と不服を申し立てておく。すると傍に立っていた青年が、自身の前で両腕を組んだポーズでこう言った。
「フランチェスカよ」
「ひゃい!! な、なんでしょうリカルドさん!?」
思わず敬語になってしまったのは、怒られる気配を察知したからだ。
慌てて姿勢を正せば、セラノーヴァ家の当主継承を控えるリカルドは、眉間に皺を寄せて大真面目に言った。
「服装の乱れは風紀の乱れ。自室の乱れは人生の乱れだ。収納できる量の割に、物量が多いのではないか? 自室にあるものが本当にすべて物理的に整頓可能なものなのか、一度検討してみるべきだ」
「お、仰る通りで反論の余地も……!」
「だが」
みんなに恐れられ、一目置かれる風紀委員でもあるリカルドが、不意にふっとやさしい笑みを浮かべる。
「公共の場を綺麗に掃除できるのは、たいへん素晴らしい」
「……!」
いつも正しくあろうとするリカルドに褒められて、嬉しくない人間など居ないと思ってしまう。
フランチェスカが目を輝かせると、それまでじっと傍観していた人物が歩み出た。
「何を言ってるんだよ、リカルド」
「む……」
フランチェスカの手を取ったのは、悪戯っぽく笑ったレオナルドだ。
まるで手の甲にキスをするかのような触れ方だが、実際には繋がれているだけである。月の色をした双眸を眇め、大事そうにフランチェスカのことを見つめた。
「フランチェスカはいつだって素晴らしい。頑張り屋だし、元気で可愛い女の子だ」
「と、突然のベタ褒め……! どうしたの? レオナルド。ちょっと拗ねてる?」
「ははは。さすがフランチェスカ、なんでもお見通しだなあ」
そんなやりとりを交わしていると、背後にいる下校中の生徒たちが、ひそひそと内緒話をしているのを感じた。
「あ……あそこで喋ってるの、レオナルドさまとリカルドさまとグラツィアーノくんよね……?」
「全員すごい美貌。集まってるだけでとんでもない迫力があって、近寄りがたいのに……」
「あんなに仲良く喋ってるあの子、いったい何者なの……!?」
「?」
不思議に思って振り返れば、凄まじいスピードで視線を逸らされた。
(うわあん、やっぱり何故か避けられてる……!!)
自分が異様な状況で平然としている異分子であることに、フランチェスカは気付かないままだ。
くすっと笑ったレオナルドが、フランチェスカに改めて尋ねた。
「それで? フランチェスカ。君が急いでここに来たのは、もうすぐ到着するお父君に用事でも?」
「しーっ! 学院での私は『カルヴィーノの娘』じゃなくて、『トロヴァート』だよ。これからカルヴィーノ家の当主さまが到着しても、知らない人のふり!」
「お嬢に知らない人のふりなんてされたら、当主泣くだろーな……」
グラツィアーノがぽそりと呟くのは否定しない。フランチェスカは三人を見回して、このことを尋ねる。
「レオナルドとリカルドは今日、『ミストレアルの輝石』のお披露目に行くんでしょ?」
「――――……」
微笑みを浮かべたままであるレオナルドの隣で、リカルドは気を引き締めるような顔をする。
(リカルドが緊張してるのも当然だ。『ミストレアルの輝石』は、同盟国すべての宝物……各国の地を清めてくれるからこそ、この十カ国がひとつの大国だったときから、協力して守護する宝石なんだもの)
それは、国々を『渡る』宝なのだ。輝石の持つ力は国々にとっては重要であり、だからこそ絆の象徴とされる。
「あのね」
フランチェスカは、レオナルドたちに告げる。
「私も行くの。その、お披露目の夜会に」
「――フランチェスカが?」
意外そうな顔をしたのは、レオナルドだった。




