120 問い掛け
ひそひそと小声で話すうち、イザベラがフランチェスカの傍にやってくる。
彼女は、周囲の男性たちをそれとなく離れさせた上で、そっと柔らかく頬に手を添えてくれた。
「フランチェスカちゃん大丈夫? 怖い目に遭ったりしてないかしら。あなたたちは私を川原で助けてくれた恩人なんだもの、なんでも言ってね」
(わわ、良い匂い)
可愛らしくも大人っぽいその色香に、フランチェスカまでどきどきしてくる。
仕事ではない時間、別荘で寛いだ姿のイザベラも無防備な色っぽさがあったが、接客中の美しさは更に磨きが掛かっていた。
「レオナルドが一緒にいるから大丈夫です! それとこの大人っぽいドレス、貸して下さってありがとうございました」
「いいのよ。ソフィアお姉さまの手が空いてれば、もっと色んなドレスを試着させてあげられたのだけれど……おもてなしのために忙しいみたいで」
「ソフィアさんが、ですか?」
娼婦を手配しているだけではないのだろうか。フランチェスカが尋ねると、イザベラが人差し指を口元に当てていう。
「サヴィーニ閣下の姿が、見えないみたいなの」
「……それは、心配ですね」
イザベラはむうっとくちびるを尖らせ、怒ったように言う。
「侯爵ったら、どうしちゃったのかしら? フランチェスカちゃんたちに助けてもらったあのとき、侯爵の命令で随分強引に連れていかれそうになったでしょ? そのお詫びに、素敵なお客さまになってくれそうなおじさまと会わせて下さるって約束だったのに。ひどいと思わない?」
「それでしたら、イザベラ嬢」
フランチェスカとの会話を遮って、レオナルドがにこやかに言った。
「向こうの方に、俺が先ほどご紹介にあずかった男爵閣下が。なんでも新進気鋭で評判の、素晴らしい実業家だそうで」
「あら、ほんと?」
「それじゃ、俺とフランチェスカは外の空気を吸ってくるとしよう。行こうか、フランチェスカ」
「う、うん……」
肩を抱かれて歩き出すも、そこに新しい要人が話し掛けてくる。
「アルディーニ閣下! よろしければ私とあちらで少しお話を……」
「私も是非紹介したいお方がいらっしゃいまして。きっと有意義な時間になるはずです、さあさあ!」
「生憎」
レオナルドはフランチェスカを抱き寄せたまま振り返り、人懐っこい笑みの中に僅かな影を滲ませて言う。
「この美しい彼女と過ごす以上に、有意義な時間を知らないもので」
「……っ」
あからさまな牽制に、要人たちが怯んで立ち止まる。
フランチェスカは、ホールから直接降りることの出来る庭の方へと連れて行かれながら、少し心配になった。
「私が本当は娼婦じゃなくて、レオナルドの友達だってことバレちゃうんじゃない……?」
「今のを見て、君のことを俺の友人だと思うような男は居ないさ」
「そうなの?」
大切な友人扱いをされている気でいたが、世間的にはそうでもないのだろうか。それはそれで残念に思いつつも、レオナルドと一緒に庭へと出る。
最初は暗くてよく見えないものの、レオナルドにエスコートされつつ湖の方に歩いてゆく。ややあって目が慣れてくると、辺りの様子がよく分かった。
「わ……」
目の前に広がるその景色に、フランチェスカは声を上げる。
このダンスホールがある建物は、湖畔に造られているものだ。庭は湖に面しているのだが、その湖面は凪いでおり、まるで鏡のようになっていた。
そして湖の表面には、欠けつつある月や星の光が、まるで鏡のように映り込んでいる。
空にあるはずの星々が、湖面に浮かんで輝いている。その光景は不思議であり、幻想的だ。
「レオナルド、すごいね!」
フランチェスカは湖の方に数歩歩くと、レオナルドを振り返って見上げた。
「湖が大きな鏡になってるし、風がとっても涼しい」
「ああ、見事な光景だ。もっとも君の瞳の方が、よっぽど鏡のように美しいんだが」
「誰の気配も無いから、口説いてるふりしなくても大丈夫だよ」
「ははっ」
そう告げるとレオナルドは笑い、フランチェスカの隣に立って囁く。
「――あいつの乗った馬車が来る」
「!」
レオナルドが言った通り、森の向こうから一台の馬車が走ってきた。暗くてはっきりと見えないものの、その馬車はラピスラズリの青色に塗られている。
掲げられた旗は、サヴィーニ家の家紋が描かれているものだ。
「遅れてやってきたサヴィーニ侯爵の登場を、みんな待ち侘びているだろうな」
「……そうだね」
「上客を紹介されたい娼婦や、接待の仕事を代理で勤めているソフィアだけじゃない。侯爵と商談の段取りを組みたい連中の他に、殺し屋も……」
「ひとつだけ聞いていいかな。レオナルド」
フランチェスカが前置きすると、レオナルドがこちらを微笑んで見下ろす。
「これから始まる作戦に、必要なことか?」
「きっとそう。だからね、教えてほしいの」
一際強い風が吹き、鏡のようだった水面に細波が立った。
レオナルドの跳ねた黒髪が風に煽られる中、フランチェスカは口を開く。
「サヴィーニ侯爵がレオナルドに依頼したのは、本当にグラツィアーノを殺すことだった?」
「……」
レオナルドが微笑みのまま目を眇める。




