114 手招いて引き入れる
「……これはこれは。お嬢さん」
「こんにちは。サヴィーニ侯爵閣下」
続いて侯爵のまなざしは、フランチェスカの前に歩み出たリカルドに向けられた。彼らの視線が重なったとき、フランチェスカは違和感を覚える。
(あれ? リカルドが挨拶しない……)
いつも礼儀正しいリカルドが、こんなときに何も言わないのは珍しく感じられた。前回、河原で侯爵と会ったときは慌しかったので当然だが、いまはそうではない。
(もしかしてリカルドって、侯爵とじっくり会ったことが他のタイミングであるのかな?)
そんな想像をしていると、侯爵がおもむろに口を開いた。
「――お嬢さんの従者はまだ、この森に?」
「!」
フランチェスカはむっと身構え、侯爵を見上げる。
「もちろんです! グラツィアーノは私の大事なお世話係で、弟分なので」
「弟……」
「それに。父はグラツィアーノを養子に迎えて、当家の後継にしたいと考えているんです」
そう告げると、サヴィーニ侯爵が目をみはった。
「あの子が、カルヴィーノ家の後継者に?」
グラツィアーノと面差しのよく似たその顔が、僅かに歪む。
「……なるほど。お嬢さんはその話をすることによって、私を安心させようとなさっているのですね」
フランチェスカの考えは、サヴィーニ侯爵に見抜かれたようだ。
(グラツィアーノがいま怖がっているのが、自分がサヴィーニ家の後継者になりたがっていると勘違いされること。その上で命を狙われて、私を巻き込んじゃうことなら……)
その想像がどれほど正しいのかは分からない。
しかし的中しているならば、グラツィアーノが養子になるという説明によって、少しはその疑念が薄れるはずだ。
「お嬢さんが、何処まで当家の事情をご存知かは分かりかねますが――……」
侯爵は息を吐き、フランチェスカの方に歩いてくる。
「養子という立場は、非常に危うく不十分です。後継者争いにおいては、その家の血を引く実子ですら様々に比較され、時には兄弟殺しに発展することすらある」
「ご安心ください。当家では私がひとり娘です、グラツィアーノを脅かす存在は居ません」
「お父君はお嬢さんが結婚なさった暁に、お子さんのひとりを引き取るおつもりなのでは? 余所者が跡を継ぐのは一代限り、そして再び直系の血筋に戻る……」
フランチェスカを不機嫌そうに見下ろして、侯爵は言った。
「彼がカルヴィーノを継ぐことが、我がサヴィーニ家の後継を狙わない証左になると言うのであれば。――お嬢さんがあの子を花婿とし、確固たる立場でも与えてやってほしいものですな」
「…………」
とても冷ややかな空気の中に、確かな怒気が受け取れた。
フランチェスカが口を開こうとすれば、リカルドが庇うように歩み出る。
「サヴィーニ閣下。その発言は撤回しておいた方がよろしいかと」
「おや。私は一般論を述べたまでだが?」
「婚約者のいる令嬢にその仰りようは、侮辱と受け取られても仕方がありません。私はフランチェスカに恩義があり、彼女の名誉を傷付けるとなれば、どなたがお相手でも見過ごす訳にはいかない」
「……」
サヴィーニ侯爵は息を吐き、フランチェスカたちに背を向けた。
「なんであろうと。あの子に私の傍をうろつかれては迷惑であることに、変わりはない」
「サヴィーニ閣下……」
「再び視界に入る前に、消えてくれと。……そう願うばかりですよ」
刃のように冷たいその言葉を、グラツィアーノには聞かせたくないと心から感じた。
(グラツィアーノがこの森にいるのは、侯爵が暗殺されるのを防ぐ命令のため)
侯爵が立ち去ったあとの森の中で、フランチェスカはリカルドを見上げる。
「……助けようとしてくれてありがとう、リカルド。だけどね、少しお話しをさせてくれる?」
「む……」
先ほどの違和感について、詳細を確認しておきたい。
フランチェスカがじっと見詰めると、リカルドは観念したように息を吐き、「分かった」と目を閉じたのだった。
***
「――レオナルド、もう部屋に戻ってるの?」
「はい。アルディーニさまは本日、早朝よりお出掛けになられたため、お部屋で仮眠を取られるとのことでした」
リカルドに送り届けられて別荘に戻った夕刻、カルヴィーノ家の使用人にそう言われたフランチェスカは、エントランスから二階に続く階段を見上げた。
(そろそろ陽は落ちそうだけど、まだ夕方なのに。こんな中途半端な時間に仮眠……?)
「ご夕食も不要とのことでしたが。いかがなさいましょう? フランチェスカお嬢さま」
「……そうだね、レオナルドの言う通りにしてあげて。でも、私があとで厨房を使わせてもらうかも」
「かしこまりました。それでは引き続き、他の皆さまのお食事をご用意させていただきます」
家からこの森へ同行してくれている彼にお礼を言い、フランチェスカは帽子を預ける。
「リカルドは夕食の時間まで、私が襲われた辺りをもう一度見に行ってくれるって。グラツィアーノはどうしてる?」
「鍛え直してほしいとのことでしたので、庭で他の面々と組み手の最中かと。私も後ほど参加して参ります」
「そっか……グラツィアーノにお願いしたい調査があるの。この紙を渡しておいてくれる? それと、私もしばらく部屋で過ごすから!」
そう言って急ぎつつ階段を上がる。なるべく物音を立てないように向かったのは、フランチェスカのために用意された部屋ではない。
「レオナルド、起きてる……?」
そっと小さく声を掛けると、中から声がした。
「……どうぞ」
ゆっくりと扉を開け、レオナルドのベッドに近付いてゆく。彼の様子を窺って、フランチェスカは確信した。
(やっぱり)
シーツの海へ横向きに沈んでいたレオナルドが、緩慢な動作で寝返りを打つ。仰向けの体からは力が抜けて、猫のようにくったりとして見えた。
呼吸はいつもより浅く、フランチェスカを見上げる双眸は無防備で、茫洋としている。
まるで寝起きの幼な子だが、仮眠を取っていただけには見えない。
「レオナルド、熱があるの……?」
「んー……」
レオナルドが身に纏っているのは、首元のボタンを外した白いシャツと、ベルトを外したスラックスだった。床には上着とベルトが捨てられていて、着替える余裕がなかったのが分かる。
「待ってね。いま、お水と薬を……」
「……フランチェスカ」
何処か甘えるような声音と共に、レオナルドがこちらに手を伸ばした。
首筋から伝った汗の雫が、シャツの襟元を寛げた肌の上を滑る。喉仏の近くから鎖骨を伝い、窓から差し込む橙色の夕陽に照らされていた。
「こっち」
「……?」
手を繋ぎたがっているのだと気が付いて、首を傾げつつレオナルドの指に触れる。
「わ……っ」
その瞬間に捕まって、彼のベッドに引き倒された。
そうしてレオナルドは、縋り付くようにフランチェスカを抱き締めるのだ。
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