108 心配なこと
「……いっぱい泣いたらお腹空いた……」
「ははは。君がすっきりしたならよかった」
ひとしきり泣いて気が済んだあと、洞穴の隅で涙を拭うフランチェスカは、相変わらずレオナルドに抱き締められていた。
先ほどと違っている点は、レオナルドがあぐらを掻いた上に、フランチェスカがちょこんと後ろ向きで座らせられているところだ。
レオナルドは、わんわん泣くフランチェスカを上手にあやしつつ、体力を消耗しないように誘導してくれたのである。
「レオナルド、重いよね。待ってね、もうお膝から降りるか……らっ?」
「どうして?」
お腹に腕が回されて、立ちあがろうとした体が引き寄せられる。レオナルドはフランチェスカにくっついたまま、後ろから顔を覗き込んできた。
「体力は温存した方がいい。それに君、本当に指先まで冷え切っているだろう?」
「でも。レオナルドの迷惑になるし」
「君がこうして居てくれると、俺も凍えずに済む」
ぎゅっと抱かれたままそう言われて、ぬいぐるみにでもなった気分だった。確かにこの姿勢でいることは、お互いの体温維持に効果的だ。
「……私、重くない?」
「軽すぎて不安になるくらいだ」
さすがにそれは冗談だと思うが、フランチェスカは笑ってしまった。
「ありがとう、レオナルド」
それからほっと息をつき、自分が安心している事実を噛み締める。
「親友って、あったかいんだねえ……」
「…………そうだな」
「?」
レオナルドが何か言い掛けた気がしたが、首を傾げても続きは聞かせてもらえなかった。
雨足の弱まり始めた空を見上げ、フランチェスカは口を開く。
「もうすぐ止みそうなのかな? 土砂降りの飛沫が消えて、狼煙の煙が見えやすくなってきたかも!」
「ああ。とはいえ構成員たちは森全体にバラけさせたから、スキル持ちが迎えに来るにしても、もう少し掛かるかもな」
「森全体に? 私が崖から落ちたこと、ラニエーリ家のお姉さんに聞いたんじゃ……」
「君がただ落下しただけならまだしも、落ちた先で改めて襲撃犯に攫われた可能性もあっただろう?」
(そっか……。ゲームのお陰で『襲撃』のイメージが強い私と違って、みんなにとっては『誘拐』や、もっと深刻な状況になっている想定もあったんだ)
心配させたことを改めて反省していると、レオナルドが教えてくれる。
「全員がすぐに崖を降りられる訳でもなかったしな。使えそうなスキル持ちにだけ降りるよう指示をして、合図を決めて。上にいる連中は狼煙を見付け次第、君の状況に応じて迎え入れる支度をするように言ってある」
「さ、さすがの統率力……! レオナルドはどうやって崖を降りてくれたの?」
「ん?」
(あ。聞かない方が良さそうな声)
レオナルドは相変わらず、『親友同士であってもお互いに、すべての手の内は教え合わないでおこう』という方針のようだ。
もちろんフランチェスカも賛成ではあるので、これ以上は何も言わない。
(『黒幕』は洗脳の手段を持ってる。すべての秘密を打ち明けて、心から信じられる相手でも、洗脳によって強制的に敵対させられちゃうかもしれないんだもんね)
その洗脳をとても怖く思うし、考えるほどにかなしくもなる。大切な人たちを失うことの次に、想像したくない未来だ。
(だけど)
フランチェスカは俯いて、ぽつりと呟く。
「レオナルド。私たち、サヴィーニ侯爵を暗殺から守るためにこの森に来たよね」
「そうだな。君が危険な目に遭うと知っていれば、王命なんか捨てたんだが」
「それは駄目だってば! それに、せっかくここまで頑張ってきたんだよ。サヴィーニ侯爵を狙う殺し屋は、侯爵が接待して招き入れる賓客の中に紛れ込んでるんじゃないかって……」
「……ああ。賓客だけじゃなくラニエーリ家の構成員まで、念の為に調べさせているところだな」
毎朝食堂で行う情報共有は、それらの調査状況を報告し合う場だ。今のところ誰もが疑わしく、誰もに決定的な証拠がないものとなっている。
(ゲームでは立ち絵すら表示されない、文字だけで語られる暗殺者だ。侯爵が亡くなったことを知らされるシーンでは、主人公が想像した光景で、倒れている侯爵と周りを取り囲む男の人たちが描かれていて……)
フランチェスカがこんな話を始めた理由も、レオナルドは見抜いているだろう。
「もし、ね? ……もしも暗殺事件に関わる人が、黒幕に洗脳されていたら……」
「……フランチェスカ」
「!」
レオナルドに名前を呼ばれ、フランチェスカもぱっと顔を上げる。
弱くなってきた雨音に、ばしゃばしゃと水の中を駆け抜ける音が聞こえてきた。それが誰のものか察すると同時に、レオナルドが言う。
「一番に来るって予想してた迎えが、やっぱり来たな」
「うん……!」
フランチェスカが急いで立ち上がり、洞穴の出入り口に走るのと同時に、人影が飛び込んでくる。
「グラツィアーノ!」
「……っ!」
フランチェスカを見付けたグラツィアーノは、一瞬大きく目を見開いた。
彼も全身ずぶ濡れだ。肩で息をし、あちこち泥だらけで、信じられない奇跡を見詰めるかのように眉根を寄せる。
「…………お嬢」
グラツィアーノはそう呟いて、こちらに手を伸ばそうとしたように見えた。
けれどもその右手は止まり、空中でぐっと拳を握り込む。グラツィアーノはその拳を目元に当てると、震える声でこう紡いだ。
「無事で、良かっ……」
「グラツィアーノ、その傷!」
「!」
グラツィアーノが言い切る前に、フランチェスカは彼に飛び付く。
この弟分がフランチェスカに触れようとして、それに躊躇したことくらいは気付いていた。その理由は分からないが、フランチェスカからグラツィアーノに触れることへの迷いはない。
腕まくりをした白いシャツはぐしょぐしょだが、そこから覗く腕には擦り傷があるのだ。
「どうしたの、大丈夫……!?」
「……!」
大慌てでそう尋ねると、グラツィアーノは瞬きをした。
「シャツも泥だらけ。まさか身体強化スキルを使って、私の為に崖から飛び降りた?」
「…………それは」
「絶対そうだよね!? よく見せて、他に痛いところない!? ……なさそうだね、良かった……」
フランチェスカは息をつくと、グラツィアーノはぐっと言葉に詰まった表情のあとに俯いた。
その上で大きく息を吐き出すと、濡れた地面に跪くのだ。
「――申し訳ありませんでした。フランチェスカお嬢さま」
「え……」




