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雪の精霊~命のきらめき~  作者: あるて
第1章 充電期間

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第54曲 人間の領分

「失礼します」


 保健室のドアを開けて中に入ればほのかに漂う消毒液の匂い。


 この匂いと雰囲気はあの大学病院を思い出してしまうのであまり好きではない。


 わたしは怪我をすることがないので保健室に来るのはこれが初めてだったりする。


 学校案内の時に来て以来か。


「あら、ゆきちゃん、先生に会いに来てくれたのかしら」


 保健室には来たことがないけどこの先生は良く知っている。保険医の中島陽子先生。


 正直苦手な先生だ。


 スタイル抜群で美人なので男子生徒には人気らしいが。


 たまたま廊下を歩いている時に見つけられて、それ以降何かと声をかけてくる。というかハッキリ言って狙われている。


 何かにつけてボディタッチはしてくるし、話すときに顔が近いし、デートに誘ってくるし。


 本当に教師の自覚あるのかなこの人。


「そんなわけないじゃないですか。少し気分が悪いのでベッドお借りしますね。瑞穂先生の許可は得ています」


「あらそう。ベッドは自由につかっていいわよ」


 お言葉に甘えて清潔なシートが敷かれたベッドに横になる。


 白い天井。周囲を囲むピンクのカーテン。


 お母さんと初めて出会ったあの時と同じだ。


 隣に腰掛けているこの人を除いて。


「あの、自由に使えっていったじゃないですか?なんでここにいるんです?」


「あらぁ。生徒の状態を見るのも保険医の務めよ」


 なら妙に色っぽく近づいてくるのをやめてください。


 あと胸元のボタンはしっかりとめて!四つん這いになるな!


 目を逸らしているとそっとわたしの額に手を置いてきた。


 こんな見た目と言動なのにその手は意外と優しい。


 だからといったわけではないが目を閉じてなすがままにされておく。


「熱はないわね。精神的なものかしら」


 飄々としているくせにこういうところは鋭い。何人もの生徒を観察してきた経験値か。


 黙って目を閉じているのに、まだ話を続ける中島先生。


「察するに、昨日の事件の事かしらね」


 さすがに目を開いた。思い出したくないことををズケズケと……。


「そうですが、それが何か」


「もう、そんなとげとげしないの。クラスに登校した途端もてはやされたんでしょ」


 まるで見ていたかのように言う。


 なんだかだんだん追い詰められていくような感覚。


 やっぱりこの人苦手かもしれない。


「でも、ゆきちゃんとしては女の子が1人亡くなっている以上、心が簡単に受け入れてくれないってところかしらね」


 決定的だ。この人苦手。


 人の心を手のひらでクルクルと転がすようにして見透かし、痛いところを的確に突いてくる。


「そうだとして、なんだというんですか。先生には関係ないじゃ……」


 そこまで言って言葉に詰まってしまった。


 さっきまでの柔和な笑顔はすっかり消えて、今目の前にいる人は鋭い視線でわたしを見据えている。


 怒りとは違うどこかピリピリした空気を感じるその視線。


 そしてその口から出た言葉はわたしに冷水を浴びせるには十分だった。


「それは思い上がり。傲慢よ」


 傲慢?少し腹が立った。何も知らないくせに!


「でも、あの子の心臓はまた動き出して意識も取り戻したんですよ!?

 目も開いた!とても苦しそうだった!

 わたしのしたことはただ痛みに苦しむ時間を引き延ばしただけなんですよ!」


 思わず声を荒げてしまった。なぜかこの先生には遠慮なく本音をぶつけてしまう。


 これもひとつの人徳とでもいうんだろうか。こんな人徳ならいらないけど。


 でもわたしの感情をぶつけられた先生は慌ても驚きもせず、鋭い視線をわたしに注ぎ続けている。


「それが思い上がりなのよ。医療の現場じゃそんなの日常茶飯事よ。

 救いたくても救えない命がある。

 救えたと思っても零れ落ちていってしまう命だってある。

 命を救うってのはね、常に失うことと背中合わせなの。

 それを受け止められないなら安易に人を助けることなんてやめてしまいなさい」


 明らかに先生の言うことが正しい。反論の余地もない。


 わたしは何も言えず俯くしかない。


「ちゃんとこっちを見なさい」


 顎をつかみ無理やり顔をあげさせられた。


 そこにあったのは先ほどまでの怒りすら感じさせるような表情ではなく、元の飄々とした柔和な笑顔に戻っていた。


「人を救いたいっていう気持ちはたくさんの人が持っている。

 ただ思っていても簡単に実行に移せるものじゃない。

 それを行動で示すゆきちゃんは本当に立派でかけがえのない人だと思うわ。

 でもね、全てを救えると思ってしまってはダメ。

 それは傲慢でしかない。

 どんなに救いたくても救えないものは絶対に存在するのよ。

 それが今あなたが生きている現実なの」


 ゆっくりと諭すように語り掛けてくるその声は不思議とわたしの心の敏感な部分にストンと落ちてきた。


 確かにわたしには使命があるけど、万能の力を与えられた神になったわけではない。


 わたしができるのはこの手が届く範囲にいる人たちを精いっぱい守ること。


 そして歌を通じてわたしのメッセージを世界に伝えること。


 その本分を忘れてしまってはいなかっただろうか。


 わたしはあくまで現世に生きる人間として活動している。


 人間の領分を超えることはできないんだ。


 こりゃ先生に対する評価も見直さないといけないかもね。


「ちょっと言い過ぎたかしら。気落ちしないでね」


 再び俯いてしまったわたしの顔を心配そうに覗き込んでくる。


 だがわたしはもう沈んでなどいない。


「ありがとう。先生の言葉、とても身に沁みました。心も軽くなったような気がします。今ならクラスメートたちとも普通に話せると思います」


 まずはみんなに謝らなきゃ。


 教室に戻ろうと起き上がりかけた体をそっとベッドに戻された。


「お礼はいいから、まずは少し休みなさい。あんまり眠れなかったんでしょう。保険医の観察眼を舐めちゃダメよ」


 それもお見通しでしたか。はいはい、参りましたよ。


 わたしは素直に体を横たえ、少し眠ることにした。


「ふふ。このお礼は体で払ってくれてもいいのよ」


 何言ってんだ?


 ダメだコイツ。早くなんとかしないと……。


 そしてニヤッと笑ったかと思うと避ける間もなくわたしの頬にキスをして去っていってしまった。


 あのやろー!去り際になんてことしやがる!


 やっぱ苦手だあの先生!


 本当にここで寝ていて大丈夫なんだろうか……。




 少し眠るとスッキリした。


 なんだか心身ともに軽くなったような気もする。


 時計を見るとちょうど3限目が始まったあたりだ。


 確か数学だったよな。ということは瑞穂先生の授業か。


 中島先生にお礼を言って保健室を出た。


「次に来るときはわたしに会いに来てね」


 うるさいよ。


 少し急ぎ足で教室まで戻り、ドアを静かに開けて中に入っていく。


 みんなの顔を見るのが怖くて少しうつむき加減になってしまう。


「瑞穂先生、少しだけお時間いいですか」


 教卓の前に立つ先生へそう言うと笑顔で頷いてくれた。


 まずはみんなのことをしっかりとした目で見まわす。


 何人かは少し険しい顔をしている。それも仕方のないこと。


 さっきのわたしはとても印象の悪いことをしてしまったと思うから。


 だからわたしはクラスメートたちに向かって深々と頭を下げた。


「さっきはごめんなさい。わたしの心の弱さのせいでみんなに不快な思いをさせてしまいました」


 罵声のひとつやふたつは覚悟していた。


 でもそんな予想に反して、一番険しい顔をしていた槇塚くんから出てきた言葉に驚いた。


「まったく!広沢は優しすぎるんだよ!人間なんだから失敗もあるしどうしようもないことだってあるだろ。なんでも自分の責任と思って背負い込むなよ」


 顔を上げると槇塚君は少し悲しそうに笑っていた。


「ほんとだよ。ひとりで抱え込まないでさ、思ってること全部ぶちまけてわたしらにもわけてよ」


 穂香……。


「自分一人で全部解決できると思ったら大間違いだからね!そういうのは傲慢って言うんだよ!」


 それ中島先生にも言われたよ、杏奈。


「でもたくさん悩んで苦しんで、それでも人を助けようとするゆきちゃんの姿勢は普通に尊敬するし、大好きだよ!」


 ありがとう文香、わたしも文香のそんな優しさが大好きだよ。


 それぞれが自分の想いを告げてくれる。


 その中に否定的な意見はない。


 特別何かしてあげたわけでもないのに、どうしてこんなに大切に思われてるんだろう。


「みんな本当にありがとう!おかげで気持ちを切り替えることもできて楽になったよ!

 みんなのおかげだよ!

 わたし、このクラスの一員になれて本当に良かった!」


 笑顔の風がみんなに届くようにと願い、想いを込めて表情を綻ばせる。


 本当に風に吹かれたような顔をしている男子がちらほら。


「男子ども~ゆきの笑顔にやられてんじゃないよ~。まぁわたしでもヤバかったけど」


 いや穂香、そっちが普通じゃないの?


 男子がやられてることの方がおかしいんだよ?


「広沢はこのクラスの太陽なんだからな。その太陽が沈んだ顔してちゃみんな暗くなっちまうんだよ」


 太陽はいくらなんでも大げさじゃないかな、田村君。


「そうだな。広沢の笑い声が聞こえているのが普通になっちまってるからな」


 木野村君、わたしそんなに普段から笑ってる?


「とにかく、ゆきちゃんが元気を取り戻してくれて先生も安心したわ。

 先生もゆきちゃんがもっとクラスメートを頼るようになってくれたら嬉しいかな。

 みんな言いたいことは言って少しはスッキリしたかな?

 残りは休み時間にでもね!授業を再開しましょうか」


 今朝の出来事なんて些細なことでしかない。


 いつものように接してくれる友情に感謝しながら、その後の授業は穏やかに過ぎていった。


 休み時間になると小言を言われはしたけど誰もが笑顔で、いつもと同じクラスメートの談笑と変わらない。


 わたしがみんなから頼りにされたいように、みんなだってわたしに頼って欲しいんだって気持ちがすごく伝わってきた。


 ありがとう。


 わたしのことを太陽って言ってくれたみんなはわたしにとっての希望だよ。

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