飛ぶ鳥を落とす
シレーヌの微笑がわずかにひきつった。即座に羽ばたいて後退すると、上空の酉人たちが一斉に隊列を組み替えて俺たちを包囲する。
「空を飛べるというのは、それだけで厄介じゃのう」
戦場を読む賢者の目でエルマが小さく呟く。
「ふふん、私にとっては、何の障害にもならないにゃん」
リリィは鼻で笑うように魔力を放出してゆっくりと浮き上がる。そして、詠唱を始めた。
「至れ、此方の大地の奥深く、冥界の深淵、顕現せしは全てを焼き尽くす滅びの炎ーー地獄の業火!」
轟音とともに、巨大な業火が唸りを上げて解き放たれる。空が赤く染まった。
「焼き鳥になるがいいにゃん! まあ、直撃すれば一瞬で炭になって食べられたものではないにゃんけど!」
しかし酉人たちは全身をしならせ、炎の渦の中を縫うように散開していく。その身のこなしはさすがの神の軍勢。
リリィに近い一団は、一斉に剣を抜く。離れた位置にいた者たちは、弓を引き絞り、あるいは詠唱を始めた。シレーヌが冷ややかな声で告げる。
「冥府の女王、魔王へルヴァーナ・リリィ様――でございますね。誠に畏れながら、この場にて貴女を打ち倒し、我が神の軍勢より、新たなる『魔王』を誕生させていただく、のでございます」
その宣言に、リリィの口元がぴくりと釣り上がる。唇からこぼれた声は、猛獣が牙を剥くかのようだった。
「魔王の肩書き、それほど軽くないにゃん。実に愚かな鳥ども……身の程を思い知らせてやるにゃんよ。私の恐ろしさ、骨の髄まで叩き込んでやるにゃん!」
空を裂いて、雨のように矢が降り注ぐ。続けて、酉人たちの放つ雷光の魔法が、轟きと共にリリィを目がけて殺到する。
しかしリリィは一歩も引かない。両手に力を込め、すべての矢と雷撃を無詠唱の念動魔法で撥ね返した。
「そんな豆鉄砲のような攻撃、魔王リリィ様には効かんにゃん」
そう言い放つと同時に、リリィの全身から黒紫の瘴気が一気に噴き上がる。まるで冥府の空気が辺りを包み込んだようだ。瘴気に晒された酉人たちの目が虚ろになり、意識が蝕まれていく。羽はしだいに黒ずみ、腐食するように朽ち始めると、次々に空から落ちていった。リリィはにやりと邪悪な笑みを浮かべる。
「これが魔王たる私の加護『冥府の瘴気』にゃん。久々に全開で放てて、最高に気分がいいにゃん」
無双状態のリリィを、飛べない俺はただ見上げるしかなかった。空を自在に舞い、魔法と瘴気で敵を蹴散らすその姿は、まさに魔王そのものだ。隣に立つエルマに、ふと疑問を投げかける。
「師匠は……飛べないのか?」
「当たり前じゃ。桁違いの魔力を垂れ流せば多少浮かぶことはできるが、儂では長くは持たぬ。あれは魔王クラスの魔力があってはじめて可能な芸当じゃよ」
まあ、やっぱりそうか。空を飛ぶってのは、そう簡単じゃない。空飛ぶ車もなかなかできないもんな。
「じゃが――」
エルマは呟くと多重魔法陣を展開した。
『空間⭐︎湾曲』
空間が歪み、はるか上空にいた酉人の一人と俺たちとの距離が一瞬で縮まる。
「飛行せずとも、空間を歪めて敵を引き寄せることはできるのじゃ。今じゃ、弟子よ!」
俺はすかさず手を前に出す。
「至れ、我が工房――顕現せよ、魔道具第七番!」
地面が魔法陣のように蠢き、出現した魔道具、ヒトジゴクがそのまま酉人を捕縛した。
「ふっ……こうやって一人ずつ減らしていけば良いのじゃ。リリィのように派手さはないが、確実じゃろ?」
この方が確かにコスパが良さそうだ。酉人たちは、矛先を俺たちにも向けはじめた。雨のように降り注ぐ矢、空を裂くような電撃の魔法。しかし――
「儂もかつては名の知れた賢者じゃぞ」
エルマが指先を軽く動かすだけで、半透明の防御結界が展開され、あらゆる攻撃を吸収していく。それを見て、シレーヌの表情がついに揺らいだ。
「……お強い、のでございますね」
声はまだ丁寧だが、その奥に焦燥が滲んでいるのが伺えた。
「確かに一人一人はそこそこ強いにゃんけど――うちの四天王レベルは見当たらないにゃん」
「その四天王でさえこの前儂がまとめて相手してやったところじゃ」
「まったく、生意気な賢者にゃん……」
「生意気とは失礼じゃな、おそらくお主より儂の方が年上じゃぞ」
そのときだった。ぞわりと背筋に悪寒が走る。見上げれば、紫黒い靄と共に、禍々しい呪詛の雨が降り注いだ。
「おっと、儂の結界を侵蝕しておる……ただの呪文ではない。魔法無効化の効果を含んでおるのじゃ」
視界の端、地平線から蠢く影が迫ってきた。巳人の部隊だ。彼らも先行していた酉人たちに追いついたらしい。大地を這うように進軍するその群れは、胴体の下半分が蛇の姿をしている。
空と地――神の軍勢、そろい踏み。
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