神の軍勢
俺たちは、西のヴァナヘイム方面に対する警戒を強めていた。アースベルから一定距離を置いた丘陵地帯に、自警団による簡易的な砦を築き、監視の目を光らせている。
そして、数日後、アースベルに一報が届く。西方の地平に、不審な集団が現れたという。偵察隊の報告によれば、その数はおよそ二百程度。編隊を組んで空を舞う酉人たちと、地を這いながら進軍する巳人たちの混成部隊。これがただの集団遠足ということはないだろう。二百という数だけを見れば、先の魔王軍との戦いに比べれば少ない。だが、これが『神の軍勢』であるならば、ヒトの域を超えた個体が含まれている可能性もある。
「……迎え撃つしかないな」
アースベルを戦場にするわけにはいかない。住民を守るためにも、こちらから動くべきだと判断した。向かうのは、俺、そしてエルマとリリィ。神の軍勢を相手取る以上、最強の布陣で挑むしかない。
ミーアもまた、強く同行を望んでいた。だが、相手は巳人――彼女の同族だ。いざ戦いとなれば、容赦なく刃を交えることになる。彼女の心を傷つけることになるかもしれない。
「ミーア、お前には、アースベルの守りを頼みたい。重要な任務だ。だから……頼む」
そう言うと、ミーアは一瞬、目を伏せた。しかし、顔を上げたその表情には、強い決意が宿っていた。
「すみません……わかりました。絶対に、アースベルは守ります」
その背に、もうひとつ、力強く響く声があった。
「アースベルの守り、いざとなれば我ら寅人も全力で果たそう。魔王リリィ様に誓って」
ビャコウだった。その眼差しに、嘘はない。自警団のトップでもあるミーア。戦場で百戦錬磨を誇るビャコウ。彼らがアースベルを守ってくれるなら、俺たちは安心して前線へと進める。
俺、エルマ、リリィの三人は、魔法車に乗って西へと向かった。揺れる車輪の振動と、耳に響く風の音。その中に、次第に戦の気配が混じってくる。時刻は夕刻。間も無く日が沈もうとしている西の地平線の向こう――霞のたなびく空の彼方に、赤い夕陽を背にした黒い影が浮かび上がってきた。それは、隊列を組んだ、羽ばたく軍勢。ヒトでありながら、背中に大きな翼を携えた者たち――酉人の飛行部隊だ。数にして百数十。全員が、鍛え抜かれた空の戦士に見えた。エルマが赤い空に浮かぶ軍勢を見上げて呟く。
「……酉人。空を自在に舞う者たちじゃな。あれは生まれながらにして、風と戯れ、重力に抗う者たち。うらやましい限りじゃ。酉人は皆、自由で、狡猾と言われておる。気をつけるのじゃ」
俺たちは魔法車を降り、整然と隊列を組む酉人たちを前に構えを取った。高空から風切り音が降り注ぎ、張りつめた空気が肌を刺す。やがて、その集団の中から、一つの影が舞い降りた。
降り立ったのは、漆黒のドレスのような戦装束に身を包んだ女性。背中に携えた羽根は艶やかで、その姿は舞台女優のようでもあった。
「ワタクシは、シレーヌ。このたびは、お出迎えいただきまして、誠に感謝いたします」
羽根をふわりと揺らして優雅に一礼する。笑みは絶やさず、だがその目は油断なく相手を観察している。その姿には、礼儀の仮面を被った冷たさがにじんでいた。典型的な交渉役。しかも、手練れだ。
「アースベル元首、リバティ様とお見受けいたしました。どうぞ、お見知りおきを」
声色はあくまで柔らかく丁寧。俺は簡潔に応じる。
「ああ、俺がリバティだ」
俺の横で、リリィは一言も発さず、獣のような鋭い視線でシレーヌを睨みつけていた。しかしシレーヌは怯む様子もなく、ふわりと羽根を揺らした。
「さて。このような風情のない場所で社交辞令を長々と続けるのも興を削ぐもの、でございますから――本題に入りましょう」
俺もそこには同感だ。シレーヌは、その口元に張りついた仮面のような笑みをさらに深く刻む。
「我らの要求は、二つのみでございます。ひとつ――神器レーヴァテインの引き渡し。そしてもうひとつ――デルピュネの魂の返還」
それは、まるで事前に台本を熟読していたかのように、淀みない口調だった。
「こちらの要求は、一つだ」
俺も声に力を込めた。
「レイアの魂を、返してもらう」
その言葉に、シレーヌの笑みがわずかに揺らぐ。瞳が細まり、その奥に冷たい光が宿った。
「……レイア様。つまり、聖女の魂のことですね」
一拍の沈黙が落ちる。空気はぴんと張りつめ、誰もが次の言葉を待っていた。
「――残念ながら、それは難しい要求、でございます。聖女様の魂はすでにワタクシたちの天使に組み込まれております。もはや新たな命として再構築された……とお考えいただいた方がよろしいかと」
淡々と、しかし断固とした口調で告げられたその言葉は、あまりに冷酷な宣言だった。
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