魔剣の秘密
朝靄の残るアースベル東門。その前に、ずらりと影を連ねた一団が現れた。魔王軍元四天王、ビャコウが率いる寅人たち。正式にアースベルへと入国した彼らの総勢は、二百三十名。ヘルヘイムからの出稼ぎ部隊だ。逞しい体つきの者もいれば、背に幼子を負った者もいる。その誰もが揺るぎない眼差しをたたえていた。
「元首リバティ殿、魔王リリィ様。ビャコウ、寅人を率いて参上いたしました。一同、誠心誠意尽力いたします。何卒、よろしくお願い申し上げます」
深く頭を下げるその姿には、威圧も奢りもなかった。真心からの言葉であることが、自然と伝わってくる。誰一人として敵意や邪気を纏っておらず、申人に対する偏見も感じられない。きっと皆、守るべきもののためにこの地に来たのだ。
「こちらこそ、歓迎するよ。ただし、アースベルに入った以上、俺の指示には従ってもらう。それでいいな?」
念を押すように言うと、ビャコウはためらいなくうなずいた。
「無論です。郷に入らば郷に従うもの。糧をいただく以上は、アースベルの一員として元首殿のお役に立てるよう、力を尽しましょう」
その返答に、俺は胸の奥で安堵した。彼らが味方でいてくれるなら、これほど心強い存在はないだろう。少なくとも今、その瞳に偽りはなかった。
こうして、アースベルの総人口は二百三十名増え、八百五十名となる。この国はまた一歩、確かな前進を遂げようとしていた。
彼らの入国を見届けたあと、ふと気になったことがあり、俺はビャコウに声をかけた。
「そうだ、ビャコウ。お前が使っている魔剣、ちょっと見せてくれないか?」
ビャコウは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐにうなずいた。
「我が愛剣、ダーインスレイヴのことですな?」
そう言って、彼は背に背負っていた大きな黒鞘の剣を静かに抜いた。刀身は闇に溶けるような深く黒い輝きを放ち、見ているだけで鳥肌が立つような妖気を纏っていた。やはり、この毒々しい色には見覚えがある。
「この剣……どこで手に入れたんだ?」
「魔剣のルーツですかな……」
俺の問いに、ビャコウは少し考えてから答えた。
「我も父から受け継いだもの故、詳しくは存じませんが、父が五十年ほど前、イザベルの北方にある魔境で手に入れたと聞いております」
……やはり、そうだったか。胸の奥にひっかかっていた予感が、確信に変わった。
俺はそのままビャコウとミーアの二人を連れて、鍛冶屋ニテロのもとへと足を運んだ。ビャコウを紹介し、ダーインスレイヴを見せる。黒く滑らかな光を放つ刀身を一目見るなり、ニテロの目が見開かれた。
「こっ……これは……間違いない。この地で鍛えられた魔剣にて!」
その声には、確信と驚愕がにじんでいた。
「おそらくは……某の祖父が打ち上げし一振り。そして、かの者の生涯における最高傑作にて」
その言葉に、俺はうなずいた。やはり、繋がっている。
「やっぱり! この剣、与えた傷が癒えないって話だった。つまり――毒だ。そこから閃いた」
俺は単刀直入に切り込んだ。
「ニテロ。お前の魔剣の材料って、ヒュドラの毒だったんじゃないか?」
ニテロの目が揺れた。
「お前が頻繁に、ラードーン遺跡のある山のふもとに通ってるって聞いたんだ。あの山はかつて、ヒュドラが遺跡を守っていた場所だ。もしかして、残留している毒を探してたんじゃないかって、そう思ったんだ」
しばしの沈黙。ニテロは視線を逸らしたまま、観念したように口を開いた。
「……やれやれ、元首殿には隠し事など到底できぬにて。いかにも。某が魔剣は、ヒュドラの毒を材料に鍛えしものにて」
その声は、重かった。過去を告白することに、覚悟がいるようだった。
「あらゆるものの命を蝕むその毒は、邪悪にして忌むべきもの。あのようなものを用いたなど……口外するには、あまりに後ろめたき話にて」
ビャコウが黙ってニテロの言葉に耳を傾けていた。彼が使っていたその剣が、魔境の奥に潜む魔物の毒から生まれたものだと知っても、驚く様子はないようだ。
「恥じるべきことなど何もありませんぞ。この剣は、何度も我が命を救ってくれました。信頼に足る一振りであることに変わりはありません」
ビャコウは静かに語りながら、魔剣の刃を見つめる。そこには深い敬意が宿っていた。
「まあ、俺もそんなに気にすることじゃないと思うよ。使えるものは何でも使う――それがものづくりの基本だ。とは言え、俺がヒュドラを倒しちゃったから、材料が手に入らなくなったってことだよな。悪かったな、ニテロ」
「とんでもない。元首殿が詫びるような話ではござらんにて」
ニテロの気持ちは、よくわかる。自らの技を支える素材が失われたというのは、職人としてとても辛いことだ。だからこそ、俺はニテロにこれを言わなければ。
「……でもな、そんなお前に朗報がある。ミーア、ちょっと来てくれ」
呼ばれたミーアが、ぱたぱたと小走りで駆け寄ってくる。
「わわわ、わたしですかっ?」
「ヒュドラ化してみて」
「えっ、はっ、はい……やってみますっ! では失礼しまして……擬態解除、そして――ヒュドラ!」
ミーアが深呼吸をひとつして目を閉じると、その体に変化が走った。体の半身が艶やかな黒い鱗に覆われ、巨大なヒュドラの姿がそこに出現した。
「な……なんと……」
ニテロの瞳が大きく見開かれる。
「ミーア、毒を出してくれるか?」
「えっと……毒ですね。すみません、ちょっと……向こうを向いててください」
ミーアは恥ずかしそうに視線を泳がせながら、そっと口元を覆う。その様子に周囲の面々も気を利かせて、さりげなく後ろを向いた。その口から漆黒に輝くの液体が吐き出され、静かに地へと滴った。
ジュゥッ。
鈍く湿った音とともに、地面が煙を上げて溶けていく。それはあらゆるものを溶かす猛毒そのものだった。
「こ、これは……!」
ニテロの目が、まるで炎でも灯ったかのように輝いた。
「これは、まさしく……ヒュドラの毒にて! しかもこの純度……これならば、最高の魔剣を鍛えることができるにて!」
「必要なだけ使ってくれていいよ」
「お、おおおおお……!」
ニテロはその場に膝をつき、歓喜に震えた。
「ありがたいにて……元首殿、そしてミーア殿……これで、某はまた魔剣を打てるにて……」
ニテロが喜んでくれたみたいで良かった。さて、俺にはもう一つ、ニテロに伝えておきたいことがある。
「ニテロ、こないだの件……本当にすまなかった。君が犯人ではないと分かっていながら、あえて疑いの目を向けさせるような形になってしまった」
ニテロは顔を上げ、きょとんとした顔でこちらを見る。
「イザベル村で魂が抜き取られた最初の二つの事件の時に、君が転送装置を使った記録はなかった。だから、最初から君が犯人ではないと思っていた。ただ、あのときは本当の犯人に疑いの目が向けられていないように見せかけて油断させるため、すまないが君を囮に使わせてもらったんだ」
一瞬の沈黙の後、ニテロは穏やかに口を開いた。
「どうということもないにて。某は、ただ一晩、見張りの部屋で夜を明かしただけ。それでアースベルが守る役に立てたなら、むしろ誇らしいことにて。それよりも、今こうして、再び魔剣を打てる機会を与えていただいた……そのことに感謝するのみにて」
その言葉に、俺は思わず笑みをこぼす。
「ありがとう、ニテロ。これからもアースベルを支えてくれ」
「承知つかまつったにて」
ニテロの力強い返答に、俺は静かにうなずいた。
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