新たな犠牲者
疑念が晴れ、場の空気が少し和らいだところで、ビャコウが再び、真剣な面持ちでこちらを見据えてきた。瞳に宿るのは、一人の国を背負う者の強い意志だった。
「リバティ殿、先ほどは不意打ちをかけておきながら、まことに勝手とは承知しておりますが……お願いがあります。どうか、魔王リリィ様を解放してはいただけませんか? リリィ様不在のヘルヘイムでは、国が荒れ、民が飢えに苦しんでおります」
その懇願はまっすぐで、偽りのないものだった。俺は隣にいる魔王へ視線を向けた。
「それは難しいな。リリィ、もし俺が首輪を外したら、どうする?」
返ってきたのは、見事な即答だった。
「決まってるにゃん。即座に申人どもを根絶やしにして、これまで受けた屈辱を百倍にして返すにゃん。わずかな肉片、塵一つすらこの世に残さず滅ぼすにゃん」
「な、無理だろ?」
「リリィ様っ!」
ビャコウが焦って口を挟む。
「そこは嘘でも! もう危害は加えませんと――そう仰るべきかと! 嘘でも、形だけでも!」
だがリリィは肩をすくめた。
「魔王がそんな見え透いた嘘をつけるかにゃん。だいたい、そんな口先三寸でごまかして、この陰険・腹黒・冷徹にして守銭奴の大権現なご主人様を騙せると思ってるにゃん?」
「権化が大権現に変わってるぞ」
「おめでとうにゃん」
相変わらず散々な言われようだが、まあ、あながち間違ってはいないところが悔しい。実際、大権現って、権化の上位互換らしいし。
「それに……にゃん。仮に私がヘルヘイムに戻ったとしても、今の状況はどうにもならないにゃん」
リリィはふてくされたように尻尾を揺らしながら続けた。
「労働力として使ってた申人たちが解放されてしまって、人手が足りないのが原因にゃん。畑を耕したり、家畜を育てたりする人手が、まったくいないのにゃん」
「自分たちで働けばいいだろ?」
俺が思わず口を挟むと、ビャコウがまじめな顔で応じた。
「我らは狩猟民族。重い荷物を運んだり、戦ったり、狩りをしたりといった肉体労働には長けています。しかし……農耕や道具作り、細かい作業となると不向きでしてな。適正がないのです。獲物を狩ろうにも、すでに獣は減り、民全員の食料をまかなえるほどではありません」
俺は少し考えを巡らせた。このビャコウという男、鬼気迫る強さだったが、話せば筋が通っている。寅人だからといって全てが悪人というわけではないだろう。元は敵国だったとは言え、彼が苦境にある民を思って動いているのなら、ここは手を貸すべきかもしれない。
「……じゃあ、こういうのはどうだ?」
俺は少し肩の力を抜いて、提案を口にした。
「出稼ぎってのはどうだ? アースベルは今、食糧は十分にあるが、働き手が足りてない。建設現場や漁業、運搬の仕事だってある。対価として食料を提供する。どうだ?」
「まあ、ここの食べ物は、確かに今まで口にしたことがないくらいうまいにゃんよ」
その言葉に、ビャコウの目が驚いたように見開かれた。
「……申人との共存に抵抗を示す者も、確かに多くおりましょう。しかし……背に腹はかえられませんな。これは、誠にありがたい提案です。早速、ヘルヘイムに戻り、民たちと話してみようと思います」
ビャコウは小さく笑みを浮かべた。そしてそのまま、帰路につくべく静かに立ち上がった。去り際、彼はふと立ち止まり、俺にだけ聞こえる声で、ぽつりと呟いた。
「……魔王リリィ様は、あのような物言いをされておられますが、今の暮らしも満更ではないご様子。感謝しております、リバティ殿」
そう言い残して、彼はどこか心軽そうな足取りで、闇夜の中へと溶けていった。気づけば、夜はすっかり更けていた。
◇ ◇ ◇
――なんてことだ。
間も無く、冷たい報せが、胸を刺した。俺がビャコウと対峙していた時間に、新たな犠牲が出てしまっていた。
急ぎ向かった湯の元神社の宮内。そこには、モーリスをはじめ、自警団の六名が倒れていた。外相はなく、ただ深い眠りに落ちたような静けさ。これまでの犠牲者と同じく、魂を抜かれた状態だ。これで被害者は、合計八名となった。未だ犯人の正体も分からぬまま、犠牲は着実に増えている。
宮内の奥では、御神体として祀られていた像が砕かれていた。その内部に封じられていたという古の剣は持ち去られ、像は空洞になっていた。
現場に残されていたのは、一枚の紙片。そこには儀式めいた文体で、こう記されていた。
『レーヴァテインは遺跡の守護者が宿しし剣。
直ちにラードーンへ捧げよ。もはや猶予はない。』
俺は急ぎ主要メンバーを招集した。
『面白いかも!』『続きを読んでやってもいい!』と思った方は、ブックマーク登録や↓の『いいね』と『★★★★★』を入れていただけると、続きの執筆の励みになります!




