ニテロの鍛冶屋
アースベル各所の警備を仲間たちに任せた俺は、不審な大柄な男が滞在している可能性の高い、海岸沿いの廃屋を調査することにした。打ち寄せる波の音が建物の間を通り抜けて不気味に響き、潮気を含んだ生暖かい風が頬をなでる。
ここは、かつてイザベル村の漁業が栄えていた時代に、漁師たちが漁具や網を保管していたという古びた建物が点在する区域だった。傾いた屋根、砕けた窓、崩れかけた壁。どれも風雨にさらされて色を失い、過去の活気など影も形も残っていない。
だが、その中の一軒には、明らかに最近何者かが滞在していた形跡があった。床に残る大きな靴跡はまだ新しそうで、その一角に、手書きの地図らしき紙と、数本の白い毛が落ちているのを見つけた。これは、白髪だろうか? けれど、人間の髪の毛にしては少し硬い。光にかざすと、うっすらと艶があった。
手書きの地図には、イザベル村とラドン村を中心とした、大まかな見取り図が描かれていた。どうやら独自に調査したものらしく、地図上の数カ所には丸印とバツ印が書き込まれている。よく見ると、バツのついた場所のいくつかは、噂で耳にした目撃情報と一致していた。つまり、その場所を探したが、何も見つけられなかったということかもしれない。そして、ひとつだけ丸印がついていて、バツがつけられていない場所があった。そこはラドン村のニテロの鍛冶屋のすぐ近くだ。
……もしや、今まさに、そこに向かっている?
胸の奥がざわつくのを感じながら、俺はすぐに決断した。ニテロの鍛冶屋に向かおう。犯人が剣を探しているなら、やはり鍛冶屋に向かうのが自然な行動だろう。
最も早くラドン村へ向かうには、村の中心に設置された魔道具9番、転送装置を使うのが一番だ。俺は転送装置の係員に状況を確認した。
「最近、フードを被った怪しい大男が通ったりしていないか?」
「いや、そんな人物は見ていないね。今朝から夕方にかけても、使ったのは馴染みの顔ばかりだ」
係員は首を振る。となると、もしその人物がラドン村へ向かっているとすれば、徒歩で向かっている最中ということになる。だが、常人の足であればそれには丸一日かかるだろう。まだ時間はあるはずだ。俺は転送装置に乗り込み、ラドン村へと転移した。
ニテロの鍛冶屋は、ラドン村の端にひっそりと建っていた。石造りの質素な建物で、入り口には煤で黒くなった看板がかかっている。周囲は静まり返り、人気はない。
鍛冶場の奥に足を踏み入れると、そこにはやる気ゼロの魔王が、豪快に床に寝転がっていた。
「ご主人様、この魔王の尊顔を拝しに、わざわざお越しなのかにゃん?」
「どれが尊顔だよ……」
俺が呆れて返すと、リリィはあくび混じりに体を丸めた。
「異変はないか?」
「ないにゃん。あまりに平和すぎて……退屈で寝落ちしそうにゃんよ。魔王にとって平和は罰ゲームみたいなものにゃん」
「だからと言って、寝てたら警備にならないだろ……」
ふと視線を移せば、壁際に何本もの剣が並んでいた。どれも丹精込めて作られたのが分かる造りだ。俺は剣の目利きにそれほど明るいわけではないが、それでも伝わってくるものがあった。
「これだけの腕があるなら、もっと大きな工房を構えても良いんじゃないか?」
そう言うと、炉の傍で黙々と火加減を見ていたニテロが、ふと手を止めて低く呟いた。
「このような剣で……満足できようか」
「え?」
「某がかつて鍛えしは、『魔剣』と呼ばれしものなり。だが、今は――もはや作れぬにて」
「魔剣? なんで?」
思わず聞き返すと、ニテロはしばし沈黙し、火を見つめたまま口を閉ざした。
「それは、元首殿に申し上げるべき話ではござらぬにて……」
その横顔には、どこか深い陰りと、俺への敵意のようなものを感じた。過去に、彼が何かを失ったことを物語るかのように。
ひとまず、大柄な男の姿は、この鍛冶場の周辺には見当たらなかった。日はすでに傾き、あたりは闇に包まれ始めていた。ついでだ。近くにあるラドン村の湯の元神社の様子も見ておくか――そう考えて、俺はニテロの鍛冶屋を後にした。
村道を歩き出して間もなく、背後から、聞き覚えのない太い声が響いた。
「ようやく見つけましたぞ……我が宿敵、リバティ殿」
その声には、深く、重く、底知れぬ威圧が宿っていた。
ーーオート回避、発動します。
ロイナの警告が届くのと同時に、俺の身体は自動的に跳ね飛ばされた。何が起きたのかを把握するよりも早く、視界に飛び込んできたのは、ひときわ大きな人影――フードを深く被り、顔の半分を隠したその男の姿。
……間違いない。こいつが噂の『異様に立派な剣を携えた大柄な人物』だ。そして今、その剣は、俺に向けて抜き放たれている。
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