襲撃の爪痕
俺たちがアースベルへ駆けつけたとき、すべては、既に終わっていた。焦げた風の匂い、魔力の残滓。そして、アカデミーの校庭に倒れた巳人たちの姿。
ミーアから聞いた話をまとめると、どうやらアースベルの自警団をものともせず侵攻してきた巳人の集団を、たったひとりで止めたのは、聖女レイアだったらしい。信じがたい話だが、目の前の光景がそれを証明していた。巳人たちはほとんどが意識を失い、動ける者も数えるほどしかいない。そして、その中心にいたレイア本人もまた、気を失い地に伏していた。
「力の行使のしすぎじゃろうな。安心せい、いずれ目を覚ます。しかし、聖女の力、侮っておった……」
エルマのその声には驚きの色が混じっていた。聖女レイアの放った魔力であろう魔力は、エルマの想定を遥かに超えていたようだ。
捕らえた巳人たちは、強い敵意をむき出しにし、こちらの問いかけにも頑なに口を閉ざしていた。だが、俺は冷静に対話した。
「この国には、魔王すら従える魔道具がある。君たちも試してみるか?」
リリィの首にはめられた『支配の首輪・魔改造版』を指しながら、魔王でさえも抗えないその効果について必要以上に丁寧に、穏やかに、微笑みを添えて説明してやると、巳人たちは顔を引きつらせた。
「ご主人様はこう見えて、血も涙もない極悪非道の人でなしにゃんよ。決して取れない『首輪』というところが特に厄介にゃん。これが腕輪なら、最悪、腕を切り落とせば外せるにゃん。しかし、首輪を外すには首を切り落とすしかないにゃんね……」
俺に対する説明は不本意ではあるが、リリィの言葉がダメ押しとなり、巳人達は諦めたように口を割り始めた。
彼らの話を総合すると、彼らはかつてサリオン帝国によって滅ぼされたミーアの故郷、オルム村の生き残りで、森でキマイラを引き連れ、俺たちを襲ってきた巳人の仲間でもある。村を失った後、彼らは各地を転々とし、申人への復讐の機会を窺っていたそうだ。元々彼らはヴァナヘイムの住民ではなく関わりもなかったが、最近になって、ヴァナヘイムが彼らを支援するようになり、今回の一件を企んだ、ということらしい。ちなみに、彼らにキマイラを貸し与えたのもヴァナヘイムだということだ。
そして、彼らが狙っていたのはミーアの持つ特別な加護、『蛇系捕食継承』。食した蛇型モンスターの能力を自分のものにできるというこの加護は、巳人の中でも極めて希少かつ強力なものだった。それゆえに彼らは、ミーアを種族を束ねる旗印として、利用しようとしたのだ。だが、幸いにも、レイアがミーアを守ってくれた。
しかし、巳人たちの証言に耳を傾けていたエルマの顔に、ふと影が差す。
「レイアが使ったというその魔法……おそらくは、ヴァナヘイムに古くから伝わる『セイズ』じゃな」
「セイズ?」
俺が問い返すと、エルマは硬い表情で頷いた。
「詠唱ではなく、呪歌の旋律によって発動させる魔法じゃ。魂を肉体から解放し、その真の力を引き出すという。だがこの術は、使う者に強烈な快楽を伴わせるため、邪法と呼ばれてきたのじゃ」
「つまり、使うとまずいってことか?」
「節度をもって扱えば問題ないじゃろう。だが、人というものは、より強い快楽を求めてしまう生き物じゃ。その深みに呑まれ、術そのものの虜になってしまう者もいるという。厄介なことに、魂の力を深く引き出せば引き出すほど、その魔力と快楽は増していく。その先にあるのは……限界を超えて力を引き出し、命を削り、朽ち果てる」
……それは恐ろしい。まるで、強力すぎる薬物のようだ。何事も、大きな力には代償が伴うということか。
「それにしても、セイズはヴァナヘイムにおいても限られた者しか扱えぬ特別な術のはずじゃ。レイアがそれを使えたということは……ヴァナヘイムの誰かが、彼女にそれを授けたということになる」
「そういえば、巳人達を支援して、キマイラを貸し与えたのもヴァナヘイムだったにゃん」
俺もそこには違和感を覚えていた。
「ヴァナヘイムは巳人を支援して申人を襲わせるように仕向け、同時にレイアにセイズを教えて巳人を撃退する力を授けた。これ、一体どういうことだ?」
「分からんにゃん。もう死ねばいいにゃん」
「ヴァナヘイムは一体、何を企んでおるのかのう……」
背後で何かが動いている。おそらく、良からぬ何かが。
◇ ◇ ◇
エルマの言葉どおり、レイアはほどなくして意識を取り戻した。まだ表情はぼんやりとして、記憶も混乱しているようだったが、巳人たちの襲撃を無事に防げたことを伝えると、安心したようだった。俺たちは、彼女が使ったセイズという魔法について訊ねた。するとレイアは、「友人に教えてもらった」とだけ答えた。ただし、その友人の素性や目的については詳しくは知らないらしい。何者なのか、なぜその魔法をレイアに伝えたのか、それは謎のままだ。
一方、ミーアの様子にも変化が見られた。普段の彼女とは違い、どこか心ここにあらずといった表情で、暗く沈んだ目をしている。襲撃の最中に受けた精神操作の魔法の後遺症かもしれないが、おそらくはその時に巳人たちから告げられた『両親はすでに命を落とした』という現実が、深く心に刺さっているのではないかと思う。
今回の襲撃は、アースベルという国にとっても、俺たち一人ひとりにとっても大きな爪痕を残すことになった。
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