巳人の目的
空が曇り、強い風が教室の窓を揺らしました。
グラーズアカデミーから子どもたちの笑い声が消え、緊張と不安で覆われています。私は慌てて事故が起きないように、慎重に子供達の避難誘導を進めていました。けれど、巳人たちの動きは想像以上に早かったのです。避難が完了するより先に、巳人たちは校舎に迫り、ためらうことなく敷地内へと侵入してきました。つまり、彼らの狙いは、このグラーズアカデミーということなのでしょうか。そしてそのとき、静かに一人の少女が前へ進み出ました。
ミーアです。
小さな体で、しかしはっきりとした意志を込めて巳人たちの前に立ちはだかりました。私は息をのんで、その背中を見つめました。子どもたちを守り、同じ種族の者たちと向き合う、その両方の決意を感じました。
「すみません……ご用件はなんでしょうか? ここは学校ですよ」
ミーアがわずかに震える声で、巳人たちに問いかけました。
「安心しろ。我らは、お前の故郷、オルム村の生き残りだ」
リーダー格と思われる大柄な巳人が、低くもはっきりとした声で答えました。その鋭い視線は、まっすぐにミーアを射抜いています。
「……お前、ミーア・ラ・ヨルムーンだな?」
名を呼ばれたミーアは、びくりと肩を震わせました。戸惑いと混乱が入り混じった表情で、ゆっくりと頷きます。
「もはや、申人のもとに囚われている必要はない。我らと共に来るのだ」
「えっ……す、すみません。私は、囚われてなんかいません。アースベルの皆さんは、本当に優しい人たちなんです。だから、私は……ここで……」
震える声でそう答えるミーアに、巳人の男は声を荒げて告げました。
「何を寝ぼけたことを言っている。申人など、決して信用に値しない存在だ。忘れたか? オルム村は申人どもに焼かれたのだ。お前の父も、母も、そのとき命を落とした。我らは散り散りになりながらも、生き延び、復讐の時を待ち続けてきたのだ」
その言葉は、まるで刃のようにミーアの胸に突き刺さったようでした。彼女の顔から血の気が引き、表情がみるみる曇っていきます。誰にも語らず、心の奥にしまってきた両親の記憶――その傷が、いま暴かれようとしていました。
「……私の、お父さん……お母さん……。それは……とても悲しいことです。でも……でも、アースベルの人たちは違います。私を助けてくれた人たちなんです。サリオン帝国も、もう昔のような国じゃない……今は、優しい国になりました!」
必死に言葉を絞り出すミーアを、巳人の男は冷ややかに見下ろしました。
「ふん、すっかり申人に洗脳されているようだな……。だが、たとえお前が忘れても、我らは忘れない。そして、お前の中に宿る特別な加護――巳人の中でも稀なその力は、我らをひとつに束ね、申人を滅ぼすための旗印となる。お前はそのために選ばれた存在なのだ」
「す、すみません……言っていることが分かりません。それに、申人を滅ぼすなんて、そんなの、絶対に間違っています!」
ミーアの叫びにも、男は微動だにせず、ただ一言、静かに言い放ちました。
「仕方あるまい。黙って来てもらおう。我らはそのためにここに来たのだ」
巳人の男が静かに詠唱を始めると、黒く歪んだ魔法陣が空中に浮かび上がり、そこから淡く揺れる光が溢れ出しました。その光は糸のように広がり、やがてミーアの身体を包み込みます。
「すみません……私は、行かないと……いけないみたいです……すみません……すみません……」
ミーアの瞳から光が消え、そのままふらふらと巳人たちの方へ歩き出してしまいました。その様子を見て、私はすぐに察しました――これは、精神を操る類の魔法です。
「ミーアちゃん、いけません!」
思わず声を上げ、私は手を伸ばしました。聖女の加護によって彼女の意識を呼び戻そうとしましたが、術者の力はあまりに強く、私の祈りでは届きません。いけない。このままでは、ミーアが連れ去られてしまう。
リバティさんも、エルマさんも、魔王リリィも、確か森の魔物の確認に行っていて、今は村にいないはずです。だったら――私がやるしかありません。私はそっと息を整え、静かに一歩、前へ踏み出しました。
「ミーアちゃんは、絶対に行かせません」
そう告げて、私は胸元に手を当てました。ミーアの心を、この闇の呪縛から取り戻すために、新しく身につけたあの力を使う時です。それは友人が私に教えてくれた、特別な魔法――セイズ。肉体から魂を解放し、魂本来の力を引き出すとともに、未来を見る力。
微睡みの 時の狭間に 身を委ねて魂は浮かぶ
歓喜の声 歌に替へて 心の扉解き放つ
巡り巡る 運命の環よ 秘めし未来を映し出せ
セイズを発動する歌唱と共に、私は踏み出し、円を描くように舞い始めます。袖が風に揺れ、私の回転に合わせて小さな光が舞い上がります。その奇跡はやがて美しい魔法陣を形作りました。
魔法の完成と共に体がまるで宙に浮かぶかのような感覚に襲われました。いや、実際に浮遊しているのは、私の肉体ではなく、魂そのものです。肉体と魂が引き離される苦痛と、恍惚とした高揚感の両方が私を襲いました。
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