キマイラと魔王
茂みを突き破って、巨大なそれは現れた。
頭部は二つ。一つは獅子のように猛々しく、もう一つは山羊のような長い角を持つ。胴体は白く筋肉質で、しなやかな蛇の尻尾がその後方でくねくねと蠢き、背中には、黒い革のような翼が生えている。
「……予想通りではあるが、これはキマイラじゃな」
エルマが冷静に敵を観察しながら呟いた。
「これは野生の魔物ではない。あのバジリスクやヒュドラと同じような伝説級の魔物じゃ。なんでこんなところに……」
キマイラは地を鳴らすような唸り声を上げながらこちらに向かってくる。その鋭い眼差しは、明らかにこちらを敵と見なしていた。その瞬間、獅子の口から轟音とともに火炎が吐き出された。
――マスター、大気置換モジュール、起動しました。ただいまの温度正常。
ロイナの冷静な音声が耳元に響く。オート防御システムのおかげで炎や冷気の攻撃は俺には効かない。とはいえ、正面から炎を浴び続けるのは魔力を消費し続けてしまうため得策ではない。俺は一歩後ろに下がり、態勢を整える。すると、前に出たのはリリィだった。彼女は口元に挑戦的な笑みを浮かべている。
「ご主人様、これは人じゃないにゃん。遠慮なく攻撃しても問題ないにゃんね?」
「もちろんだ!」
俺が即答すると、リリィは嬉しそうに目を輝かせた。
「それはいいにゃん。変態パワハラご主人様のおかげで、溜まりに溜まったストレスをぶつけるには絶好の相手にゃん!」
俺に対して言いたい放題で何がストレスだよと言いたくなるが、細かいことはまあいい。リリィは魔王としての力を解放して、ふわりと宙に浮かんだ。
「言っておくにゃんよ。手出しは無用にゃん。うっかりご主人様やエルマを巻き込んで、首輪の命令で電撃ビリビリなんて御免だからにゃん!」
その声には確かな自信が滲んでいた。俺とエルマは視線を交わし、小さく頷く。ここはリリィに任せるべきだと、互いに理解した。
「ご主人様、そういえば、魔法の詠唱にも『にゃん』をつけなきゃいけないのかにゃん?」
「……いや、それはいい。詠唱の調子が狂うだろうからな。普通にやってくれ」
「了解にゃん!」
リリィを追うように、キマイラの巨大な翼がバサリと音を立てて羽ばたいた。巨体がふわりと宙に浮き上がる。森の木々がその嵐のような風圧に揺れる中、リリィの口から力ある詠唱が始まった。
「我は開かん。世の果て北の極地より、万物の流転を止める絶対の静寂……」
キマイラが唸り声を上げ、獅子の口から灼熱の炎を喉奥に灯す。その瞬間――
『大氷結!』
リリィの詠唱に応じ、空中に展開された鮮やかな魔法陣から、冷気の奔流が放たれる。それは一瞬でキマイラを包み込み、その全身り巨大な氷柱の中に封じ込めた。
「ほほう、さすがは魔王の魔法じゃな」
エルマが感心したように呟く。
「涼しげな顔で、常人なら一瞬で枯れ果てるような魔力を使っておる」
「リリィ、楽勝だったな」
俺ほそう声をかけたが、彼女の表情は変わらなかった。
「いや、まだにゃん!」
氷柱の中心に閉じ込められていたキマイラの目の輝きはまだ失われていなかった。次の瞬間、獅子の口から発せられた灼熱の火炎が、内部から氷柱をじわじわと溶かし始める。ヒビが入り、亀裂が走り、氷が音を立てて砕けていく。
「ふふ、こうでなくちゃ楽しめないにゃん」
リリィは戦慄の光景を前に、むしろ嬉しそうに微笑んでいる。
「サリオン帝国軍よりよっぽど歯応えあるにゃんよ」
その表情はまさに『魔王』そのもの。あれ、ついさっきまで『魔物退治は草むしり』とか言ってたの、誰だったっけ。
リリィとキマイラの激戦が続く中、ふと茂みの奥でざわりと音がした。
「リバティよ、どうやら儂らの相手は、こちらのようじゃな」
エルマが呟いたその瞬間、茂みや木々の影から姿を現したのは、巳人たちだった。ミーアと同じように半身は蛇の姿を持つ種族だ。二十人ほどいるだろうか。鋭い眼光を放ちながら、殺気立ったた表情でこちらをとり囲んでいる。俺は一歩前に出て、冷静に呼びかけた。
「ここは今は、アースベルの領土だ。武装してこの地に足を踏み入れる理由を、聞かせてもらえるか?」
だが、巳人たちは言葉の代わりにただ剣を抜き放つ。中央に立つリーダー格の男が、冷ややかな声で言い放った。
「我らは、オルム村の生き残り。我らの村を焼き払った申人への復讐の時が、ついに来たのだ」
リーダー格の巳人が、低く唸るような声で言い放った。その瞳には、炎のような怒りと、深い恨みの色が宿っている。
サリオン帝国による過去の征圧――巳人たちが理不尽な暴力に晒されたことは知っている。その傷跡はやはりまだ癒えていないのだ。
「君たちの村を焼いたのは、俺たちじゃない! アースベルの民は関係ない!」
俺はそう叫んだが、リーダー格の巳人は、気にする素振りもなく吐き捨てた。
「申人など、所詮すべて同じ。我らと同じ痛みを、今こそ思い知らせてやる」
「蛇には耳が無いというが……聞く耳は、なさそうじゃな」
エルマが厄介そうに呟きながら、魔法陣を顕現させた。俺も引くことはできない。俺たちの背後には、守るべき国と人々がある。
『面白いかも!』『続きを読んでやってもいい!』と思った方は、ブックマーク登録や↓の『いいね』と『★★★★★』を入れていただけると、続きの執筆の励みになります!




