聖女の苦悩
ジャガーノートの撤退によって、魔王軍は統率を失っていた。また、サリオン帝国側の激しい抵抗により寅人たちも次第に戦意を喪失して退却していった。
しかし、どう見てもこれはサリオン帝国側の勝利とは呼べない。戦場には無数の倒れた兵士たちの姿があった。
戦いのあとのごたごたの中、レイアはゆっくりと倒れた兵士たちの間を歩いていた。手当てが間に合いそうな人には応急処置を施しているが、全員は救えない。俺のポーションも底をついてしまっている。
「……また、助けきれなかった」
レイアがぽつりとつぶやく。声は小さく、少し震えていた。
「レイア、大丈夫か?」
少し様子がおかしいので、つい声をかけた。
「大丈夫……たぶん。でも……少しだけ、昔のことを思い出してしまって……」
レイアは視線を落とし、両手を見る。その指先が、微かに震えていた。
「前の世界で活動していた医療派遣先のこと……似てるんです、こういう風景……」
どこか申し訳なさそうに笑うレイア。その様子に、俺は何と言っていいかわからなくなる。
重苦しい空気の中、特に厄介だったのは、支配の首輪をつけられた者たちだった。彼らの多くは無理やり戦わされた末に命を落としていた。一方で、なんとか気絶させて動きを封じることができた兵士たちは、かろうじて生き延びている。どうやら気絶して動けない場合は首輪の命令違反とは見なされず、電撃の制裁も発動しないようだ。だが、このままでは目が覚めた瞬間に、また首輪が作動してしまう。
「これは……浄化の魔法じゃ解除できませんね。困ったなあ……」
レイアが途方に暮れている。だが、魔道具の扱いなら俺の出番だ。下手に外そうとすれば、電撃が走る。だから俺は、転送魔法の魔法陣を操作して、ピンポイントで首輪に合わせて発動させることにした。
「至れ、我が工房。導け、支配の首輪!」
慎重に重ねた魔法陣がふわりと光り、首輪を包み込み、俺の工房へと転送する――成功だ。これは、魔法陣を首輪の位置にぴったりと重ねなければ成立しない、極めて精密な操作だ。
「わぁ……リバティさん、すごいです! 完璧じゃないですか!」
レイアの目が、少しだけ明るさを取り戻す。でも、その後の言葉は、少し寂しげだった。
「……やっぱり、私じゃダメですね。こういうの、私は全然役に立ててない」
そんなことない、と言いかけたが、目の前でまた誰かが静かに息を引き取り、レイアは俯いた。
「……日本だったら、助けられたかもしれない命なのに」
レイアの肩が少しだけ揺れていた。だけど、泣き崩れることはなかった。ただ、息を吐くように言葉をこぼす。
「私、もっとできると思ってた。医者として、もっと……。でも、なんだか空回りばかりで……」
そこへ、ハルトが歩いてきた。
「レイアさん。ちょっと深呼吸しましょう。……今のあなたに必要なのは、少しの休憩です」
「でも、私……」
「大丈夫。誰にでも、一息つく時間は必要なんです」
ハルトの穏やかな声が、妙に説得力を持って聞こえた。レイアは、しばらく黙っていたが、最後にはこくりとうなずいた。
◇ ◇ ◇
俺はレイアを連れて魔法車でイザベル村に戻った。結果的に、魔王軍の襲撃によってゴルディアスとの話は有耶無耶となってしまったので、もう後回しだ。今はレイアの体調優先だ。
村は冬のオフシーズンで、観光客も少ない。レイアは海辺の岩に腰を下ろし、ぽつんと青い海を見つめていた。
ミーアが心配そうにその横にちょこんと座る。冷たい風が吹く中、レイアの表情がほんの少しだけ和らいだ気がした。
「……最初は、軽く考えてたんです」
レイアがぽつりと呟く。
「日本で医者としてやってきて、次は世界で通用する医者になれたらいいなって。そう思って医師団に応募したら、思ったよりもすぐ現地に行けることになって……。当時の私は、ちょっと浮かれてたのかもしれません」
レイアは遠くを見つめながら、静かに言葉を紡いだ。
「でも、そこは私の想像を遥かに超えていました。医療機器も、薬も人も足りない。患者は山ほどいるのに、治療の手段がない。日本だったら助かってた命も、向こうでは助けられなかったんです。悔しかったなあ……」
レイアの表情には、今もその時の想いが残っている。
「結局……私はその状況に耐えられなくて、日本に帰らざるを得なくなったんです。でも、私は、もう一度ちゃんと前を向きたい」
レイアはゆっくりと顔を上げ、俺を見つめた。その言葉には、どうしようもない無力感と、何かを変えたいという願いの両方が滲んでいた。
「この世界で、レイアはみんなのためにずっと動いている。もともとこの世界になかった医療の知識で、すでに多くの人を救ってるだろ? 今は無理せず休んで、また笑って働けるようになろう」
俺がそう言うと、レイアは少し驚いた顔をしたあと、ふっと笑った。
「……ありがとうございます、リバティさん。じゃあ、しばらくのんびりさせてもらおうかな。美味しいもの、食べながら」
その顔には、まだ本調子には遠いものの、ほんの少しだけ、彼女らしさが戻っていた気がする。まあ理由はどうあれ、レイアがイザベル村に滞在してくれるのは俺も嬉しい。
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