この世の楽園にて胸騒ぎ
青く澄み渡る海が、陽光を浴びてきらきらと輝いている。潮風が心地よく頬をなで、遠くでは波の音が穏やかに響く。手にしたトロピカルドリンクはひんやりと冷たく、甘く爽やかな味わいが口の中に広がる。砂浜に寝そべりながら、贅沢に焼き上げられた海鮮料理とポテチ、ふわふわのケーキを堪能する至福のひととき。そして、その楽園の象徴ともいえる存在——天使のように愛らしいミーアが、純粋無垢な笑顔を浮かべている。ここはまさに、この世の楽園……
「リバティさん、イザベル村は本当に素晴らしいですね」
と、ハルトが呟いた。
「サリオン帝国のこんな近郊に、高級リゾート地に匹敵するような場所があったなんて、驚愕しました。それに、食べ物もどれも珍しくて、驚くほど美味しいものばかりです」
高級リゾート地のような演出は、エルマの監修によるものだ。さすが、長い間生きている賢者だけあって、彼女はプロデュースのセンスも抜群だった。彼女の笑い声が頭の中でリピートされる。
『ほおれ見たか、これが儂に相応しいアフターヌーンティーの空間なのじゃあ!』
……思い出すとちょっとめんどくさい。
ただ、ハルトは少し浮かない顔をしていた。
「正直、私の想像を遥かに上回っていました。これから口コミでツアー客はどんどん増えるでしょうし、リピーターも続出すると思います。それはもちろん良いことなのですが……そうなると、今後の帝国や他国の動向が少々気になります……」
ほんの少し前まで極貧の集落だったイザベルは、今もなおどの大国にも属していない。かつては誰からも見放された土地だった。そのため今は税金を払う必要もなければ、守るべき法律もない。俺たちは完全に自由だ。何者にも縛られず、裁かれることもない。だが、その自由には代償もある。
ーー誰も俺たちを守ってくれない。
今やイザベルは、楽園と言えるほどに魅力的な土地となった。この楽園を狙う者たちが現れることは必然だろう。大国が領土として組み込もうとするかもしれないし、荒くれ者たちが略奪に訪れる可能性もある。ハルトの懸念は決して杞憂ではないだろう。その言葉を聞いて改めて、俺たちが築いたこの楽園を、どうやって守るか。それが、これからの大きな課題になると気付かされた。
ひとまず、初めてのイザベル村ツアーは大成功に終わり、ツアー客たちが帰る時間になった。だが、集合時間になっても二人の客の姿が見えない。さらに、先ほどからミーアの姿も見当たらない。何やら胸騒ぎがする。
そんな中、ダノンさんが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「大変だの!」
彼が差し出したのは、一枚の紙だった。そこには乱雑な字で、こう書かれていた。
『孫娘は預かった。返してほしければ一千万ルーンを用意し、1時間後にその金の入ったカバンを持って、海岸の北の祠に1人で来い』
孫娘? ダノンさんの孫といえばナノンのことだ。だが、ナノンは今、何事もなくケーキ屋で忙しそうに働いている。
「……もしかして」
俺の脳裏にある可能性がよぎる。
「間違えてミーアが誘拐されたんじゃないか?」
「ええっ!?」
ダノンさんが驚いて顔を上げる。だが、可能性は高い。ミーアの姿が見えない上に、今この場にいないツアー客の一人は彼女について妙に興味を持っていた。ミーアがこの村の功労者の身内であると説明したのを聞き、誘拐犯はそれを『村長の孫』だと勘違いしたのかもしれない。だとすれば、誘拐犯はその観光客の可能性が高い。
「まあ、誘拐されたのがミーアなら、身の安全は問題ないと思う。本人の自己肯定感は低いけど、あれで結構しっかりしてるし……正直、あいつは俺より強い」
そう言いながらも、やはり心配は拭えない。どんな連中が関わっているかわからないし、ミーアの正体がバレるのも厄介だ。エルマにも相談してみたが、彼女は意外と気楽な様子だった。
「まあ、心配はいらんじゃろう。もしミーアの正体がバレたとしても、誘拐犯を石像にして永久に転がしておけばいいだけじゃ」
……しれっと怖いことを言っている。
ともあれ、万が一の事態も想定し、念のため身代金は用意した。犯人が指定してきた額の一千万ルーンは大金だが、村のお金をかき集め、足りない分については事情を説明したハルトが、躊躇なくポケットマネーから資金を提供してくれたのだ。
「リバティさん、ツアー客が犯人だとすれば、これは私の責任です。それに、あたなにとって大切な人を守るための費用なら、安いものです。ここは是非私に任せてください」
本当にこの男はできすぎている。まあ、俺は過去にそれ以上の額の税金をサリオン帝国に払わされたことがあるが……それは置いておいて、ここは素直にハルトに感謝だ。
脅迫状に書かれていた海岸の北にある祠に向かう。だが、今はまだ犯人の姿はない。後で何らかの方法で金を回収するつもりなのだろう。もちろんこの金をすんなりと犯人に渡す気はない。これは誘拐犯をおびき出すためのエサなのだ。
「ミャーミャー」
海猫の声が聞こえる。その日はなぜか大量の海猫が空を飛び交っていた。
自由と自己責任は表裏一体です。
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