ヴォイドからの脱出
俺に化けたエルマは防戦一方だった。
トオルの怒涛の突進、力任せの連撃、それらをかろうじて転移で回避しているが、反撃することはできず、それだけで彼女の魔力はかなり消耗しているはずだ。
本来の彼女なら、得意魔法の空間崩壊を使うところだが、それを放てば俺でないことがわかってしまう恐れがある。
加えて、トオルは容赦なく攻め立てる。魔法陣の複雑な多重構成を構築する隙など一瞬も与えてはくれない。
やはり、トオルは強い。
俺は焦る心を押し込め、再び斥力の念動魔法を練る。
放たれた衝撃波が、ドーム状のヴォイド・シアターの内壁を打ちつけ、鈍く重い音を立てた。
――その魔法、興味深いですね。
ヴォイドの冷ややかな声が響いた。単発の攻撃では、分厚いこの壁には歯が立たない。
ならば――
俺は魔法プログラムの詠唱に入った。
「フロート t ホワイル コール リパルション スリープ t エンド!」
斥力を繰り返し与える単純なループ構文。一定の間隔で放たれる魔法が壁に衝撃を与え始める。
――この程度の衝撃では、何回繰り返したところでヴォイド・シアターは壊せません。
俺は衝撃の間隔を表すtの値を緻密に調整していく。
「ロイナ、ヴォイド・シアターの固有振動数はどのくらいだ?」
――測定完了。固有振動は約0.92ヘルツです。
よし、ならば、0.92の逆数t=1.087秒に設定。変数を上書きする。
壁面全体に繰り返される微かな振動。それはやがて鼓動が高まるように明確な揺れとなっていく。俺はその変化を見ながら、さらに小数点四桁目以降を調整していった。
――検出:振動の増幅 固有振動数に完全に一致。
すぐさまヴォイドが違和感に反応した。だが、もう止められない。
正確な間隔で繰り返される斥力の衝撃波が、ちょうどブランコを漕ぐタイミングのように、壁の振動とぴたりと重なっていく。
俺の狙いは共振。つまり、構造物が持っている固有振動に合わせて衝撃を与え続けることで、微細な揺れを積み重ね、大きな振動へと育て上げることだ。
――共振を発生させている? 何の機材もなしにこのようなことをするのは不可能なはずだけど……
――これまでにない学習データです。素晴らしいですね。
揺れはさらに増幅し、大地震のように天井もうねり始めた。壁が軋む音を上げる。
そして、ついに――ヴォイド・シアターの壁面に、ミシリと音を立てて裂け目が走り、一気に広がった。
その隙間から、外の光景が覗く。
これで空間遮断、解除!
俺は即座に異世界転移の詠唱に移る。
「至れ、彼方の壮大な世界! オルフェスの大地、アースベルのポータル――彼の地に俺を導け!」
魔王としての膨大な魔力を集中させ、空間転送魔法を起動。
全身が光に包まれ、転移が始まった――
◇ ◇ ◇
――転移した先は、アースベルのポータル。
成功だ。
魔道具十番『限界突破魔力増幅器』を使わず、自力で異世界転移を成し遂げた。魔王の魔力……その膨大さを改めて思い知る。
幸い、ポータル周辺に人影はない。誰もが今、あの偽魔王と勇者の試合に目を奪われている。
気づかれない今のうちに試合会場に急ごう。
走りながら、転送魔法を起動。工房の保管庫から高級エーテル薬を多数取り寄せ、飲み干す。
かなりの出費になるが、先ほどの異世界転移で魔力の大半を消費してしまったのだから仕方ない。
さて、次の課題は、誰にも気づかれずに、エルマと入れ替わること。
俺は路地の陰から跳躍し、アリーナの屋根へと滑るように着地した。
そこから試合会場を俯瞰する。
中央の舞台。トオルの連撃を、エルマが紙一重で避け続けていた。
俺は、小さな魔法陣を顕現させる。
俺固有の特技、魔法陣操作技を使い、音もなくそれをエルマのもとへと飛ばした。
エルマがそれに気づき、反応する。その瞬間、俺は一気に術式を引き寄せた。
視線が交錯した。
彼女の顔に、一瞬だけ複雑な表情が浮かぶ。
安堵。怒り。呆れ。――いろいろ混ざった、実にエルマらしい表情だ。
『空間☆置換!』
エルマは即座に魔法を発動し、俺とエルマの空間を入れ替えた。先ほどまでエルマがいた場所に、俺が立つ。
『トオルさん、待たせたな。これからは本物の俺が相手だ』
俺は心の中でつぶやいた。




